047-叫び
「なぁ、嬢ちゃん……。お前、治癒魔法みてえのは使えねえのか?」
「ごめんなさい。今のあたしには無理。治癒魔法って、雑に使って回復させられるものじゃないの。具体的な症状と原因とその対処法が分かった上で、魔力でその対処をやるものなの。医学の知識がないと逆効果になりかねない」
「魔法ってのも……言うほど万能じゃねぇんだな」
杖を構えたアリアと、毒に侵されたヒョウが並び立ち、ビットとボクスに向かって臨戦態勢を取る。
そのアリアとヒョウに向かって、ビットは片手を上げて静止のポーズを取った。
「お二人とも、お待ちください。我々は人質を取っていることをお忘れではありませんか? ……ボクス」
ビットに促され、ボクスが持っている匣を掲げてみせる。
「パーラから話は聞いてんだろう!? フランブルク商会会長、そしてその娘にガドアの女がこの魔法の匣の中に閉じ込められている!! 俺がこの匣を破壊しちまえば、中の空間ごと人質は押しつぶされるってわけだ!! ガッハッハ!!」
ボクスが大声で説明し、勝ち誇った顔で高笑いする。
「つまり、その匣さえ奪ってしまえば、君たちの優位性は失われるわけだね?」
突如、ビットとボクスの背後から声がする、二人は慌てて振り返るがそこには誰もいない。
しかし、その一瞬で異変が起こった。
「おい、ボクス!! 匣はどうした!!」
ビットに指摘され、ボクスは自分の手の中から匣がなくなっている事に気付く。
アリアとヒョウの方を睨みつけると、そこには先ほどまでいなかったはずの人物が現れていた。
銀髪で片目が隠れた、長身の少女がそこにいた。
少女のそばには先ほどまでボクスが持っていたはずの匣が浮いていた。
「……ねえ、前言ってた決闘は得意じゃないって話、やっぱり嘘じゃないの? あたし、全然あなたの動きを追えなかったわよ」
「私は時間いじりだけは人並み以上な自信があるんだ。攻めたり守ったりはやっぱり得意じゃないよ」
「無詠唱魔法が強いって言われるのは詠唱魔法より速いからなのよ? つまり速さこそ強さなのよ。 ……あなたが魔法大学の首席なのも納得ね、リセ」
突然現れた助っ人は、魔法大学の首席、リセ・シュニーブルだった。
騒ぎを聞きつけレインを心配して商会に訪れた彼女を、アリアが一緒に連れてきていたのだ。
リセはアリアに微笑みを返すと、次の瞬間にはロベルトと倒れたザガのそばにいた。
「うおっ!?」
驚くロベルトをよそに、リセは魔法で浮かせていた匣を近くに置き、ザガの矢傷を調べ始める。
匣は地面に置かれた時、その小さな見た目からは想像できないほどに重そうな音を立てた。
「驚かせてすいません、ロベルトさん。私はリセと言います。……私は少しだけ治癒魔法が使えます。こちらの方の容体を確認してもよろしいですか?」
ロベルトに一応確認を取るリセだが、すでに返事を待たずに矢が刺さったザガの背中付近の服を魔法で裂き、傷口を調べて鞄から薬瓶を取り出している。
理解が追いつかない状況に混乱していたロベルトだが、ザガを助けてくれると言うのなら断る理由などなかった。
「……ああ、ザガを頼む……! 何か、俺にできることはあるか?」
ロベルトにそう尋ねられると、リセは後ろを指差した。
その指の先にはビットとボクスがいた。
「あの人たちに邪魔されないよう、私を守ってください。この方の応急処置が終わって、匣の中からみんなを助けたら、私も加勢します」
「ああ、任せろ!!」
ロベルトは威勢よく返事をし、リセたちを背にビットとボクスに立ち向かった。
一度は追い詰められ絶望的状況に捨て鉢になっていたロベルトだが、今はもう状況が変わった。
ここを凌げばみんなを助けられる。
その希望にロベルトの心が燃えていた。
一方で、みるみるうちに状況が悪化したビットは、怒りに拳を震わせていた。
「ぐっ……ふざけるなぁ!! ボクス、お前はその若造を殺せ!! 私がこの二人を始末する!!」
指示を受けるや否や、ボクスはロベルトに向かって突っ込む。
ロベルトはボクスを正面から受け止め、巨体の二人は互いに互いを押し合う形になった。
一方、ビットは懐から瓶を取り出し、取り出した手の親指で蓋を弾き飛ばし、中の液体を一気飲みした。
「あれは……っ! おい、ビットやめろ……!!」
「えっ、何なのあれ!?」
液体について知っているような反応を見せたヒョウに、アリアが尋ねる。
ヒョウは毒の苦しみに耐えながら、最低限の説明を伝えた。
「肉体強化薬だ。飲めば一時的に強くなれるが、限界を超えた力に耐えかねて身体が壊れる……! しかも、あれはあんなガブ飲みするもんじゃねぇ……!!」
薬を飲んだビットは、見るからに呼吸が荒くなり、さらにはその場で雄叫びを上げた。
次にアリアとヒョウを睨んだ時、ビットの目は真っ赤に充血していた。
「ふ、ふふっ、はははははっ!! さあ、ヒョウ!! 今度こそ、お別れの時です!!」
「ビット……お前、そこまで復讐が大事かよ……!?」
「ええ、私はこのために二年間……、いいえ、それよりもずっと前、この街に来る前から、フランブルク商会への復讐を願っていたのですから!!!」
言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、ビットは一瞬にしてアリアとヒョウの方に魔弾銃を向け、弾を乱射した。
改造が施された魔弾銃が放つ弾丸は、ビットの力が増大したとともに一撃一撃の破壊力が何倍にも増していた。
危険を察知した二人は、ガードなど考えず咄嗟に左右に分かれ弾から逃げる。
流れ弾が当たった木箱の山は、轟音とともに木屑となっていく。
「やば……! 早くあいつを止めないと……!」
横に飛び込んで弾を回避したアリアがビットがいた方を向くと、ビットは想像よりもずっと近い場所にいた。
弾を避けられてすぐ、アリアの方へ突進していたのだ。
アリアめがけて、ビットの左拳が振り下ろされる。
アリアは咄嗟に自分の近くに強力な風の魔法を発生させ、自分とビットをそれぞれ後方に吹っ飛ばした。
アリアは後方の木箱に激突する前に追加の風魔法で減速した。
ビットは吹き飛ぶはずがその場に踏みとどまり、風が止むとアリアに追撃を仕掛けようとさらに突進してきた。
しかし、そのビットにヒョウが横から飛び蹴りを喰らわし、ビットを横転させた。
「俺を殺すんじゃ、なかったのか!? ビット!! ……ぐふっ」
そう啖呵を切るヒョウだが、その口からは血が流れ出ている。
未だ人間離れした身体能力を発揮しているが、毒による身体へのダメージが深刻なのは明らかだった。
「……知っているでしょう? 私は、好物は後に残しておくタイプなんですよ!!」
ビットが素早く起き上がりながらヒョウに向かって銃を乱射する。
走り出し、またかわそうとするヒョウだが、今度はヒョウだけを狙って銃が撃たれ続け、ついにヒョウの足を捉えた。
「ぐあっ!!」
足を負傷したヒョウは体勢を崩し、走る勢いのまま転倒する。
「あなたにとどめを刺すのは最後です、ヒョウ。さあ、次はお前――」
話している途中のビットに、魔法の吹雪が襲いかかった。
吹雪は急速にビットの体温を奪い、動きを鈍らせる。
「ぐ、ぐおおおお!!!」
「二人同時に戦うっていうのはこういうことよ!! 一人にばかり気を取られていると、もう片方に攻撃の準備をさせるほどの隙を与えてしまうんだから!!」
得意げなアリアの表情を見て、ビットは内心ほくそ笑んだ。
確かにアリアの狙い通り、ビットは今冷気により身体の動きが鈍くなっている。
しかし、魔弾銃の攻撃にそんなものは関係ない。
銃身さえ握れていれば、いくらでも魔法の弾丸を飛ばせる。
火薬の銃のように火をつけたり引き金を引いたりと言った手順は必要ない。
ビットは吹雪にやられるふりをして、最速にして最強の弾丸を放つ準備を進めた。
今注げる全ての魔力を、密かに魔弾銃に込め――。
「死ね」
アリアに向けられた魔弾銃から必殺の一撃が放たれる。
だがこの時、ビットにとっての更なる想定外が起こってしまった。
「ぐげえええええ!!!??」
ボクスが吹っ飛んできて、ビットの身体にぶつかり、銃の狙いがぶれてしまった。
ロベルトがその顔面を腫らしながら、ボクスとの殴り合いに勝利したのだ。
銃から放たれた弾丸はアリアの横を通り過ぎ、無数の木箱を貫通して壁面に拳ほどの穴を開けた。
もしもアリアに命中していれば、身体に大穴が開き絶命していただろう。
ボクスの巨体にのしかかられ、急速冷凍でほとんど身体も動かせず、ビットの頭の中に敗北の言葉が浮かび上がる。
育て親が粛清されたあの日から、燻り続けていた復讐の炎が、敗北など受け入れてたまるものかとビットの心の中で激しく燃え盛る。
この事態を決定づけた最後の決め手が、フランブルク商会会長の娘と息子によるもの、というのが余計にその怒りを助長した。
たとえ何を犠牲にしてもどんな手段を使ったとしても、フランブルク商会の人間に苦しみを与えてやる。
一生涯傀儡とし搾取し尽くし最後は苦痛の中で殺すことが敵わないのなら、せめて。
お前の大切なものをこの世から消し去ってやる。
ロベルトがボクスから受けたダメージでその場にへたり込んだのを確認すると、ビットは最後の力で銃口をロベルトに向けた。
へたり込んだ今のロベルトに弾丸をかわすことはできない。
「死ね……死ねぇぇぇええええ!!!」
ビットの叫びが、倉庫の中にこだまする。