065-吐露
メルティアは記憶の中のハイスバルツの屋敷を走っていた。
屋敷の壁はところどころ燃えており、やがて音を立てて崩れてしまいそうだが、炎がついているだけでそれ以上形を変えない。
今、この偽物の屋敷は、『プロメテウス』と戦うための単なる舞台に過ぎないのだ。
メルティアは曲がり角の物陰に隠れ、大きく息を吐いた。
姉の姿を模倣する『プロメテウス』の試練が始まって、一体どれだけの時間が経ったのだろう。
よりにもよって姉の姿のまま、自由自在に蒼炎の魔法を使いこなす『プロメテウス』に、メルティアはなかなか勝機を見出せずにいた。
何せ、メルティアの主力である蒼炎の魔法は、その魔力の主人である『プロメテウス』には一切通用しない。
加えて、生半可な魔法は、『プロメテウス』に届く前にあちらの蒼炎の魔法によって燃やされ無効化されてしまう。
相手の死角から魔法を放ったり、魔法で直接攻撃するのではなく足場を崩して自由を奪おうとしたり、メルティアも工夫を凝らしてなんとか隙を作れないか試みたが、未だに有効打は与えられていない。
一度、場を仕切り直す必要があった。
メルティアは物陰に隠れたまま、目を閉じる。
燃えても崩れない壁を見た時、メルティアは閃いた。
今いるこの世界は、自身の夢に過ぎないのだと。
自分に想像できない、ハイスバルツの屋敷が炎で崩壊するという現象は、この世界では発生しない。
逆に言えば、自分に想像できる事であれば、実現できるのではないか。
セルリの街に来て、レインとリセと出会ってから、メルティアは姉に隠れて魔法の特訓を行っていた。
そこでメルティアは、レインとリセの協力のもと、ある秘策を用意した。
その秘策を、目を閉じたまま、はっきりとイメージする。
メルティアが目を開けると、杖を持つのとは逆の手に、一冊の魔導書が現れていた。
「ようやく気付かれましたか? そうです、ここは夢の中なのですから、貴方の想像の通りに事が進むのです」
「そういうことは最初に言って欲しかったな」
メルティアが返事をしながら物陰から出ると、そこには姉の姿をした『プロメテウス』が立っていた。
「私の記憶を共有してるって言ってたよね。それなら、この魔導書が何なのか、当然知ってるよね」
「ええ、もちろん。『あたし』に勝つための、無意味な足掻きよね?」
「……姉さんの真似をするな」
「貴方は『あたし』に勝ちたい。でもそんな自信はないし、何より『あたし』と敵対して『あたし』に嫌われるのが怖い。だから『あたし』に本当の事が言えない。『あたし』の信頼を裏切ってディランに家出の事を話したのに、『あたし』に嫌われたくないだなんて、貴方って本当に自分勝手よね?」
メルティアはこれまでと同じように『プロメテウス』に黙るよう言おうとしたが、今回は言葉が出てこなかった。
胸に秘めていた罪悪感をつつかれ、言葉が喉で詰まってしまった。
「貴方は中途半端なのよ。割り切るのが下手。欲張って欲しいものを手に入れようとするのに、そのための代償を支払いたがらない。そんなんじゃ本当に欲しいものなんて一生手に入らないわよ?」
目の前にいる存在は自分の姉ではない、偽物だ。
そう理解しているのに、メルティアは、『プロメテウス』の言葉がまるで本当に姉が言っているかのように錯覚した。
彼女の『プロメテウス』は姿形だけでなく、声やしゃべり方も姉にそっくり似せていたのだ。
「……怖いんだよ」
メルティアの口から思わず言葉が漏れる。
そのまま、目の前の姉の姿をした自分の半身に向かって、気持ちが溢れ出した。
「あと一歩を踏み出すのが、怖いんだよ。姉さんを当主の責から解放したい。姉さんに勝ちたい。姉さんに認められたい。全部の気持ちが本当だし、その想いを諦められないから、あんな姉さんの信頼を裏切るような真似までした。……あの時、ハイスバルツから出て行く時に姉さんにバレてればこんなに苦しくなかったのに。姉さんは私を今でも大切にして、そして信頼してくれている。今のままなら、きっと私と姉さんの関係は壊れない。でも、もし……姉さんが私の裏切りを知ったら? 私の身勝手な行動を知ったら? ……私が当主になるっていう夢を受け入れてくれなかったら? あと一歩踏み出して、姉さんに真実を伝えてしまったら、私と姉さんの関係は、たった一つだけの何より大切な繋がりが、壊れてしまうかもしれない……!!」
メルティアの声、そして杖を持つ手は震えていた。
「つまり貴方は、『あたし』との関係を保つ事が一番大事なの?」
姉の声で『プロメテウス』が素っ気なく尋ねる。
その問いにメルティアは答えようとして、しかしすぐには言葉が出てこず、二回三回と深呼吸してから、ようやく返事をした。
「……違う」
なんとか捻り出した否定の言葉。
その答えは『プロメテウス』にとって想定通りだったらしく、うっすらと笑みを浮かべている。
「私は、……お姉ちゃんに、幸せになって欲しい。……姉さんは私にとって最高の家族。たくさんの時間を一緒に過ごしてきて、一緒に笑った事も助けてもらった事も、そして、……泣いた事もある。姉さんは強いし、基本的に不満は抱え込まずにぶちまけるから、泣く事はあんまりないけれど、だから私はあの日の事が忘れられない。――ジェーン先生と会えなくなった日の事を。ジェーン先生に会えなくなった事、ジェーン先生がハイスバルツに罰された事、どちらも悲しかったけど……それをお姉ちゃんが自分のせいだと責めていたのが、私は一番悲しかった。そしてそのお姉ちゃんを慰める事が出来ない自分が、凄く腹立たしかったんだ。お姉ちゃんは私にたくさんのものを与えてくれているのに、私はお姉ちゃんが泣いている時、何も出来ないのかって。その時決めたんだ。私はお姉ちゃんを救えるようになるって。ジェーン先生の一件から、姉さんはハイスバルツへの反抗を強めて、私と二人の時はこんな家を出てやるって言うようになった。……そして考えたのが、私が当主になる事で姉さんをハイスバルツから解放する事」
「でも『あたし』は才能に溢れていた。だから、ディランすらも押し退けて、ハイスバルツの後継者に選ばれた。貴方をどんどん、後ろに置いて行って」
「……元々姉さんの才能は知っていたつもりだったけど、成長と共にさらに才能を開花させていく姉さんを見て、私は……夢を叶えるのは無理なんじゃないかって、思い始めてしまった。それが元々の、夢を姉さんに話せなかった理由。そんな状態でも諦め切れてはいなかったから、……私は、姉さんの家出をディラン兄様にバラした」
「それで余計に『あたし』に本音を話せない理由が増えてしまったってわけね」
メルティアは話しているうちに伏せてしまっていた顔を上げた。
目の前の『姉』の顔は慈しみを感じさせた。
「貴方の本当にやりたい事、はっきりしたわね?」
その言葉にメルティアは首肯する。
「……お姉ちゃんを幸せにする。それが私の夢。……お姉ちゃんと一緒にいることじゃ、ない。うん、話してみてはっきりした。この夢を持ったあの日から、私の気持ちは変わってなかったみたい。私にたくさんのものを与えてくれた姉さんに、私はお返しがしたいんだ。つまり、姉さんに自由をあげたい。それが一番大事な事。……その為に、私は変わりたい。強くなりたい」
「だったら、まずは『あたし』に勝たなくちゃね?」
不敵に笑って見せた『プロメテウス』にメルティアは杖を向ける。
しかしすぐには魔法を撃たず、まず今の想いを伝えた。
「……ありがとうね。貴方のおかげで、心の奥底に押し込むばかりだった自分の夢と向き合えた」
「ふふっ。言ったでしょう? 私は貴方により強い意志を持って欲しいのです。そのお手伝いをしたまでですよ」
もう『プロメテウス』はアルティアの話し方を真似てはいなかった。
メルティアの手にある魔導書が魔力によってひとりでに開かれ、ページに描かれた魔法陣と文字が輝く。
「私は貴方を倒して、夢を叶える力を手に入れてみせるっ!!」