062-全力
リセとディランの二人は、決闘場の中央で向き合い決闘のルールを確認していた。
決闘場の傍ではレイン、ランビケ、ポリネーの三人がベンチに座って二人を見守っている。
「この決闘場の場外に出るか、持っている結界石が破壊されることが敗北条件です。結界石は――」
「結界石は俺の方で持ち合わせがある。これを使え」
そう言ってディランは懐から拳ほどの大きさの結界石を取り出し、リセに手渡した。
「この大きさは実際の戦場で使うものですね? なかなか高価なものだったと記憶していますが」
「その通りだ。だが、この大きさなら俺の魔法を受けても一発なら大事には至らないだろう。こんな野良試合で魔法大学の首席を負傷させてしまえば、後々面倒なのは目に見えているからな」
「こんなものを持ち歩いているなんて、流石はバルツの街の兵士長ですね。常在戦場というわけですか」
「ポリネーとは話したのだろう? 俺はこの街に遊びに来たわけではない」
「私との決闘は遊びではない、と受け取っても?」
「勿論だ。貴様はいずれ、必ずその魔法に相応の地位を得る人間だ。こうして決闘で貴様の力を知る事には大きな意義がある」
「それは光栄ですね。全力でご期待に応えなくては」
確認を終えた二人はそれぞれ所定の位置に移動し、互いに向き合って杖を構える。
そして二人同時に、決闘の開始を告げる呪文を唱えた。
「「導きの木よ。『力を』『束ね』『解き放て』!!」」
二人の杖先から放たれた魔弾がぶつかり合い、爆発と閃光を巻き起こした。
「む、これは……」
その閃光にディランは違和感を覚えた。
魔弾の魔法がぶつかり合った時、ある程度の閃光が発生するのは普通の事だ。
しかし、今しがた発生したこの閃光は、妙に光が強く、そして光が長続きした。
これはリセの仕組んだ目眩しであるとディランは確信した。
開幕で目眩しを仕掛けてきたという事は、この隙を利用して勝負を決しうる一撃を放ってくる可能性がある。
そのディランの予想通り、次の瞬間、ディランの後方百八十度のあらゆる位置から魔弾の魔法が飛んできた。
だが、それらの魔弾の魔法は全て、ディランを包むように発生した蒼炎の壁に阻まれ、ディランには到達しなかった。
「何が決闘は苦手、だ。常日頃から決闘を想定していなければ、こんな早期決着を狙った動きは不可能だ」
ディランが蒼炎を消して後ろを振り向くと、ほんの数秒前まで前方にいたはずのリセがすぐそこにいた。
「流石ですね。今の攻撃でこの決闘を終わらせるつもりだったんですが」
「その割には嬉しそうな顔をしている」
「ええ。私が三年も貴方との決闘をトラウマにしていたのに、それがこんなあっさり終わってしまっていたら、拍子抜けもいいところですから」
「おかしな奴だ。トラウマなど簡単に克服できた方が良いに決まっている」
リセと会話をして時間を稼ぎながら、ディランは頭の中で状況を整理していた。
リセが時間の流れを操るという独自の魔法を研究していることは、ディランが魔法大学に在籍していた頃から有名な話だった。
その魔法を自身に使用する事により、リセは高速で行動出来るという事も、三年前の決闘で既に知っていた。
だが、その魔法の弱点も、三年前の決闘の後に話を聞いていた。
まず第一に、自身の時間の流れを加速する行為は身体への負担が大きい。
長時間の連続利用は身体が耐えられないと言っていた。
ディランとの会話に付き合っているのは、身体を休める時間を作るためだろう。
第二に、自身が加速しても操作する魔力そのものは加速しないせいで魔法の制御が極めて困難になる。
三年前の時点では、魔法を使用する際には加速を解除していたはずだ。
しかしその弱点は、この三年である程度克服したのだろう。
先ほどの後方から飛んできた複数の魔弾は、それぞれがほとんどタイミングの差がなく発射されたものだった。
それはつまり、加速した状態のまま、魔弾の魔法を発射して移動して、を繰り返したという事だ。
「時間操作の魔法。この三年でさらに鍛え上げたようだな」
「私はこれくらいしか取り柄がありませんから。それに、夢にはまだ届きません」
「夢?」
「時間の遡行、私の研究テーマです」
「ふん、まるで御伽話だな。言っているのがお前でなければ、一笑に付しているところだ」
会話をしながら、ディランは突然無詠唱で蒼炎をリセに放つ。
しかし蒼炎がリセの位置に届く前に、一瞬にしてリセは別の位置に移動していた。
「その蒼炎、火力が強すぎて決闘では危険という話も聞きますよ。三年前は控えていたと思いますが、今は容赦なく撃つんですね」
「そのために貴様にあの結界石を渡したのだ。大学が用意している小型の決闘用結界石では防ぎ切れないからな」
「お気遣いありがとうございます。……でも、ご心配には及びません。私がその蒼炎に当たる事はありませんから」
その発言は本気なのだろうとディランは思ったし、今のままではリセに攻撃を当てる事は出来ないとも感じていた。
時間の加速がどの程度のものかは分からなかったが、正面から魔法を撃っていては当たる気がしなかった。
「確かに、生半可な攻撃は貴様に命中しないだろう。だが、貴様も俺に攻撃を届かせられるのか? 貴様の不意打ちは全て、俺に届く前に蒼炎の壁に阻まれた」
「ええ、困りました。どうやら魔弾の魔法では貴方の蒼炎を突破出来ない。でも……これならどうです?」
リセがそう言い終えた次の瞬間、再びディランの視界からリセが消える。
ディランの後ろから一瞬だけ声のような何かが聞こえたかと思うと、突如足場の地面がひび割れ大きく振動し、ディランは体勢を崩した。
ディランはこの地面の現象自体には驚いていなかった。
リセほどの魔法使いなら、これくらいの事は容易にやってのけるだろう。
しかし、それをロクな詠唱もなく一瞬で発動できた理由がすぐには理解できなかった。
少なくとも三年前の時点では、リセはこんな魔法を無詠唱で使う事は出来なかったはずだ。
リセが無詠唱で使う魔法は、魔弾などの初歩的な魔法と、彼女独自の時間操作の魔法だけのはずで……。
そこまで考えたところで、ディランは現況を理解した。
「そうか……加速した状態で詠唱魔法を使っているのか」
先ほど一瞬だけ聞こえた声のような何かは、加速したリセによる詠唱魔法だろう。
どうやらリセは、加速した状態での魔力の操作を完全に身につけているらしい。
それはつまり、リセが使えるあらゆる魔法は、実質無詠唱魔法のような速さで発動される事を意味している。
ディランはまるでアルティアを相手にしているかのような気分になったが、魔法使い本人が高速で移動する点ではリセはアルティア以上に厄介だった。
ディランの足場は依然振動を続け、なかなか体勢を立て直せない。
そうしているうちにディランの周囲が急速に影に包まれていく。
ディランの頭上には、巨大な岩石が生成されていた。
そしてなかなか立ち上がれずにいるディランの正面に、再びリセが現れていた。
「貴方のその蒼炎の壁、それが貴方がこの魔法大学で無敵を誇った理由です。私も、結局その壁を破れず貴方に敗北した。……魔法であれだけの完敗を喫したのは初めてでしたから、悔しくてたまらなかったんですよ。だからずっと、私は再び貴方と決闘出来たら、どうやって勝とうか考えてきたんです」
「その答えがこの地震による行動の制限と、巨岩による圧殺か。なるほど、確かにあの大きさならば、蒼炎の壁でもすぐには焼き尽くせず、俺に攻撃が命中するだろう」
「それを聞いて安心しました。ディラン、降参してください。いくら結界石があると言っても、あの岩が落ちてきたら無事では済まないでしょう」
「何を勘違いしている? この程度の状況で勝ったつもりか?」
「ええ。もう勝負はついています」
「確かに、よくぞ俺をここまで追い詰めたな。だが……チェックメイトには、まだ早い!! 貴様はこの三年で実に強力な魔法使いになった、俺も全力を持って貴様を潰してやる!! ――『プロメテウス』!!」
ディランが呪文を唱えた瞬間、これまでで最大の蒼炎がディランを中心に燃え上がった。
そして蒼炎の中から巨岩と同じくらい大きな魔人が現れる。
身の丈十メートルはあろうかという蒼炎の巨人は、ディランの後ろに立ち、頭上の巨岩に向けて正拳突きを放った。
突きを受けた巨岩は粉々に砕け散り、破片は蒼炎の炎によって焼き尽くされ消滅した。
「……っ! これが、プロメテウス……!」
ついに本気を出したディランを前にして、リセは数歩後ずさる。
ハイスバルツ家の秘術、プロメテウス。
知識として知ってはいたが、実際に目にするのは初めてのことだった。
その力はまさしく理外のもので、リセが使える魔法の中に力でプロメテウスに勝てそうなものは一つもなかった。
だが、決闘の勝利条件はプロメテウスを倒す事ではない。
ディランの結界石を破壊するか、ディランを場外に追い出せばリセの勝ちだ。
そのために改めてリセは自分の時間を加速させようとした。
しかしその瞬間、プロメテウスから蒼炎が放たれ、決闘場を包み込む。
「貴様の加速、その弱点はもう見破った。……いや、三年前から、こちらの弱点は克服できなかったというべきか」
ディランが立ち上がり、一歩ずつリセに近づく。
リセの魔法による地震はもう収まっていた。
プロメテウスの蒼炎により、決闘場の気温が急速に上がっていく。
「加速は身体への負担が大きいとかつて言っていたな。それを何度も使い、さらにはその状態で複数の魔法を同時に行使したのだ。既に相当疲れているのだろう? ひどい汗だぞ」
そう言われ、リセは自身が汗だくである事に気付いた。
いや、汗だくであるだけではない。
頭痛がし、目眩もする。
「今こうしてプロメテウスで更に加熱しているが、実は決闘が始まってからずっと、俺は密かに決闘場を加熱し続けていた。貴様は加速した時間で動き続けた故に暑いのだと誤解していたのかもしれないが、単純に今のこの決闘場は陽炎が生じるほどに熱くなっている。そんな環境で時間を加速させてしまえば、その分だけ余計に暑さに体力を奪われるだろう」
リセは膝をつき、今にも倒れ込みそうな身体を両腕で必死に支えていた。
「先ほどの貴様の言い分。蒼炎は当たらないと言ったな。確かにその通りだ。……今の貴様には、魔弾で十分だ」
ほとんど倒れかけているリセの目の前に立ったディランは、彼女に向けて魔弾の魔法を放った。