045-奇襲
日がほとんど沈みかけ夕闇に覆われた貧民窟、その一角にある屋敷の廃墟。
セルリの街からの脱出を図るビットとボクスの姿がそこにあった。
「フゥー、マジでボロい屋敷だな。本当にここに通路があったとして、まともに使える状態なんだろうなあ?」
「足元をよく見ろ。建物の外観に比べ、床は手入れがされているだろう。ここに、ネペンテスが使う秘密の通路がある。現に数日前、この通路からお前が持つ匣を仕入れたのだからな」
「しっかし、これで二年に及んだボスからの指令もようやく完了か。俺もお前も、わざわざこの街に潜伏させられ、タイミングが来るまで我慢させられたんだ。報酬はたんまり貰わねぇとなぁ?」
二人は屋敷の奥に進んでいき、食堂に辿り着く。
食堂のテーブルの上には灯りのついたランプが置かれ、そばには二人の男が立っていた。
ビットが前に歩み出て、男たちに声をかける。
「見張りご苦労。何か変わった事は?」
「特にありません。……やはり、関所は塞がれましたか」
「ああ。だがここが無事なら問題ない」
「おいおい、コイツらお前の部下なのかよ!?」
後ろで話を聞いていたボクスが驚きの声を上げる。
そのボクスをビットは不機嫌そうな眼差しで睨んだ。
「あまり大きな声を出すな。……当たり前だろう。この計画のために二年も準備していたのだぞ? ここの見張はしばらく私の息がかかった者の担当だ。……おい、お前たち。通路への道を開けろ」
ビットから指示を受け、二人の男が空っぽの食器棚を横にずらす。
食器棚があった場所の壁には、地下へ続く階段が隠れていた。
ランプを片手に持ったビットを前に、ボクスが後ろに続き、階段の方へ進んでいく。
「しばらくしたらこの屋敷に火を放て。私たちの後に、この通路を使えるものがいないようにな」
「おいおい、放火は殺人以上の重罪だぜ? 部下にそんな事命じるなよ」
ビットの指示に、部下の二人以外の誰かの声が返事をした。
ビットは慌てて振り返るが、ボクスの巨体が邪魔で様子が見えない。
「ボクス!! 邪魔者だ、始末するぞ!!」
ボクスは始め、声の主がビットの部下のうちの一人と勘違いしていたようできょとんとしていたが、ビットの言葉で状況を理解し、すぐさま振り返った。
それと同時に、ビットの部下二人が悲鳴を上げばたりと倒れた。
「おいザガ!! 危うく奇襲が失敗するところだったじゃねぇか、カッコつけんな!!」
「はは、すいません、若。でも成功したじゃないすか」
ビットの部下二人が倒れたそばには、それぞれ別の男が立っていた。
それは、ネペンテスの本部へ話し合いに向かったロベルトとザガの二人だった。
階段から出てきたビットとボクスがロベルトとザガたちと対面する。
「……フランブルク商会会長の息子とその付き人ですか。なぜこんなところに?」
「この状況でその言葉遣い、あんたが噂のビットか。横のデカブツ、あんたは誰だ?」
「デカブツだとてめぇ!!? 親が親なら子も子だな!?」
激昂したボクスがロベルトを怒鳴りつける。
一方のロベルトは、今のボクスの言葉を冷静に分析していた。
まるでヘイルにも同じように侮辱されたかの物言いをしたからには、既にどこかでヘイルと会い、もしかしたら攫うか殺すかしたのかもしれない。
だが、目の前のビットたちは人間ほどの大きさの荷物を持っているようには思えない。
もう少し情報を集めたいと判断したロベルトは、あえてビットの質問に乗り、会話を続ける事にした。
「俺らがどうしてここに来れたかって聞いたよな? そりゃあ、ネペンテスの人間に教えてもらったからさ。……俺は、ネペンテスのボスに会ったんだ」
「ボスに? あなたのような若造が、ボスにお目通しかなうとは思えませんが」
「ハッ、甘いな。土産を持って正面玄関から話がしたいって訪ねたら会わせてくれたよ」
「しかし、一体何があったらボスが部外者のあなたに秘密の通路の事を話すというのです? よほど土産が豪華だったのでしょうか」
「この状況を作ってくれた遠因は、お前自身なんだぜ。ビット」
ロベルトのその言葉に、ビットがわずかに眉を顰めた。
「ネペンテスには当然良い印象はねえが、ボスは思ったよりも話の分かるジイさんだったな。フランブルク商会とネペンテスを衝突させて何かを狙ってる奴らがいる、俺たちは利用されているって伝えたんだが、どうやらボスも同じ事を考えていたようでな。そのまま協力できそうな流れだったんだが、そこでネペンテスのチンピラが部屋にやってきて俺とザガを襲ったんだ。ボスの静止も無視してな。……多分、お前の手下だろう? 独断で俺らを始末して、お前の尻尾を掴ませまいとしたんだろうが、ボスの目の前で指示を無視してまでやったのが大失敗だ。今、ネペンテスの本部じゃあ、裏切り者を洗い出そうと疑心暗鬼の大騒ぎだぜ。で、ボスは俺らに、裏切り者の逃げ道になりうる秘密の通路を教えて、先に向かわせたんだ」
「……動きやすさを優先して、手下を増やしすぎたのが仇となりましたか。無能な働き者は、敵以上に厄介なものですね」
「お前、手下が悪いと思ってるな? 適材適所に人材を配置できなかった、上司のお前のミスだぜ」
「……黙れ若造がッ!!!」
ビットは突如魔弾銃の銃口をロベルトに向け、発砲した。
ロベルトは慌てて物陰に飛び込み、かろうじて弾丸を躱す。
「若!!」
「おらよっ!!」
咄嗟にロベルトに声をかけるザガに、今度はボクスが近くにあった椅子を投げつけた。
ザガは飛び込むように前転し、椅子を避けながらロベルトの元に駆け寄る。
家具の影に隠れて魔弾銃の射線から隠れた二人だったが、二人の耳に、ドタドタと足音が聞こえた。
「まずい、奴ら逃げるつもりだ! 追うぞザガ!!」
ロベルトが物陰から出て、隠し階段の入り口から奥を見ると、ランプの灯りがぐらぐらと揺れる様子が見えた。
ビットとボクスが階段を降りているのだ。
ロベルトとザガもまた階段を駆け降り、後を追う。
階段は長く、ずっと降りてたどり着いたのは、魔法石のぼんやりとした灯りに照らされた広い空間だった。
そこにはいくつもの木箱が置かれていて、まるで倉庫のようだった。
「ネペンテスの密輸品の倉庫か? 通路から直結にする事で輸送と隠蔽の手間を省いたってところか」
「若、今は商人として分析してる場合じゃありません」
「分かってる、通路を見つけて奴らを捕まえねえと……うおっ!?」
不意に飛んできた魔弾がロベルトの顔を掠め、後ろの木箱を破壊した。
弾が飛んできた方を向くと、一瞬ビットの姿が見えたがすぐに木箱の陰に隠れた。
「若、ビットの奴は密輸仕事を管理していたって話です。きっと、この倉庫の事もよく知っているはず……」
「情報も地の利もあいつ側にあるって事か。しかもあの魔弾銃、あれで一方的に狙われるのはまずいな。かと言ってここで身構えているだけじゃ、奴らに逃げられるかもしれねえ」
「ですが若、この倉庫は音がよく響きます。ここで足音を立てないようにすれば、そう速くは動けません。つまり、奴らも音を立ててない限りは走って逃げたりはしてないはずです」
「……よし、ザガ。手分けして奴らを探そう。奴らを見つけた方が、声を出して場所を知らせる。奴らを見つけるまでは、俺らも出来るだけ音を立てず、潜むんだ」
「了解です。お気をつけて」
その言葉を最後に、ロベルトとザガは口をつぐみ、二手に分かれて倉庫内を探索し始めた。
自身の呼吸音が聞こえるほどの静寂、いつ敵を見つけいつ攻撃されるか分からない緊張感、こうしている間にビットたちは逃げてしまうかもしれないという焦燥感。
それらがもたらすプレッシャーと恐怖を、ロベルトは意志の力で御してみせた。
商会の皆の力で成長したフランブルク商会は自身が継いでみせる、そしてフランブルク商会から何かを奪うなんてことは絶対にさせない。
その意思がロベルトに恐怖に打ち勝つ勇気を与えていた。
ロベルトは音を立てずに倉庫内を探索するうちに、木箱が置かれていない開けたエリアにたどり着いた。
その奥には幅の大きな出口があり、出口の先には魔法石の薄明かりに照らされた通路が延々と続いている。
きっとこの先が街の外に通じているのだろう。
出口の幅からして、もしかしたら馬車などで外からここまで荷物を運び、この広場で荷下ろしをしているのかもしれない。
ロベルトは広場には踏み込まず、その場から通路の先を見つめたが、通路の視認できる範囲に、動くものは特に見えない。
だからビットたちはまだこの倉庫内にいるはずだとロベルトは確信した。
そして同時に、ビットたちの目下の狙いについても見当がついた。
この場所を知っているビットたちは確実にロベルトたちよりも先にこの出口にたどり着けるはずなのに、どうして通路の先へ逃げていないのか。
ロベルトは広場の周囲を用心深く観察した。
そして深呼吸をして、広場に踏み出し出口へ向かった。
先ほどまで意識して静かにしていた足音を、今度は意図的に鳴らしながら歩いた。
広場の中央あたりに至った瞬間、銃声と共にロベルトに向かって魔弾が発射された。
しかし、ロベルトは前へ飛び込むように転がってその弾丸を避け、外れた魔弾は倉庫の石壁へと当たり大きな音を立てた。
「なっ、かわしただと!?」
発射地点で銃を構えていたビットが驚きの声を上げる間に、ロベルトもまた声を上げる。
「ザガ!! 聞こえたな!! ここに奴らがいるぞ!!」
その声の後、木箱の山の方からギシッ、ギシッと音が聞こえたかと思うと、木箱の上を飛び移り、すぐさまザガが広場まで現れた。
ザガはロベルトの立ち位置と石壁に空いた穴を見ると、ため息をついた。
「……若、自分を釣りの餌にするような、危険な真似はやめてくださいよ」
「悪いな、これが一番手っ取り早く確実に奴らを見つけられると思ってな。通路から逃げてねえ以上、この倉庫内で俺らを始末しようとしてるのはすぐ分かった。で、正面から喧嘩を仕掛けて来ない以上、奇襲か罠で攻撃しようとしてるのも読めた。それでこんなおあつらえ向きの出口と広場があれば、絶対に待ち構えてると思ったんだよ」
「ハァ……まあいいか。で、若。これからどうするおつもりで?」
ロベルトとザガの二人は、広場を囲う木箱の山のうち、不自然に隙間が出来ていた場所を睨みつける。
そこは銃弾が発射された場所であり、ビットが銃を構えて半身を乗り出していた。
「……若造。どうやらあなたと私は似たタイプのようですね」
「似てる? 俺とお前が? 馬鹿言うなゲス野郎」
「あなたの事を侮っていたのを認めねばなりません。今の攻撃が読まれ、かわされるとは思いもしませんでしたよ。ただね……」
ビットが木箱から降りて広場に立ち、後ろを警戒していたであろうボクスも次いで現れる。
「私は、念には念を入れるタチなんですよ。そのために……わざわざこの倉庫まで来たんですから!」
その瞬間、先ほどまでビットが乗っかっていた木箱に穴が空き、何かが連射された。
雷を纏った矢だ。
「この倉庫にはネペンテスが密輸した武器が無数にあります!! 今の私の武器はこの銃だけではないのですよ!!」
想定外の攻撃に、ロベルトの反応が遅れる。
予想できていればかわせる攻撃も、不意を突かれ反応が遅れればかわすことは出来ない。
今にもロベルトに矢が刺さろうという刹那、獣のような身のこなしでザガが矢とロベルトの間に割って入った。
雷を纏った数本の矢がザガの背中に突き刺さる。
「ぐっ、ぐがあああぁぁぁぁあああ!!!」
「っ、ザガァァーーーーッ!!!」
目の前の光景に衝撃を受け、ロベルトは兄弟同然の男の名前を叫んだ。