049-しがらみ
地下倉庫での一件から三日が過ぎた。
あの後、事件に関わった各勢力はいずれも事後処理に忙殺された。
フランブルク商会は破壊された設備の修復や狂ってしまった業務スケジュールの調整に関係各所への説明。
ガドアの兵士は一連の事件の反省と対策、負傷者の治療、関所でのチェックの厳重化とそれに伴う渋滞への対策。
ネペンテスは内部に潜り込んだ、または寝返ったディオネア側の人間の洗い出し。
事件の当事者で、さらにボクスとの殴り合いで片目が塞がるほど顔が腫れていたロベルトだったが、「動けるなら働いて療養中のザガの穴を埋めろ」という会長と支部長の命令により、彼もまた事後処理に奔走していた。
尤も、当の会長と支部長も一緒になって必死に業務をこなしていたため、ロベルトも今回はそこまで二人の命令に対して不満はなかった。
三日に及ぶ事後処理で、ようやく時間の余裕が作れたロベルトは、同じく余裕ができたヘイル会長にずっと気になっていた質問を尋ねた。
「倉庫でメリアが持っていたあの杖、あれはお袋のだよな?」
「……気付いていたのか」
ヘイル会長はカップの中の茶を飲んでから、仔細を語った。
「ああそうだ、あれはラマレアの杖だ。俺が持っていたのを、あの子に貸したんだ。……気に入らないか?」
「いいや、そうじゃねえ。メリアの事は俺も信頼している、貸したことは別にいいんだ。……ただ、あんたがあの杖を持っていたのが気になったんだ」
「死んだ嫁の形見を持ち歩いていることがそんなに不思議か?」
「あんたに限ってはな。……行く先々で女を作り孕ませるあんたは、お袋のことを忘れているのかと思っていた」
「そんなわけあるか、馬鹿野郎が。一度愛した女を忘れるわけがねえ」
「他の女を口説いている時にその言葉を言ってみろよ、クソ親父。……まあその言葉が聞けて、少しは気が済んだよ」
ロベルトが席を立ち、仕事へ戻ろうとする。
しかし、そのロベルトをヘイル会長は呼び止めた。
「待てよ、ロベルト。……お前の話も聞かせろよ」
「はぁ?」
「……アリアちゃんとメリアちゃんだよ。お前、なんであの二人を拾ったんだ?」
「使えると思ったからだよ。実際、二人とも極めて優秀な人材だ。あんたも知ってるだろ」
「ああ。そして、二人ともワケありだ。しかもそのワケは、下手すりゃ優秀さを差し引いてもチャラにならないくらい、厄介なもんだ」
「……支部長から話を聞いたのか? もしそうなら、あいつらの事情はほとんど知ってるんだな」
「ああ。……ハイスバルツ家はめんどくせぇぞ。何が一番めんどくせぇって、この地方で魔法石の商売をするなら、あの家と全く関わらねえのはほぼ不可能ってところだ。お前、魔法大学からの仕事で魔法石をしこたま仕入れていたよな。お前が余程の馬鹿じゃなければ、この件に遅かれ早かれハイスバルツ家が関わってくるのは理解しているはずだ。……お前、あの姉妹をどうするつもりだ?」
「……俺は」
「おっと、これはもう雑談じゃねえ。今の俺はフランブルク商会の会長で、お前は商会の従業員だ。お前は商会のために、そして利益を上げ商会の人間を守るために、どんな判断を下すつもりだ?」
フランブルク商会の人間として、どのような判断を下すのか。
これはヘイル会長からロベルトへのテストに他ならなかった。
「……答えは決まっている。最も大事なものは、この商会を構築する従業員全員だ。俺はフランブルク商会の人間全員を守る。その事を最優先として、判断を下す。あいつらは――」
◆
貧民窟の片隅にある廃墟。
そこではいつも通り、マースが肘掛け椅子に腰掛け仕事の依頼を待っていた。
マースが頭の中で情報収集の計画を練っていると、見慣れた来客が現れた。
「あれ〜、ザガくん久しぶりだねえ」
「久しぶりってほど日にち空いてねぇだろ」
現れたのはマースの常連客の一人、ザガだ。
思っていたよりも元気そうな彼の姿を見て、マースは安心する。
「怪我してお仕事お休み中って聞いたよお? 実は軽傷だけどズル休みなのかなあ?」
「ンなわけあるか。背中に矢傷を受けちまってな、背中の筋肉を使う度痛みやがる。おかげでロクに荷物も持てねえ」
「商会の従業員としては致命的だね〜。それで今日はどうしたの? もしかしてお話しに来てくれたのかなあ」
マースがニヤニヤしながら揶揄うと、ザガは手に持っていた麻袋をテーブルの上に置いた。
麻袋はテーブルに置かれる時、ジャリンと音を立てた。
「何これ?」
「何ってお前、この前の報酬だよ。ネペンテスとのいざこざに巻き込んじまったからな」
「でもザガくん、いつもの倍額って言ってたでしょ? これ五倍くらいあるよね? ザガくんがいくらもらってるか知らないけど、さすがにちょっと心配になるよ?」
「……聞いたぞ。お前あの後、ネペンテスのチンピラにしつこく絡まれたそうだな。その詫び代だよ」
「えぇ〜いいのに別に。あれくらい、裏で仕事をやってたらよくある事だよお。まあザガくんがくれるっていうならいただくけどね」
そう言ってマースはサッと袋を懐にしまう。
それから少しもじもじしてから、マースは長い前髪の隙間から上目遣いでザガを見つめた。
「……ねえザガくん。この後ご飯でも行かない?」
「ああ? どうしたんだよ急に」
「ネペンテスの追手に幻覚魔法を使えーってあたしに指示を出した時、ザガくんまるで自分が幻覚魔法の使い手みたいに振る舞ってくれたでしょ? おかげであたしはネペンテスからの疑いを誤魔化せたんだ。まあ、代わりにザガくんについて教えろって付き纏われたんだけどね〜。その優しさのお礼がしたいんだ〜」
「……まあ、いいけどよ」
「もちろんお店はあそこだよ? ザガくんが好きそうな女の子が何人もウエイトレスをやってる歓楽街のお店! 今日は仕事を休みにしてみんなも連れてこうかな〜」
楽しそうにこの後の計画を語るマースに、ザガは肩透かしを食らったような気分になりため息をついた。
「あ、もちろんザガくん自分の分は自分で払ってね?」
「お礼ならおごりじゃねえのかよ!?」
◆
フランブルク商会の宿舎、メリアの部屋。
地下倉庫での戦いの後、メリアはずっと高熱に苦しんでいた。
意識がなくなるほどではないが、出歩くのも大変でほとんど一日中ベッドの上にいる。
高熱とそれに伴う身体の痛みで、思考もずっと混濁している。
看病についてはありがたいことに、姉と部下の子供三人が代わるがわるやってきて世話をしてくれるのだが、みんな心配のあまりずっと部屋にいようとするのがメリアにとって落ち着かなかった。
みんなメリアが頼むと部屋から出ていってくれるのだが、メリアが寝て目覚めると大体誰かが部屋にいた。
今もまた、メリアが目を覚ますとベッドのすぐ横の椅子に姉が座っていた。
「あら、目覚めたのね、メル。お水飲む?」
「……うん。ありがとう、姉さん」
メリアは姉から差し出されたコップの水を飲む。
喉はだいぶ乾いていたようで、メリアは一気に水を飲み干した。
空になったコップの底を見つめ、メリアはポツリと疑問をこぼす。
「もう、どうしてハイスバルツの人間はこの歳になるとこんな熱が出るの?」
それは苦しい現状とあたかもそれが運命付けられたかのような理不尽への不平に他ならなかったが、言ってからメリアはハッとした。
姉さんはこの熱を経験していない。
そのせいで一年前、周りの人間にやはり不良品だなんだと陰口を叩かれていたことを、姉は気付いていた。
メリアはおそるおそる姉の方を見つめたが、特に気にしている様子は見受けられない。
アリアはそんなメリアの表情を見ると、クスリと笑った。
「もしかして、今の言葉であたしが傷付くと思った?」
「……姉さんには隠し事できないなあ」
「ふふっ、ずっと貴方といるんだもの。当たり前じゃない。……家のこととか、後継の資格とか、あたしはもう気にしないわよ。だってあたしは自由になったんだから! もうあの家のしがらみなんて関係ないわ」
「うん……。そうだよね」
――もうあの家は関係ない。
もしもこのままハイスバルツ家に見つからず、どこか遠くへ行ったりしたら、きっと本当にそうなる。
そうなれば本当の名前を名乗る事は無くなって、私は本当にメリア・フランブルクになる。
メリアは自分の握った拳に、いつの間にか力が入っていたことに気付いた。
そしてあの日の事を思い出した。
生まれ育った家と街を飛び出した、あの日の事を。