067-告白
「私のこと、これからはメルティアって呼んでください」
メルティアがそう言った瞬間、部屋の空気が固まった。
アリアもロベルトも、すぐには言葉が出なかった。
少しの間を置いてから、ロベルトが返事をする。
「おい、お前……それは」
「私の本名です。名乗ったことはないけど、以前バルツからの捜索願を読まれてましたから知ってますよね」
「……まあ、こうしてハイスバルツの人間が来ちまってるからな。今更偽名なんて意味はねえし、俺は構わねえけどよ。なんで急に本名を名乗る気になったんだ?」
「覚悟を決めようと思って。そのために、私は『メリア』じゃなくて『メルティア』に戻らないといけないんです」
「メル。夢の中で、何かあったの? ……目覚めてから、貴方の魔力の雰囲気が違うわ」
「姉さん、分かるの?」
「ええ。なんていうか、今までのメルとは別の魔力が混じったような……」
「魔法使いってのはそんなはっきり魔力を感じてるのか? 俺にはさっぱり分かんねえよ」
「ロベルトさん、魔法使いでも大半の人は他人の魔力の変化なんて分からないですよ。私も姉さんくらいしかこんな事出来る人知りません」
「それで、どうなのよ、メル。何があったの?」
「……私、夢の中で『プロメテウス』と出会ったの」
◆
よく分からないままアリアとロベルトの手伝いをしたり、空きっ腹に軽食を入れたりしながら、メルティアは二人に夢の中でプロメテウスを習得した事を話した。
ただ、『プロメテウス』との具体的な会話の内容はぼかした。
メルティアもまた、自分が眠っている間に何が起きたかをロベルトから聞いた。
ハイスバルツからついに刺客が来た事。
ランビケが人質に取られてしまった事。
マースもまた部下たちが人質に取られてしまったが、連絡手段の魔法石を奪い取って、今は人質たちの奪還に向かった事。
クローがトーチにより火傷を負わされてしまった事。
商会の大人が子供たち三人を医者のもとに連れて行った事。
そして、これからの作戦。
「……つまり、これからトーチおじ様を人質兼案内役にして、ディラン兄様たちと交渉しに行くんですね」
「ああ。脅しが嘘じゃねえなら、監視止まりだったマースの部下の場合と違ってランビケさんはハイスバルツに身柄を抑えられてる。せっかくこっちもハイスバルツの人間を捕えたんだ、人質交換でまずはランビケさんの安全を確保する」
「ランの安全を確保できれば、後は奴らを動けなくするのも逃げるのも好きに出来るってわけ」
「でも姉さん。それって、トーチおじ様に人質としての価値があれば、の話だよね」
メルティアの指摘にアリアは黙ってしまった。
一方のロベルトは、想定外の指摘に目を丸くしていた。
「ちょっと待てよメリア……いやメルティア。あいつは仮にもお前らの親戚で、ハイスバルツの人間なんだろ? そんなヤツを見捨てるなんてあり得るのか?」
「トーチおじ様は確かにハイスバルツの人間ですけど、血縁的には本家筋から遠くて、それにプロメテウスを習得していません。はっきり言うと、ハイスバルツ家の中では位が低いんです」
「で、でも、あいつは拷問とか処刑とかの汚れ仕事を進んでやるから、周りからは都合よく使われて、その見返りにある程度の地位を約束されてたでしょ。だからそう簡単には見捨てないはずでしょ!」
「姉さんだって分かってるはずだよ。トーチおじ様にある程度の価値があるとしても、それ以上に姉さんに命令できる状況の方が価値があるって。ディラン兄様なら多分、この人質交換には応じない」
「じゃあ、なんだ? 人質交換が無理なら……」
ロベルトはそこから先の言葉は口にしなかった。
人質交換をしないなら残された選択肢は二つ。
ハイスバルツの要求を飲み、バルツの街に帰るか。
ランビケを見捨て、この場から逃げ去るか。
どちらの選択肢も、アリアが絶対に選びたくない択のはずだった。
それら二つの選択肢を受け入れたくないがために、上手くいく可能性が低いにもかかわらずアリアは人質交換という作戦を選ぼうとしたのだから。
どちらを選んでも望まない結果になる二択を迫られ、アリアは思い詰めた表情になっていた。
そんな姉の表情を見て、メルティアは決心を固めた。
今こそ、自分が胸に秘めていた考えを姉に伝える時だと。
「姉さん。私に考えがあるの」
「……なに?」
「私がハイスバルツ家の当主になる。そうすれば、ハイスバルツ家が姉さんを追う理由はなくなる」
その言葉を聞いてアリアは目を見開いた。
「……本気?」
「本気だよ」
アリアの問いにメルティアは即答した。
妹の真っ直ぐな瞳は、アリアに本気のほどを窺わせた。
「ねぇ、メル。あたしは、貴方を身代わりになんてしたくない。あたしのためにそんな選択を取るなんてやめて」
「姉さんのためじゃない。私は、私のために、ハイスバルツの当主になりたいの」
「でも貴方、バルツの街にいた頃はそんな事言ったことなかったじゃない!」
「うん。だって、私が当主になるって事は、姉さんに勝たなきゃいけないって事だから。……バルツにいた頃の私は、姉さんに挑む覚悟が足りなかった」
「……今は違うって言うの?」
「夢の中で『プロメテウス』と話したんだ。私はもう、自分の望みを隠さない。……姉さん。姉さんが当主の立場を放り投げて家出を決心したのは、ジェーン先生の事があったからだよね。あの事件で、私も姉さんも、ハイスバルツ家の恐怖支配に嫌気が差した」
「ええ、その通りよ。あんな家、継いでやる必要ないわ。あたしに逃げられてメンツが潰れて、そのまま衰退していけばいいのよ」
「姉さんはそう考えたんだよね。でも、私は違うの。私は、姉さんが当主になったら、あんなハイスバルツ家を変えてくれるって思ってた」
「……っ」
それまで妹を真っ直ぐ見つめ返して話を聞いていたアリアは、そこで思わず目を逸らしてしまった。
アリアは自分が責任を投げ出した立場である事を、気にしていないのではなく考えないようにしていた。
それをこうして、妹の言葉で自分の立場を突きつけられてしまった。
「別に姉さんを責めてるわけじゃないよ。……姉さんが家を継ぐ事に消極的なのは、普段の姉さんの態度を見てれば誰でも気付いたよ。お父様は、そんな姉さんになんとか後を継がせようとしていたけど。私はね、姉さんが後継者にならないなら、私が後継者になってハイスバルツを変えたいって思ったんだ」
「……そうだったのね。それじゃあメル。どうして貴方は、あたしと一緒に家出したの? あたしがいないハイスバルツなら、後はディランにさえ勝てればきっと当主になれたわよ」
「そうはならないよ。家出の話を初めてしてくれた時に言ったけど、姉さんが家出をしてもハイスバルツはそう簡単に姉さんを諦めない。それだけじゃ訣別なんて出来ない。現にこうして、何ヶ月もかけて私たちを見つけて準備して、セルリの街まで捕まえに来た。それに……こっちは私個人としての理由なんだけど……姉さんをいなかった事にして決めた当主じゃ意味がないの」
「どういうこと?」
まさかいつもの負けず嫌いか、と言葉を続けようとしてアリアは踏みとどまった。
アリアの開きかけた口が閉じたのを確認してから、メルティアは続きを話し始めた。
「本来の後継者であるはずの姉さんが不在の状態で、代理の後継者を決めたりしたら、絶対に将来一族の中で揉める。当主に私がなるにしろディラン兄様がなるにしろ、一族の中に当主の座を脅かしたい人間が現れたら、本来の次期当主っていう姉さんの立場が都合良く使われるよ。たとえ姉さんが出奔したままバルツの街に帰っていなくても」
「それは否定できないわね。あいつらの悪辣さと面の皮の厚さを考えたら、十分にありえるでしょうね」
「だから、姉さんは正式に後継者を降りないといけないの。いけなかったのに……」
「家出を決めた時のあたしは家がどうなろうと知った事じゃなかったからね」
「姉さん。もしもあの家出の話をしてくれた晩、私が代わりに当主になるから正式に後継者の座を降りて欲しいって伝えたら、従ってくれた?」
そのメルティアの問いに、アリアは少しの間を置いてから答えた。
「従わないわ。貴方が当主になるのも反対する」
「どうして?」
「あの家の当主って言うのは、本当にロクなものじゃないからよ。ハイスバルツ家の当主は、街を治め、軍を束ね、よその街ともやり取りして、その上で一族の連中と折り合わなくちゃいけない。あの街はまさしく内憂外患で、当主という役割は過酷極まりないわ。そんな役割、貴方にさせたくない」
「それは私が弱いから?」
「……あの役割で貴方に身を削って欲しくないの」
「……姉さんは過保護だよ」
「貴方は私にとって世界で一番大切に思ってる相手なのよ? 大事に扱うのは当然じゃない」
「姉さんは私を信用しきれないんだよね。当主なんて出来ないって」
「そうは言ってない!」
「言ってるよ!!」
二人とも、思った以上に語気が強くなってしまい、気まずくなって黙ってしまう。
そこから先に口を開いたのはメルティアの方だった。
「ごめん、姉さん。でも、今ので再確認できた。姉さんなしで当主を決めるわけにはいかない。ううん、姉さんなしで私は当主になれない。私が当主に名乗りを上げるなら、まずは姉さんに認められなくちゃいけない」
「……どうするつもり?」
「ランさんの安全を確保してからでいい。私と決闘して。姉さん」
「……いいわ。受けてあげる。でもメル、条件があるの」
「なに?」
「決闘をするからには、余計な感情は持ち込むべきではないわ。後ろめたさとか、そういう全力を出せなくなる感情は。まだ隠してる事があるなら、今言いなさい」
「隠してる、事……」
今度は姉からの真っ直ぐな視線に、メルティアが気押された。
その姉の瞳に、メルティアは確信めいたものを感じ取った。
「メル。貴方、ずっと前から当主になりたいって思ってたのよね?」
「……うん」
「あたしが家出の話を切り出した時、貴方は全力で反対した。あたしについてくるって言ったのも、ギリギリのギリギリだった。……それはきっと、貴方の望みを諦めないためには、あたしについてくるしかなくなったからなのよね?」
「……うん」
「だって、貴方は私に勝って認められたいのだから、あたしが家出して何処かに行ってしまうのは困る。だから、あたしの家出が失敗しないようなら……あたしが家出して二度と会えなくなる可能性があるなら、あたしと一緒に行くしかなかった」
「……姉さんには何でもお見通しかあ」
メルティアは苦笑いした。
自分が嘘をついたり隠し事をするのが下手なのは重々承知していたが、それでもなお自分の至らなさに苦笑いせずにはいられなかった。
そして堪忍して、自分の罪を告白した。
「……私だよ。私が、ディラン兄様に、姉さんの家出計画を漏らしたの。秘密を話してくれた姉さんの信頼を裏切ったの」
メルティアが胸に秘めてきた自身の罪を告白する。
目を伏せる妹を、アリアは責めるのではなく慈しむように見つめ、その頭を撫でた。
「……なんで撫でるの?」
「ちゃんと自白してくれたからよ。だから、これ以上貴方が自分を責めなくていいように、撫でてるの」
「自白って言っても、ほとんど姉さんに見破られたから言わされたようなものだよ。……私は今まで、姉さんを騙してた」
「あら、あたしは騙されてないわよ?」
「えっ?」
「だって状況的に、家出計画が漏れるとしたら貴方から以外ありえなかったもの。あたしがあの話をする時は貴方以外に聞かれないよう注意してたし。だからディランたちに囲まれた時、貴方は家出に納得してくれなかったんだって思ったわ。でもその後、貴方が家出を手助けして一緒について来るって言い出したから、貴方の真意が分からなくなっちゃって」
「……一生姉さんに勝てなくなるのは嫌だったから」
「あら、やっぱりいつもの負けず嫌いもあったのね?」
「当たり前だよ!」
メルティアは思わず大きな声を出してしまった。
姉の暖かい振舞いに、メルティアの心はほぐされ、心のうちがダイレクトに出力され始めていた。
「何をやっても凄い姉さんに勝ちたいって、ずっとずっと思ってた! だから勉強も魔法もたくさん努力してきて、でも姉さんは何でもいつも私の数歩先を行ってて……!」
「勉強についてはあたしと大差ないでしょ? 魔法だって炎の魔法は貴方の方が遥かに優れてるし」
「私はそれで勝ったと思えない……!」
「そうね、貴方は形よりも納得の方が大事だものね。だからあたしに勝って納得したい、そのために私の家出をディランに漏らした」
「そうだよ。……ごめんなさい」
「……家出したばかりの頃ね。貴方の裏切りに気付いて、でもあたしへの害意は感じられなくて。貴方なりに考えがあってそうしたんだって事までは分かった。どうして裏切ったのか、貴方に問い詰めようと思った事もあったけど……。貴方、家出の時の話をすると妙に後ろめたそうな顔をするんだもの。問い詰める事で何かが壊れてしまうような気がして、怖くなっちゃった。だから今までは聞けなかった」
「そうだったんだね……」
「でも、今の貴方は違う。……覚悟できたって目をしてた」
「……うん。前までの私は、姉さんに勝ちたいから信頼を裏切るようなことまでしたのに、もう姉さんには勝てないんじゃないかって半分諦めてた。中途半端だった。でも、もう決めたよ。私は絶対に姉さんに勝つし、認めてもらってハイスバルツの当主になる」
「あたしも負けてあげる気はないわよ」
「それでいいよ。手加減されて勝っても、私は納得しない」
姉妹二人が真っ直ぐ見つめ合う。
そして何故か可笑しくなって、二人同時に笑い出した。
「ふふふっ!」
「あははっ!」
そこで不意に咳払いが聞こえる。
その場にいたのに姉妹二人だけの会話が始まってしまい、所在なさげにしていたロベルトの咳払いだった。
「さて、具体的にこの後どうするか、作戦会議を再会しようぜ」