064-ハイスバルツの拷問官
アリアがマースに連れられ宿舎のメリアの部屋の前に着くと、そこにはメリアの部下の三人の子供がいた。
背の高い男の子のピジョと小さい女の子のカナリアが、座り込んだ男の子のクローのそばで屈んでいる。
カナリアはアリアが来た事に気付いて彼女に声をかけた。
「あ、アリアさん!!」
「貴方たち、無事? 何か酷いことはされなかった?」
「そ、それが……」
アリアが座り込んでいたクローのそばに来て様子を見てみると、彼は苦悶の表情で左手首を右手で掴んでいた。
まさかと思い、アリアがその左手首を見てみると、そこには線状の火傷が出来ていた。
これは魔法の熱を纏わせた杖で肌をなぞると出来る火傷だ。
拷問官であるトーチにとって、最も使い慣れた魔法のひとつだろう。
クローは痛みを我慢しながら、アリアに事情を話した。
「あの男が急に部屋にやってきて、だから部屋にいた俺が中にいれまいと、腕を広げて塞いだんです。そしたらあの男が魔法で手首を……」
「クロー、ごめんなさい。あたしのせいね……」
「えっ、アリアさん……!?」
クローはアリアの顔を見て驚いた。
普段アリアが絶対に見せない、今にも泣きそうな目をしていたからだ。
アリアはここに来るまで、どうやってトーチを出し抜き、救援を呼ばせずに制圧するかを考えていた。
しかし、クローが傷を負わされているのを見た瞬間、彼女はトラウマを想起してしまい、それで頭がいっぱいになった。
ジェーン先生の時と同じ。
また、自分のせいで、ハイスバルツの人間によって身近な人間が傷つけられてしまった。
自分のせいで、何の罪もない人たちが傷つけられていく。
罪悪感に胸が締め付けられ、涙が溢れそうになる。
だが、その気持ちこそが、アリアが家出を決意した理由の一つだった。
こんな家は継がれていくべきではない。
育てられた恩義より、暴虐な仕打ちが許せない気持ちの方が遥かに強い。
改めてアリアはクローの火傷を見つめた。
決して重症ではないが、きっとこの火傷は残り続けるだろう。
この子は何の罪もないどころか、身を挺して妹を守ろうとしてくれたというのに。
アリアの心の中を埋め尽くしていた罪悪感が、少しずつ怒りの炎となり燃え上がり始めた。
心に炎を燃やしながら、しかし冷静に、アリアは三人の子供たちに囁いた。
「……ねえ、貴方たち。メルを助ける為に頼みがあるの。メルの無事が確保できたら、すぐにクローを医者に診せましょう」
◆
アリアがメリアの部屋の扉を開けると、メリアが眠っているベッドの横にある椅子にトーチが座っていた。
「お久しぶりです、アルティア様。まさか貴方とこういう形で相対するとは思ってもいませんでした」
「……おじ様、あたしをまだ次期当主として扱うのなら、今すぐメルから離れなさい」
「そうか、それじゃあ言い直そう。アルティア、今のキミは罪人だ。大人しく拘束されてバルツの街まで戻ってもらおう」
トーチの右手には杖が握られている。
トーチも当然、ハイスバルツの人間らしく蒼炎の魔法を無詠唱で扱えるため、何かあればすぐにベッドで眠っているメリアに魔法を撃てる。
いくらアリアの魔法が速いと言っても、これだけトーチとメリアの距離が近いと、メリアの安全を確保しながらトーチを制圧する事は難しい。
「……あたしに抵抗の意思はないわ。貴方がメルに手出ししない限りはね」
そう言ってアリアは杖を取り出し、それを背後の廊下に放り投げた。
それを見たトーチは満足気にニヤついた。
「良いスタンスだ、アルティア。僕は罪人が言う事を聞くうちは、痛めつける事もしないからね」
「一応聞くけど、外にいるあの子に火傷を負わせたのは? あの子は別に罪人ではないでしょう?」
「いいや、彼は僕の行く道を塞ごうとした。立派な罪人さ。軽度な罪だから、罰も軽度だけどね」
トーチの傲慢さが滲み出た態度にアリアは怒りに顔を歪めそうになったが、歯を食いしばりながらも表情を変えないよう努めた。
そして気持ちを落ち着ける為、口は開けずに深く呼吸をした。
「それで、あたしは具体的にどうすればいいの? ここで貴方とおしゃべりしてれば迎えが来るのかしら? そんなくだらない罰、勘弁してほしいのだけど」
「まずはキミに杖を捨てさせるつもりだったが、それは自発的にやってくれたね。これからある場所に行き、ディラン、ポリネーと合流する。それから帰りの馬車に乗り、バルツの街へ戻るんだ」
「ふうん。メルはどうするの? 言っておくけど、メルはもうすぐ十五の誕生日だから……」
「起こしても歩けるコンディションじゃないんだろう? 当然承知しているさ。だからこのタイミングで会いに来たのだから。まあ彼女はキミが運んでくれて構わないよ。こちらにはランビケ・フレーという人質がいるのだから」
「……全く、下調べが徹底し過ぎてて嫌になるわね」
「ハイスバルツの斥候の優秀さを身に染みて感じていただけたようで何よりだよ」
どうやらマースが隠し文字で伝えた情報は事実であることをアリアは確認した。
マースはアリアをこの部屋に案内する間、一言も喋らなかった。
トーチを制圧するための情報を得ようとアリアが質問しても、答えようとしなかった。
もしかしたら、何らかの手段でマースもまた監視されているのかもしれない。
恐らく、手紙に秘密の文章を仕込むのが、人質を取られた現状でマースができる最大限の抵抗なのだろう。
「あたしにメルをおぶれって言うの? これでもか弱い女の子なのよ?」
「キミに『か弱い』というワードはミスマッチだな。別に置いていっても構わないさ。その後彼女がどうなるかは分からないけどね」
無論、アリアにメリアを置いていくという選択肢はなかった。
杖を捨ててしまった以上、魔法でメリアを運ぶことはできない。
ただ、例え杖があったとしても、人間を直接魔法で持ち上げるのは、力加減や魔法の操作を誤ると骨や内臓にダメージを与えてしまうので、最終手段となる。
眠っているメリアを両腕の筋力だけで抱えるのはアリアには無理なので、彼女を背負うしかなかった。
アリアはメリアの眠っているベッドに近づいて、彼女の顔を覗き込んだ。
ぐっすりと眠っているようだが、その顔はあまり安らかとは言えない。
「ねえ、メルを背負いたいんだけど、あたし一人だけじゃ眠っているこの子の身体を起こして背負うのは難しいわ。おじ様、手伝ってくれない?」
「悪いけど、ボクは両手を自由にしておきたくてね。部屋の外に小間使いがいるだろう? 彼らを使えば良い」
「だそうよ。貴方たち、入ってきなさい」
アリアが呼びかけると、カナリア、クロー、ピジョの三人が部屋に入った。
そして三人が入った後、マースが何も言わずに扉の前に立ち、道を塞いだ。
「そんなことしなくても逃げたりしないわよ」
アリアがマースにそう声をかけるが、特に返事はなかった。
「おじ様。もしかしたら知らないかもしれないけれど――」
「彼女はフランブルク商会からのクエストを何度もこなしてきた、だろう? だから今回彼女にアサインしてもらった。フランブルク商会に身を潜めるキミ達を確実に捕らえるためにね」
「あら、本当によく調べているのね。そこまで知っているなら、彼女をあんな風に自由に行動させていいのかしら。彼女がどんな魔法を得意としているのか、当然知っているでしょう?」
「幻覚の魔法だろう? 気を付けなければベテランでも騙されてしまう、優秀な魔法だ」
「ええ、そうよ。――今のおじ様みたいに、ね」
「くだらないブラフはやめろ。自分の状況は分かっているだろう? それに、彼女は我々を裏切らないよ」
「どうしてそんな事が言い切れるのかしら」
「彼女には飴と鞭、両方でアプローチした。従えばメリットがあり、裏切れば多大なデメリットがある」
「デメリット? ……まさかマースにも人質を取ったの? 同じ手ばかりで芸がないわね」
「その策がいかに有効かは、今のキミが証明してくれている」
「でも、手元を離れた人質に意味はないわよ」
そう言ってアリアは懐から小瓶を取り出した。
小瓶を見てトーチは目を見開いた。
「そ、それはっ!!」
トーチは慌てて服のポケットに左手を突っ込む。
トーチが取り出した小瓶の中には、魔法石の棒が一本入っていた。
自分の小瓶が無事であることを確認し、トーチはほっと溜息をついた。
マースの情報通りだと、アリアは内心ほくそ笑んだ。
アリアは手に持つ小瓶を左右に振りカランカランと音を鳴らす。
それは小瓶の中の飴の音だ。
「どうしたのよ? あたしはただ、子供たちに飴でもあげようかと思っただけなのに、そんなに慌てて」
「……いや、なんでもない。早くメルティアを背負うんだ」
トーチはアリアに視線を向け、飴の入った小瓶を睨みつけたまま、ポケットに自分の小瓶をしまおうとした。
だがその瞬間、トーチの背後に近づいていたカナリアが手を伸ばし、魔法石の入った小瓶を掠め取った。
小瓶を取られたトーチは一瞬遅れて後ろを向き、カナリアに怒りの形相を向けた。
「なっ、こんの、クソガキがぁっ!!!」
おびえるカナリアにトーチは杖を向けようとした。
しかし、カナリアの方を向いた瞬間に、今度は元々向いていた側にいたピジョが杖に飛びついてきた。
子供とはいえ、ピジョの全体重が杖にかかり、トーチは思わず杖を手放してしまった。
さらにこの時、ギリギリまで杖を握ろうとしていたせいで、トーチは右手首を捻ってしまった。
トーチは痛む右手首を左手で掴み、たまらず椅子から立ち上がる。
「ぐぁっ……ふざけるな、この罪人どもがぁ!!」
杖に飛びつきそれを抱え込んでいたピジョに、トーチが左手で掴みかかろうとする。
だが、トーチがピジョに触れる前に、トーチの顔面に横から飛んできた拳が炸裂した。
すぐそこにいたアリアが左ストレートをぶちかましたのだ。
「ぶぇっ!!!」
不意の一撃を顔面に食らい、トーチが倒れこむ。
その隙にカナリア、ピジョ、そしてクローの三人がトーチにのしかかった。
「えいっ! えいっ!」
「この! この!」
「よくも! よくも!」
一人飛び乗るごとにトーチは悲鳴を上げ、さらに三人はトーチの上で何度もジャンプした。
その様子を左手を前後に振りながらアリアは眺めている。
「いったぁ~。普段キックなのに、パンチなんて慣れないことするもんじゃないわね。確かザガも拳は痛めやすいから掌底を使えって言ってたわね」
「……びっくりだよぉ、アリアちゃん」
部屋の入口に立っていたマースが、アリアの元に歩み寄る。
その手にはアリアが先ほど投げ捨てた杖があり、アリアに手渡して返した。
「まさかほんとに、魔法を使わないであの小瓶を奪っちゃうなんてねぇ」
「勇気を出して小瓶と杖を奪ってくれた子供たちのおかげよ。にしても、スリをやってたあの子たちの経験がこんな風に活きるなんてねえ」
子供たちは三人ともクローの火傷の仕返しとばかりにまだトーチを踏みつけている。
トーチの方はもう悲鳴を上げる余力もないようだ。
「ほら貴方たち、あんまりやりすぎると流石に死んじゃうわよ。そいつには役立ってもらわなきゃなんだから」
そう言うアリアの口調に子供たちは、真剣に自分たちを止めようという気はあまり感じられなかった。