051-家出を止める方法
姉の家出を止めなければならない。
家出では姉をしがらみから完全に解き放つ事は出来ないし、もしも失敗してしまったら姉がどんな目に遭わされるか分からない。
姉が家出を決行してしまうまでの一日で、姉の家出をやめさせる方法を見つけなければならなかった。
家出の話を聞かされた翌日、私と姉さんにはそれぞれ別の予定が入っていた。
私は朝は一族の人と座学で昼からは魔法の実践、姉さんは夕方まで軍部の訓練に参加。
家出を気取られないように、夜になるまでは普通に過ごすと姉さんは言っていた。
私もとりあえず普通に過ごしながら、その中で良い方法を考える事にした。
◆
「メルティアさん、今日はなんだかぼーっとしていませんか?」
そう声をかけられハッとする。
ページをめくる手がすっかり止まっていた私に声をかけたのは、私より十ほど歳上の親戚の、ポリネー・ハイスバルツだ。
いつも目を細めている茶髪の女性で、歳下である私や姉にも敬語で話す。
「すいません、ちょっと考え事をしてて」
「そうでしたか。メルティアさんの成長が見られないと、私も怒られちゃいますから頑張ってくださいね?」
言葉は丁寧だけどいつだって自分本位、というのが私と姉さんのポリネーさん評だ。
彼女は常に自分が受ける被害を最小限にしようと立ち回っている。
面倒そうな事柄は上手い理由を見つけて回避してしまう。
私や姉さんに座学を教えてくれているが、以前、座学担当になった理由を尋ねると「貴方たちは優秀で手を焼かなそうだから」と答えていた。
「ポリネーさんは、この一族から出て行きたいとか考えた事あります?」
「どうしたんです? 藪から棒に」
「ハイスバルツの人間であるのって、結構大変な事もありますよね。そういうの、嫌になった事はあるのかなって」
面倒を避けるのが上手な彼女は、一族のしがらみをどのように思っているのか、ふと気になった。
尋ねられた彼女は微笑みながら答えた。
「ありませんね。だって、ハイスバルツの人間というのは、この街で一番気苦労の少ない立場ですから」
「そうですか?」
「そうですよ? 街の人たちは日々ハイスバルツ家の統治下で私たちの機嫌を損ねないように暮らしています。その上で個々人の家庭や職場の問題に対処しなければなりません。一方、私は面倒な親戚をせいぜい数名だけ注意しておけば、悠々自適に暮らす事が出来ます」
「その面倒な親戚への対処は嫌じゃないんですか?」
「嫌ですよ? でも、私の考え得る限りではこれが一番楽な生活なんです。少なくとも、貴方の言ったような一族から飛び出すなんて暴挙は、払う代償が大きすぎて私は行う気にはなりません」
代償。
それがポリネーさんが考える、家出をする気にならない理由。
ここを掘り下げていけば、姉さんの家出を中止させる良い方法を思いつけないだろうか。
そう考えた私は、ポリネーさんからもっと具体的に話を聞いてみる事にした。
「代償って、例えばなんでしょう?」
「そうですねえ。この身分に生まれた故に享受できていた恩恵を失いますね。具体的には、衣食住に困る事があるかもしれません。メルティアさん、着る服がなかったり、食べ物がなかったり、寝泊まりするところがなかったり、そういう生活が想像できます? 人間というのは、生活の水準を上げる事には問題ありませんが、逆に生活の水準を下げる事には耐えられないそうです。寒い冬の日なのに服を着込むことができない。お腹が空いたのに食べる物がどこにもない。夜遅くもう眠りたいのに雨風を凌げる場所がない。生まれた時からそれらに困った事がないハイスバルツ家の人間は、そんな状況になったら耐えられないでしょうね。もちろん私も無理でしょう」
「確かに大変でしょうけど、軍部に勤めている方は遠征などでそういう状況に陥る事があると、ディラン兄様から聞いた事があります」
「ええ、その通りです。だから私は軍部の仕事だけは絶対に引き受けたくありません」
ポリネーさんの挙げた衣食住の代償は、確かに大変なものだろう。
しかし、姉さんは次期当主の修行の一環で、何度か軍部の遠征訓練に参加している。
当然、次期当主としてある程度特別扱いはされていたのだろうが、それでも遠征の経験から衣食住の代償には多少の耐性がありそうだし、本人もそこまで気にしないだろう。
そもそも、姉さんは次期当主としての立場から、私やポリネーさんのような普通のハイスバルツよりも強い圧力を周囲から受けているに違いない。
それはポリネーさんの言う“一番楽な生活”とは全く別物の生活環境だ。
ポリネーさんにとっては今の生活は変える必要のない物かもしれないが、姉さんにとっては今の生活は代償を払ってでも捨てた方がマシなのだろう。
「ところで、こんな質問をするなんて、何か嫌なことでもあったんですか? メルティアさん」
「あーいえ、その、私は大丈夫です」
「そうですか、それでは座学に戻りましょう」
ポリネーさんは情報収集のために最低限の質問はしてくるが、厄介ごとに巻き込まれたくないのか個人の話を深掘りしてくる事はまずない。
私は嘘をつくのが下手なので、ポリネーさんのそういうスタンスは都合が良かった。
◆
昼食の後、魔法の実践訓練のため訓練場に向かう途中で、この状況で出来れば会いたくなかった人物と出会ってしまった。
「あら、メルティア。……これから訓練ですか?」
「……お母様」
「いつも言っている事ですが。アルティアだけでなく貴方もまた、当主の娘なのです。その立場に恥じぬ力を身につけるよう、励むのですよ」
お母様は外部からハイスバルツ家に嫁いできたという立場があるため、周りの一族にはお母様を外様の人間として軽んじる者もいる。
そんな周囲の目を見返すためなのか、お母様は“当主の妻”という役割を全うする事に生活を捧げている。
それゆえお母様は私たち姉妹の教育に凄く熱心で、話をする度に学習の成果を聞かれたり、立場に相応しい人間になれとプレッシャーをかけられたりで、私も姉さんもお母様と話すのには少し息苦しさを感じている。
それが原因で小さい頃は二人ともお母様の事が苦手だった。
しかし、ジェーン先生にお母様の立場と苦労について考える事を教えてもらってからは、苦手な気持ちも幾分か和らいだ。
「……あら? 貴方、今日はどこか悪いのですか? 顔がいつもより暗いですよ」
お母様の指摘を受け、私は焦り、意識して普段の表情をしようとした。
このタイミングでお母様に会いたくなかった理由、それは私や姉さんの事を本当によく観察しているからだ。
普段とは違うところが少しでもあれば、それを見逃す事はない。
心を見透かす程ではないにしても、隠し事を完全に隠し通せる相手ではない。
万が一姉さんの家出計画が露呈してしまうような事があれば、確実に面倒な事になってしまう。
「ええ、ちょっと……。でも、大丈夫です。明日になれば解決します」
私は素直に自分の不調を認めた上で、これ以上話を深掘りされないよう切り上げにかかった。
明日になれば解決するというのも、あながち嘘ではない。
今抱えている問題はどう転ぼうと今晩には決着するのだから。
「そう……。でも、貴方はこれから魔法の訓練をするのでしょう? アルティアほどでないにしても、貴方も優秀でそして高い出力の魔法を使えるのですから、不調が原因で魔法の制御を間違えないよう気をつけるのですよ」
「お母様、むしろ不調の時こそ訓練が大事なんです。常に好調で実戦に臨めるとは限らないのですから」
私のそのいかにも向上心に溢れてそうな返事を聞くと、お母様は満足そうに微笑んだ。
「素晴らしい心がけです。それでも無理はせず、訓練に励みなさい」
そう言ってお母様は立ち去った。
悩み事を隠し通せた事に、私は安堵の息を漏らした。
咄嗟に出てきた文言にしては上出来だった。
“常に好調で実戦に臨めるわけではない”。
その言葉を脳内で反芻し、私は一つの気付きを得た。
姉さんが今晩家出を決行するのは、お父様が不在という好条件があるからだ。
つまり。
家出をするのに不適な条件を“作り出して”しまえば、家出は中止されるのではないだろうか。
その具体的な方法を想像した時、私に一種の罪悪感が芽生えた。
姉さんを説得して家出をやめさせるならまだしも、私が今からやろうとしている事は姉さんへの明確な裏切りではないか。
姉さんは私を信頼して家出の事を話してくれたのに、私は無理矢理それを中止させようとしている。
しかし、家出を中止させる意義と私の罪悪感を天秤にかけると、私の罪悪感は綿のように軽く、天秤は姉さんを裏切る方へと傾いた。
◆
夕暮れ、私は姉さんと入れ違いになるよう狙って軍部の建物を訪れた。
目的はある人物に会うためだ。
現在のこの街の戦闘力ナンバースリー、バルツの軍隊の兵士長。
私と姉さんの従兄弟、ディラン・ハイスバルツ。
一対一の決闘で姉さんに勝てなくても、先手を打ち大人数を動かせば、家出を中止させる事くらい出来るかもしれない。
そう考えた私は、彼に姉さんの家出計画をリークする事にした。
ディランは兵士長の部屋で、自分の装備の手入れをしていた。
「失礼します、ディラン兄様」
「……メルティアか。珍しいな、貴様が俺に用とは」
「その、姉さんの事でお話が」
私が姉の事を口にした瞬間、空気が張り詰める。
ディランは姉さんの事を快く思っていない。
姉さんより五つ歳上の彼は、姉さんがその能力を周囲に見せつけるまで、ハイスバルツ家の次期当主だと持て囃されていたらしい。
自分より五つも歳下の少女に次期当主の座を奪われた彼は、その地位を取り戻すため何度も何度も姉さんに決闘を挑んだが、そのことごとくで姉さんに敗北した。
姉さんもディランからの当たりの強さは感じているらしく、軍部での仕事がある度にディランに絡まれるのが面倒だと嘆いていた。
このままピリピリした空気で、家出という爆弾のような話題をしなければならない覚悟を決めてここに来たのだが、張り詰めていた空気はすぐに弛緩した。
「アルティアか。……あいつももう十六になり、成人する。社会的に一人前と認められるんだ。……俺もそろそろ、あいつを認めようと思う」
「……えっ?」
想像だにしていなかったディランの言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。