056-蒼炎の精霊
実家の姉の部屋を模した夢の中、メルティアはそこで『プロメテウス』を名乗る何者かと対峙していた。
「まあゆっくりお話ししましょう。どうせ夢の中ですけど、貴方もそちらに腰掛けたらどうです?」
『プロメテウス』はメルティアに椅子に座るように勧める。
その声は何故か安心感を覚えるもので、メルティアは思わず警戒を解きそうになった。
どんなに凝視しても、『プロメテウス』の姿ははっきり見えず把握する事ができない。
メルティアが警戒しつつも椅子に座ると、『プロメテウス』は話を始めた。
「精霊ってご存知でしょう? プロメテウスというのは、貴方たちハイスバルツの一族と契約した精霊の事なのです」
「……えっ!?」
唐突に告げられた情報にメルティアの頭が一瞬混乱する。
「ちょ、ちょっと待って。精霊って、あの精霊でいいのよね、その……」
「ええ。貴方の想像している、魔力の塊から成る思念体です」
想像を言い当てられた事に不気味さを覚えつつ、メルティアは頭の中で情報を整理する。
精霊。
実体を持たないが自我を持つとされる、魔力の存在。
される、というのも、メルティアは精霊の存在を感じた事が今まで一度もない。
「精霊を知覚出来る人間は、精霊の力を宿しているものだけ。だから貴方にとって、私が初めて存在を認知する精霊ということになりますね」
またしても『プロメテウス』はメルティアの思考を読み、先回りして疑問に答えた。
メルティアは精霊の力を持っていない、だから精霊を知覚した事はない。
そのはずだった。
「我々『プロメテウス』は、三百年ほど前貴方のご先祖様と契約を結びました。貴方たちハイスバルツの一族に、我々の蒼炎の魔力を分け与えるという契約をね。そして、ハイスバルツの人間が我々の力に完全に馴染むには、生まれてから十五年ほどの歳月を要します」
「それって……」
「はい、貴方たちハイスバルツの方々が十五歳頃に罹る熱病の正体は、我々の蒼炎の魔力です」
そこでメルティアは、自身の姉の事を思い出した。
プロメテウスはハイスバルツの人間と契約し、その影響でハイスバルツの人間は十五歳頃に高熱を起こす。
蒼炎の魔法が使えず、高熱が起こらなかった姉は――。
そこまで考えて、メルティアは必死に自分のその考えを別の事で塗りつぶそうとした。
――夢の中なのだから不思議でないのかもしれないが、『プロメテウス』はメルティアの思考を読み取れているらしい。
どうせ質問しようとしても先回りして答えてくれるので、疑問は頭の中で考えるだけにしようとした。
「せっかくなので形だけでもお話ししません? こうして初めて顔を合わせられたんですから」
「……私は貴方の顔、はっきり見えてないけどね」
『プロメテウス』が会話という形を求めたので、メルティアは不服に思いながらも渋々自分の疑問を口にしていくことにした。
「契約って言ったよね。貴方たちが私たちに与えるものが蒼炎の力なら、私たちは……貴方たちに何を与えているの?」
「ええ、貴方なら真っ先にそこを気にすると思っていました。と言っても、心配するような事ではありませんよ。我々がハイスバルツの人間に求める事、それは二つです。一つめは、我々が存在するための魔力を供給し続ける事です。これは精霊と人間が契約を結ぶ時に、一番よくある理由ですね」
「そうなの?」
「ええ。ご存知の通り、我々は肉体というものを持たず、魔力によって構成されています。そのため安定した魔力供給がなくては、存在を維持することが出来ません。だから一部の精霊は、魔法使いと契約する事によって魔力を確保するのです」
「でも、魔力ってそこらじゅうにあるでしょう? わざわざ契約を結ぶ必要なんてあるの?」
「もちろん、至るところにある魔力もまた、我々の存在を維持する要素になり得ます。でも常に周囲に魔力があるとは限りません。そこに精霊や魔法使いが何人もいたら、周囲の魔力の奪い合いになってしまいますからね。そういう時、契約によって魔力を確保できていれば、我々は消滅の危機を回避できます」
「つまり契約によって、予防線としての魔力供給源を手に入れるの?」
「そういう事です。自然に存在する魔力だけでも精霊は自身を維持できますが、人間と契約しておけば万が一の事態を回避できる、というわけです」
その話を聞いて、メルティアは自身の精霊に対するイメージが崩れたのを感じた。
精霊というのは、もっと神秘的で超然としているものだと思っていたのだ。
消えないために人間と契約するなんていう慎重な、極端に言えば臆病な、そんな選択をする存在だと思っていなかったのだ。
「精霊といっても自我があって自己の消失を恐れるという点では肉体を持つ生き物と変わらない、という事ですよ」
「……せっかく気を遣って、精霊にガッカリしたって言わないでいたのに」
「ありがとう。でもごめんなさい、貴方の心の声は全部聞こえてしまうんです」
「心を読まれて不快だと思っていたけど、貴方も難儀してるのね」
「ええ。私も、貴方が本当に聞かれたくない事は言及しないようにしますね」
そう言われてメルティアは心臓が飛び跳ねるような感覚になった。
さっき姉の事を思い出していたのも、『プロメテウス』は聞いていて、その上で話を掘り下げなかったのだろうか。
そんな考えには蓋をして、メルティアは引き続き『プロメテウス』へ疑問を投げかける。
「……さっき、私を生まれた時から知っていたと言っていたけど、貴方は私と共に生まれたの? それからずっと、私は貴方に魔力を奪われていたの?」
「奪うとは人聞きが悪い。契約に基づいて、必要最低限の魔力をいただいていただけです。……貴方と共に私は生まれた、というと少し語弊があります」
「どういうこと?」
「私という個体は貴方と共に発生しましたが、私の自我自体はそれよりも前から存在するものです。……ハイスバルツ家と契約を結んで以後、誕生したハイスバルツ家の人間に宿るプロメテウスの自我は、契約を結んだ際に導きの木に記録された精霊プロメテウスの複製なんです」
「……えっ? 導きの木? ……って、詠唱呪文のあの?」
「はい。その導きの木です。導きの木は、呪文の情報以外も記録する事が出来るんです。ハイスバルツ家の祖と契約したプロメテウスは、導きの木に自身の存在を刻み込みました。ハイスバルツの人間が生まれるたび、導きの木から情報が送られ、プロメテウスの複製が生まれます」
「それじゃあ貴方……いえ、貴方たちプロメテウスは、みんな同一人物なの?」
「んん……それもまた語弊がありますね。確かに発生した時点では個体差なく元のプロメテウスの複製です。ですが、プロメテウスはその後ずっと宿主となるハイスバルツの人間と共にあります。その過程で我々は各々独自の変化を遂げ、宿主が完全に蒼炎の力に馴染む頃には、別物となっています。ほら、例えば貴方の父上のプロメテウスは巨人の姿ですが、ポリネーのプロメテウスは全然違うでしょう?」
「なるほどね。……流れで話が逸れちゃったけど、とにかく私は生まれて今まで、すでに無意識に、貴方に魔力を与え続けてきたのね」
「はい。どうもお世話になっております」
『プロメテウス』はベッドに腰掛けたままメルティアに頭を下げる。
姿がはっきりしないのに動きは分かるとは、夢ながら不思議な事だとメルティアは思った。
「契約の一つめの理由は、ハイスバルツが魔力を与えること。二つめも教えてもらえる?」
「ええ、もちろん。それは、ハイスバルツ家の魔法『プロメテウス』のためです」
「……精霊プロメテウスの存在を知って、今私は魔法のプロメテウスが何なのか分からなくなってる」
「大丈夫、分かるように説明しますよ。魔法のプロメテウスは、ハイスバルツ家と我々の協力によって成り立つ魔法なのです。あの魔法では、ハイスバルツの人間は我々の蒼炎の力で、我々のためのカラダを作り出しています。そこに我々プロメテウス自身が宿り、魔法で生み出されたカラダを操っているのです」
「あの魔法ってそういう仕組みだったんだ」
「はい。カラダを作り出し、我々を顕現させる魔法だから、『プロメテウス』なのです。そして、そのカラダを得る事こそが、我々が契約を結んだ理由なのです。我々精霊は魔法の力を持っていますが、物理的な事象にはなかなか干渉できません。精霊の力を持たない存在には知覚すらされません。ですが、貴方がたの魔法によってカラダを得れば、我々精霊でも物理的な干渉が可能となるのです」
「物理的なカラダを持つ事が、そんなに大事な事だったの?」
「ええ。少なくとも、ハイスバルツの祖と契約した、最初のプロメテウスにとっては」
一通り『プロメテウス』の話を聞き終わってから、メルティアは最後にもう一つの疑問に行き当たった。
「ねぇ。どうしてハイスバルツの人間は、プロメテウスのあれこれを教えてくれなかったの? お父様やディラン兄様やポリネーさんも、この事を知ってるはずだよね?」
聞いてからこの質問は『プロメテウス』にではなく当人たちにするべきだと気付いたが、意外にも『プロメテウス』はこの質問に答えてくれた。
「理由は二つあります。まず、我々が貴方がたにこの話をしないようお願いしているんです。我々は認めていない人間に、わざわざ契約の事を伝えるつもりはないので」
「それ、なかなか酷い話じゃない?」
「これを認めたのはハイスバルツの祖です。それでいいと、契約が結ばれたのです」
「昔の事とはいえ、勝手な話だね。……貴方が私にそれを教えてくれたってことは、貴方は私を認めてくれたの?」
「それに答える前に、二つめの理由をお伝えします。……この夢での記憶は、我々が認めない限り、思い出す事が出来ません。だから、そもそもハイスバルツの人間でも、我々に認められてなければこの事を思い出せないのです。……メルティア、貴方にもこれから試練を受けてもらいます」
「試練?」
「ええ。早い話が私と決闘して勝て、ということです」