052-本音
私の勝手なイメージだったが、ディランは姉さんの事を“自分から次期当主の座を奪った癖に一族のルールに歯向かう生意気な従姉妹”だと思っている、と私は考えていた。
そしてディランは一生姉さんの事を妬み疎み続けるのだと、思い込んでいた。
そのディランから、姉さんの事を認めるなんて言葉が出るなんて、私は想像だにしていなかったのだ。
「ディラン兄様……その、貴方は姉さんの事を嫌いなのだと思っていました」
「……その認識は間違っていない。アルティアは未だ問題児だ。与えられた仕事こそこなしてはいるが、ハイスバルツ家を軽んじるあの態度は目に余る。一族の象徴とも言える、蒼炎の魔法を使う事も出来ない。……だが、あいつは挑まれた決闘のことごとくで勝利した。最も強い者が一族の当主になるという掟に従い、俺があいつに勝ち、次期当主の座を奪い返すつもりだったが……。現当主以外で最も強いのはあいつだと、何度も決闘を挑んだ俺が一番理解している」
ディランは姉さんとは対極的に、ハイスバルツという一族を心底誇りに思っている。
それゆえ、姉さんとは何度も何度も衝突してきたし、決闘も行ってきた。
恐らく姉さんと一番多く手合わせした人物だろう。
戦闘力という点において、姉さんの事を最も理解しているのは確かにディランかもしれない。
「いずれあいつが当主になれば、俺は軍をまとめる兵長として、あいつの部下になる。軍はこの街の秩序を守る中核だ。……あいつが当主になったら流石に態度は改めてもらいたいが、俺はあいつを支え、この街とハイスバルツを守りたいんだ」
そう語るディランは憑き物が落ちたかのように爽やかな顔をしていた。
私は、想定していたのと別の方向でディランに事情を話しづらくなっていた。
今、ディランは何年も抱えていた姉さんへの複雑な感情に答えを出し、新たな道に進もうとしている。
だが、姉さんが家出しようとしているという情報は、鎮まったディランの怒りと嫉みを蒸し返すものに他ならない。
しかし、ここで何も伝えずに立ち去るのは、今この瞬間私が楽を出来るだけで、誰のためにもならない。
私は腹を括り、話を切り出した。
「姉さんが家出するつもりなんです」
私の言葉を聞いて、朗らかな雰囲気を醸し出していたディランの顔が一瞬にして凍りついた。
「メルティア。お前は冗談を言うタイプではなかったな」
「冗談ではありません。昨晩、姉さんから明かされました。お父様が不在のこのタイミングで、姉さんはこの家を出るつもりです。……私一人では姉さんを止められません。ディラン兄様、力を貸してください」
ディランは何も言わず、ただ手入れしていた装備と手入れ道具をその場に置いた。
「……どうやら嘘をついている訳ではないらしいな。アルティアはどうするつもりだ? 知っている情報を全て話せ、メルティア……!!」
そう私に問うディランは、先程までの穏やかさを微塵も感じさせない、烈火の如き憤怒の形相をしていた。
◆
いよいよ姉さんが家出を決行する時間が来た。
私は可能な限り姉さんの説得を試みるのと、姉さんが想定外の方法で家出しないようにと、ギリギリまで付き添う事にした。
私が聞いた家出計画の全貌は既にディランに話してある。
後は彼の思いつく最も成功率の高い方法で、家出を阻止してくれるはずだ。
「ねえ、メル。やっぱり心変わりして、あたしと一緒に行きたくはならないかしら……?」
「……ダメだよ。私は姉さんと離れ離れになるのは嫌だけど、でも家出なんて方法良いとは思えない」
「……でも、あたしはこのままじゃこの一族の当主にされちゃうわ。そうしたら、きっとあたしは自由なんてもの二度と手に出来なくなる」
もう何度もこんな感じのやり取りを繰り返していた。
どういうアプローチで姉さんを止めようとしても、姉さんの決意は揺るがない。
姉さんの持つ自由への憧れは、私の想像を大きく上回るものだった。
しかし、姉さんが提示した一緒に家出するというプランは、姉さんと離れ離れにならないだけで、私にとって最悪の一歩手前の選択肢だ。
確かに、姉さんとは離れずに済むだろう。
だが、私も姉さんも共犯となり、共に罪人扱いとなってハイスバルツの人間から追い回される事になる。
私も街の外のことはそこまで詳しくないが、ハイスバルツ家が支配するバルツの街の鉱山資源は、この辺りの地域全域に流通している。
そしてこの街の魔法石は上質かつ他の産地もこの地域にはないため、魔法石を取引のカードとして使えば、大抵の街にハイスバルツ家は影響を与えることができる。
これはつまり、よほど遠く――それこそ、海を渡った先にでもいかなければ、ハイスバルツの手から完全に逃れることは出来ないという意味だ。
例え姉さんの魔法を持ってしても、この家出を成功させるのは極めて困難だ。
問題の解決にもならず、成功確率もほぼゼロの行動なんて取るべきではない。
だから私は、ディランにこの家出の情報をリークした。
父が不在の今、姉さんを止められる可能性が一番高いのはディランだ。
事前に情報を流し、家出を阻止する準備のための時間もわずかにあった。
姉さんの家出を阻止するためにはこれが最善のはずだ。
――仮に家出が失敗すれば、未遂であっても当主の任を投げ出そうとした姐さんには罰が与えられるだろう。
しかし、本当に家出をしてしまって失敗した時よりは軽い罰のはずだ。
それに、罰を受ける時は、私も一緒に罰を受けるつもりだ。
姉さんの信頼を裏切って計画を失敗させるのに、姉さんにだけ罰を受けさせるわけにはいかない。
……姉さんの失敗で私も罰を受ければ、姉さんももう少し慎重になってくれるだろうという打算もある。
そう考え事をしながら、夜の闇の中姉さんの後をついて歩いていたのだが、突如足を止めた姉さんに私はぶつかってしまった。
「うわっと……。どうしたの? 姉さん」
姉さんが立ち止まったのは、街の軍隊が使う馬が飼われている厩舎の近くだった。
姉は厩舎の方を見つめたまま、私の問いかけには答えなかった。
しばらく黙った後、姉さんは私に言葉を告げた。
「ここでお別れよ、メル」
姉さんは私の方を向こうとしない。
「荷物が結構重いから、使う予定の馬の近くに予め隠しておいたのよ。お金とか結界石とかね。だから、荷物を持って馬に乗ったら、あたしはそのまま街の外に向かって一直線。この後はスピード勝負になるからね、ゆっくりお話できるのはここが最後」
「……姉さん、やっぱり家出なんて」
「やめないわ。……ごめんなさいね。あたしはもう、我慢できないの」
ダメ元で最後の説得を試みたが、取り付く島もなかった。
こうなればもう、ディランによる家出の阻止に期待するしかない。
「ねえ、メル。……あたしに言いたい事、あるんじゃないの? 家出をやめろって話以外に」
「えっ……?」
「あたしの想像してる言葉を、貴方が胸の内に秘めているのなら……それはきっと、貴方が自分の意思で言わなくちゃいけない。……って、それじゃこうやって促しちゃダメね」
姉さんは頭を左右に振ってから、ようやく私の方を向いた。
「じゃあね、メル」
姉さんは、物凄く寂しそうな表情をしていた。
◆
姉さんが厩舎の中に入って程なくして、厩舎からキーンと甲高い音が響いた。
誰かが音響の魔法を使って、周囲に異常を知らせたのだ。
その瞬間、近くの物陰や建物からぞろぞろと多数の兵士が現れ、厩舎に詰め寄せる。
兵士たちの中には顔を真っ赤にしたディランの姿もあった。
ディランと兵士たちによる家出阻止が始まったのだ。
私は事の行く末を確認するべく、兵士たちからは隠れながら厩舎に近づいた。
木箱を足場に窓から厩舎の中を覗くと、馬は一頭も見当たらなかった。
家出の情報を知ったディランがあらかじめどこかに移動させたのだろう。
厩舎中央の通路では姉さんとディランが対峙し、その周りを兵士たちが取り囲んでいる。
「兵士をこんなに引き連れて、貴方もそんなに顔を真っ赤にして。一体どうしたのよ? ディラン」
「とぼけるな、愚か者が!!! 貴様の考えは筒抜けだ!!!」
そう怒鳴りながら、ディランは片手で大きなカバンを掲げ、中身をひっくり返す。
カバンの中からは、いくつかの結界石に水筒とパン、そして巾着袋が地面に落ち、袋の中からジャラジャラと硬貨が散乱した。
それを見て姉さんは頭を抱えるジェスチャーをした。
「この厩舎に隠されていた貴様の荷物だ。……ハイスバルツ家当主の後継ぎという立場でありながら、貴様は、貴様はっ……!!!」
「あちゃー、見つかっちゃったのね。空いた馬房とはいえ土の下に埋めておいたのに。お世話担当の人を甘く見てたわね」
激情を隠そうともしないディランに対して、姉さんは付き合う気はないと示すように軽薄な態度を崩さない。
そんな姉さんの態度がますますディランの神経を逆撫でする。
「アルティア!!! 貴様はその後継者という立場の重みを理解していないのか!? いずれはハイスバルツの一族を束ね、このバルツの街を治める事になる、その立場の責任を……!! そして後継者たるお前を育てるために、周囲の者たちがお前に捧げてきた苦労と努力を……!!」
「……育てるため、ね。……ええ。やっぱりジェーン先生があんな事になったのは、あたしのせいなのよ。あたしがこんな家の後継者だったせいで……あたしが愚かだったせい」
「……貴様、そんなことがこの愚行の動機か?」
「そんなこと、ですって?」
突如として、姉さんの態度が氷のように冷たいものになった。
ジェーン先生の事件は、姉さんが一族を厭うようになった決定的な要因だ。
ディランの怒りに向き合わないつもりだったであろう姉さんの逆鱗に、ディランは偶然にも触れたのだ。
「ディラン、この保身ばかり大事で恐怖による支配をやめる度胸もない腐った一族が大好きな貴方には、一生あたしの考えなんて理解できないでしょうね。そんなだから、あたしに敵わないのよ」
「っ!!! 貴様ぁぁ!!!」
怒りに駆られたディランが乱暴に杖を振るい、姉さんに向かって魔弾の魔法を放つ。
しかし姉さんが自分の杖を一振りすると、ディランの魔弾は軌道が曲がり、姉さんを取り囲んでいた兵士のうちの一人に命中した。
兵士は悲鳴を上げたが、鎧を着ていたおかげでよろめく程度で済んだ。
「魔弾と蒼炎しか無詠唱で使えないっていうのは大変ね? 魔弾じゃこうやってあたしに上書きされて軌道を変えられちゃうし、蒼炎は周りの兵士を巻き込んじゃうし。作戦を誤ったんじゃないかしら?」
姉さんの魔法の扱いは天才という言葉すら生温い。
炎が関わらない魔法であれば大抵の事が無詠唱で行えてしまうし、シンプルな魔法であれば他人の魔法に干渉して操作してしまう。
無詠唱魔法で攻撃してくる姉さんのスピードに対抗するには、相手も無詠唱魔法を使うしかない。
しかし、生半可な無詠唱魔法では、上書きされて無力化されてしまう。
「貴様を倒したければ蒼炎を使うしかない、しかし兵士を連れた今蒼炎は使えない。この状況は悪手。そう言いたいのか?」
ディランの不敵な態度に、姉さんは警戒を強めた。
仮にもディランは姉さんに次ぐハイスバルツのナンバースリーだ。
姉さんもディランを侮ったりはしない。
「痛みを伴わず貴様を倒せるとは思っていない!! ここにいる誰もがな!!!」
その言葉と共に、姉さんを囲んでいた大勢の兵士たちが、姉さんに魔弾銃を構えた。
「ちょっと! こんな状況で撃ったら、対角線上にいる兵士で同士討ちに――」
「そんな事は我ら全員覚悟の上だ!!! 撃てっ!!!」
ディランの号令と共に、兵士たちの魔弾銃から一斉に魔弾が放たれ、厩舎の中は閃光に包まれた。