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プロメテウス・シスターズ  作者: umeune
モラトリアムの終わり
52/99

050-当主の二人娘

 メルティア・ハイスバルツ。

 それが私の名前。

 姉さんの名前はアルティア・ハイスバルツ。

 私たちは鉱山の街・バルツを支配するハイスバルツ家の当主の娘として生まれた。

 バルツの街において“ハイスバルツ”という姓が持つ影響力は絶大で、それゆえにハイスバルツの人間は名前に恥じない能力を身につける必要があって、私も姉さんも幼い頃からたくさんの教育を受けてきた。

 街で出会う誰もが、私たちを“ハイスバルツ”として扱い畏怖し、否が応でも自分がハイスバルツの人間であるのだと自覚させられた。

 あの頃の私は、そしてきっと姉さんも、名前を偽って生きる日が来るなんて思ってもいなかった。


 姉さんの十六歳の誕生日。

 つまり成人となり、次期当主『候補』から正式にハイスバルツ家の次期当主となる日。

 それを数日後に控えた、ある晩の事だった。

 姉は私を部屋に呼び出して二人きりになると、いつものように軽い調子で話を切り出した。


「ねえ、メル。あたし、明日の晩この家を出る事にしたわ」


 初めてその話を聞かされた時、私は理解が追いつかずしばらく固まってしまった。

 家出の話が出てくるとはつゆほども思っていなかったのだ。

 しかし、姉が家出を企てる理由に心当たりはある。

 姉は、この家が、一族が、大嫌いなのだ。

 姉がハイスバルツの家を嫌っていたのは知っていた。

 なにしろ、姉は当主の後継ぎという立場にありながら、人目を憚らず自分の家の悪口を堂々と口にする。

 私もこの家の嫌いなところはいくつもある。

 しかし、後継ぎという立場である以上、まさか家出をするなんて言い出すとは思っていなかった。


「実は前からちょっとずつ準備しててね、お金とか外で生きていくのに必要なものはもう揃えてあるの。で、今日からお父様がよその街に出かけるでしょ? 明日の晩なら、この街にはあたしより弱いヤツしかいないから問題なく家出できるってワケ」

「ちょ、ちょっと待って」


 ようやく言葉を発する事が出来た私は、状況を理解するために姉に質問を投げかける。


「姉さん、本気なの? 後継者の立場でそんな事したら、この家は大変なことになるよ? もしも家出が失敗して捕まったりしたら、どんな目に遭うか分からないよ。たとえ姉さんだとしても、トーチおじ様が容赦なく罰するかもしれない……! やめようよ……!」

「こんな人を恐怖で支配して既得権益を守る事しか考えてない家の事なんて知らないわ。傾いた方が世のためなんじゃない? それに、失敗しないために明日決行するのよ。トーチが出てきたら、せっかくだからぶっ飛ばしてやるわ。家出すれば一族間のいざこざなんて関係ないからね」


 分かってはいたが、姉はもう家出をするという意思を固めてしまっている。

 こうなった時の姉を説得して考えを改めさせる方法を、私は知らない。

 それでも、何とか説得の取っ掛かりを見つけるために、質問を続けた。


「……どうして、家出しようと思うの?」

「そりゃあこの家が嫌いだからよ。もうこんな野蛮な一族は懲り懲りよ。何より……ジェーン先生をあんな目に遭わせたヤツらと同じ一族っていう事実を、あたしは消し去りたい……!!」


 姉の言葉からは怒りが滲み出ていた。

 二人の家庭教師を務めていたジェーン先生が、ハイスバルツの人間によって理不尽に処罰された事件については、私自身も未だに許す事が出来ない。

 姉の怒りは理解できた。


「……でも、姉さん。私たちはこの家に生まれて、この家に育てられたんだよ。飢えることなく、知識や魔法を学んで、立派な暮らしが出来るのは、この家のおかげなんだよ?」

「なに、家には恩があるから家出するなって言うの?」

「ううん、違う。家出したところで、姉さんはハイスバルツの人間である事には変わりないって事。……きっと家出するだけじゃ、姉さんはこの家と訣別しきれない」

「…………」


 姉は黙り込んだ。

 私の言葉にある程度の理を感じたのだろう。

 

「……もっと違う方法はないのかな? 少なくとも、後継者の立場と責任を全て投げ捨てるなんて、良い事だとは思えないよ」

「……実は、もう一つ。家出したい理由があるの」

「え?」

「その、ね」


 私は姉が続きを話すのを待ったが、もじもじしてなかなか切り出してくれない。

 どうやら言いづらい事のようだ。


「ここには私と姉さんしかいないよ」

「分かってる。……恥ずかしいのよ。こっちの理由は、何というか自分勝手で」

「嫌だから後継者の立場を捨てるってのは自分勝手じゃないの?」

「さっき言ったのは一種の復讐よ。正当性はあたしにある。でも、その、こっちの理由は自分でも正当性を感じてなくて……あたし、外の世界を旅したいの」


 いつも堂々としている姉にしては珍しく、ボソボソとした言葉だった。


「あたし、自由になりたい。他の街を見て、海を見て、海の向こうにも行って……そして、また先生に会いたいの。この家にいたら、あたしにそんな自由はないわ」

「どこが恥ずかしい事なの? 姉さん」

「……あたしだって分かってるのよ、あたしはこの家に育てられたって。それなのに、自分の欲望のために家の責任を放棄するのは、ちょっと」


 さっきと言っている事が真逆だが、ジェーン先生が処罰された件への姉の怒りは理屈を曲げてしまうほど強大だという事だろう。

 姉の今の心境を理解すると共に、ずっと想像していた姉の願望が事実だった事を知った私は、かすかな喜びを感じながら一つの決意をした。


「そっか。やっぱり姉さんは、自由になりたいんだ」

「えっ? ……うん、そうよ」

「……どうしても、家出するんだよね」

「ええ、もちろん。それで、貴方も一緒にどう? ってお誘いをしたくて今日は呼んだんだけど」

「えっ、私も? ええっ!?」


 予想外の言葉に思わず大きな声で驚いてしまう。

 

「当たり前じゃない。貴方も嫌いでしょ、この家」

「それはまあ、そうなんだけど」

「この家で貴方だけは、信用できる。あたしと一緒に家出しましょ?」


 姉は一緒に遊ぼうくらいの軽いノリで、今後の人生を左右する重大な決断を提示してきた。

 その誘いに私は困惑して、その場で答えを出す事が出来なかった。


     ◆


 姉の口から聞いた彼女の願望、自由になりたい。

 姉はことあるごとに「もっとまともな家に生まれたかった」とぼやいていた。

 姉はハイスバルツの家や後継者という立場を煩わしく思っていて、それら全てから解放されて自由になりたいんじゃないかと私は想像していたが、その想像は事実だったようだ。

 そして私は、もし姉が自由になりたいのなら、どうすればいいのかも考えていた。

 

 姉の立場とこの家の性質から考えて、無理矢理家出したのでは、必ずこの家の方から姉を連れ戻そうとする。

 姉の意思に関係なく、家の方が何が何でも姉を逃がそうとしない。

 逆に言えば、家の方が姉を逃がしたくない理由が無くなれば、姉は自由を手に入れる事ができる。

 この家が姉を逃がすまいとする最大の理由は、姉が当主の後継ぎだからだ。

 これは、素質があり手塩にかけて育てた後継ぎを失うわけにはいかないという人的リソースとしての事情でもあり、後継ぎに逃げられたなんていう話が外部に漏れると家の評判に関わるという周囲への影響力を気にした事情でもある。


 つまり、姉より後継者に相応しい人物がいればいい。


 私が、姉さんより後継者に相応しいとみんなに認めさせればいい。

 そうすれば、仮に姉さんがいなくなったとしても、姉さんを躍起になって捕まえようとする理由は一つ減るし、私が当主になればそれをやめさせる事だって可能なはずだ。

 さらに一番大きいのが、姉さんを“正式に”このハイスバルツから絶縁できるだろう事だ。

 家出というルール無用の方法では、物理的に家から離れたとしても形式的にはこの家に残ってしまう。

 しかし、当主自らの絶縁であれば、物理的にも形式的にも姉さんをこの家から解放できる。

 私が当主になれば、姉さんの願望を叶える事が出来る。


 ただし、この方法はほとんど不可能だ。

 後継者として認められるということは、私が姉よりも優れていると証明しなければならない。

 具体的には、決闘で姉に勝たなければならない。

 この街で姉に勝てる人間は、父しかいない。

 恐怖で市民を支配するというこの家の性質上、一族の中には武力に優れた人物が何人もいる。

 それら大人も含めた一族の人間で、姉に決闘で勝てた者は一人もいない。

 戦うまでも無く誰もが最強の存在と認める父を除いて、姉に決闘で勝てる者はいないと、一族の誰もが認めている。

 後継者として認められるという事は、そのような強者になるという事だ。

 私の実力はというと、同年代が相手ならば“姉以外には”勝てる自信がある。

 姉に勝てない時点で既に後継者の資格は得られないのだが、後継者になり得る若い大人たち――従兄弟のディランなどにも、決闘して勝てるとは思えない。


 姉の望みを叶えるためには、私は決定的に能力が足りていない。

 その事実が悔しくて悔しくてたまらない。


 もし私に姉に匹敵するほどの実力があれば、一か八か明日決闘を仕掛けて、後継者の資格を奪い取ろうとしたかもしれない。

 だが、今の私が姉に決闘を挑んだところで、勝てる目は万に一つもないだろう。


 このままでは、家出という形で、家との繋がりを断てないまま姉は旅立ってしまう。

 それは私にとって、断じて許容できない事だった。

 家出が決行されるまでの一日、私は何か良い方法がないか、見込みはまるで見えないが、それでも方法を模索する事にした。

 

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