043-カミングアウト
メリアが目を覚ますと周りは暗闇だった。
だが、その暗闇は暗闇ではなかった。
周囲には果ての見えない漆黒が広がっているのに、メリアの視界に入った彼女自身の手は、まるで陽に照らされているかのようにくっきりはっきりと見えた。
真っ暗なようで明るい、奇妙な空間にメリアはいた。
「目覚めたのね。大丈夫? 痛いところとかはない?」
倒れた状態から身体を起こし、声がした方を向くと、そこにはレインが膝を抱えて座っていた。
そばにはヘイル会長が倒れている。
どうやら眠っている、というか気絶しているようで、顔や腕などには打撲痕がいくつもある。
「……ここ、どこ?」
メリアの問いに、少し思案してからレインが答える。
「多分だけど、あのボクスって男が持ってた匣の中」
「えっ……? 匣?」
「メリア、あなた、黒い煙が出てからの事はどれくらい覚えている?」
メリアはあの黒い煙が出て、身体が動かせなくなってからの事を思い出しながら言葉にしていく。
おそらく、ヘイル会長がビットに撃たれた後、身体が耐えきれなくなってメリアは意識を失ったのだろう。
「と、言うことは、あたしより早いタイミングで気絶したのね。……あいつの話が本当なら、魔法の能力が高い人ほどよく効く毒らしいし。ちょっと悔しい。……まあ今はいいわ」
そう言いつつもレインの顔はどこか不満気だった。
「ねぇレイン、あなたはあの匣がなんなのか、知っていたの?」
「前に魔法大学の授業で学んだだけで、実物は見たことなかったけど……あいつらの目的と状況からして、あれはディメンションキューブだと思う。あの小さな匣の中に空間が広がっていて、匣の体積よりはるかにたくさんの物を収納できるの。そして収納したものの重さも大幅に軽減してくれる」
「すごい、そんな魔法の道具があるんだ。フランブルク商会の人たちが、荷運びが楽になるって喉から手が出るほど欲しがりそう」
「実際、何かを輸送する用途で作られた道具よ。でも、まだ量産には程遠いみたいで、海の向こうのとある国で、職人が手作業で作るらしいわ。だから物凄く高価。……話が逸れちゃったけど、つまりあいつらは、ヘイル様を攫うためにディメンションキューブを用意したんだと思う。ヘイル様ほど大柄な人間でも、片手に収まる大きさの匣にしまえるんだもの。どこかにこっそり攫うにはうってつけよ」
「……ここから出る方法は?」
「分からないわ。持ち主が中身を取り出そうとしないと、多分出れない。実際はそうでもないのかもしれないけれど、今あたしたちに杖はないわ。出来ることは何もないの」
そう言われて、メリアは自分の杖がどこにもない事に気付いた。
宿舎の廊下で倒れた時手放してしまい、そのまま匣の中に閉じ込められてしまったのだ。
「ごめんなさい、あたしも自分の杖がなくて、せめてあなたの杖が使えないかって勝手に探させてもらって……。って、メリア、泣いてるの!?」
メリアの瞳からは今にも大粒の涙が溢れようとしていた。
メリアは思わず自分の顔を覆う。
レインは慌ててメリアに謝る。
「そ、その、ごめんなさい!! 緊急時とはいえ、勝手にあなたの服をまさぐる――」
「ち、違うのレイン。……私、杖を、失くしてしまったのが……悲しくて……ひぐっ」
レインは涙を流し嗚咽するメリアに駆け寄った。
そして彼女が落ち着くまで、黙って彼女の横に座っていた。
「……ごめんね、レイン。急に泣き出したりして」
「構わないわ。……あなたにとって、あの杖ってとても大切なものだったのね」
「うん。……あの杖は、私が六歳の誕生日に貰った最初の杖なの」
「最初の!? あなた、凄く物持ちが良いのね……」
「姉さんと同じように杖を持てたことが嬉しくて、大切にしてたんだ。そして今ではもう私の身体の一部みたいなものだった。私の本当の心を知っている、唯一の存在」
「……唯一?」
唯一という言葉に、レインは引っ掛かりを感じた。
メリアが彼女の姉の事を深く尊敬している事をレインは知っている。
そしてアリアとメリアははたから見ていてとても仲が良い。
だから、メリアが本音を伝えられる相手に、当然アリアも入っているものだと思い込んでいた。
「メリア、あなたアリアさんに話せない事があるの?」
レインのその言葉に、メリアは思わずビクッと身体を震わせた。
どうしてレインにそんな事を聞かれたのか、すぐに理解はできたが、鼓動を早めた心臓はなかなか落ち着かなかった。
「……ある。……後ろめたい事では、な――ううん、もう後ろめたいな」
「無理に話さなくてもいいわ。……例え肉親でも、秘密にしたいことの一つや二つあるわよね」
「……レインも、ある?」
メリアのつぶやきにレインは頷いた。
「あたし、三人兄妹の末っ子なの。少し歳の離れた姉と、もっと歳の離れた兄がいるんだけどね。二人とも、ガドアの人間として、セルリの街を守るために立派に務めを果たしている。自慢の姉と兄」
「レインは自分の家を誇りに思ってるのね」
「あなたは違うの?」
「えっ? あ、あー……。その」
「ああ、ごめんなさい。……メリアは、ヘイル様と、その……」
「う、うん。……ちょっと複雑な関係が、ね」
メリアは自分の家の話を追求されボロが出ることがないように、レインに話の続きを促した。
「姉さんはこの街屈指の優れた剣士で、兄さんは魔法大学でかつて首席だったほどの魔法使いなの。それであたしは……どっちつかず。姉さんより魔法は得意だけど、剣の腕では到底敵わない。兄さんには剣では勝てるけど、魔法の扱いでは追いつける気がしない。二人には出来ない事をやるぞって気持ちで、魔法大学に通いながら剣も学んでるんだけど、あたしはあたしを認められていない。兄さんも姉さんも、この剣と魔法両方を使うあたしだけのスタイルを褒めてはくれる。褒めてくれるのに、あたしは……褒められる時、“自分より下に見てるから褒めてくれるんだろうな”だなんて、邪推してしまうの。醜いわよね、あたし」
「それってもしかして、私やリセさんに褒められる時も?」
メリアの質問に、レインは言葉を詰まらせたが、やがて諦めたようにため息をついて答えた。
「そう、ね。はっきりと意識したことはなかったけど、兄さん姉さんに褒められる時と似たような感情になっていたのは否定できないわ」
レインはそう言って俯く。
メリアはレインに対して、いつも真っ直ぐで元気で明るいという印象を彼女に持っていたが、こんなにセンチメンタルなところは初めて見た。
しかし、だからこそメリアはこれまで以上にレインにシンパシーを感じることができた。
「私とレインって、思った以上に似たもの同士だったのかもね」
「え?」
「同年代の子たちより魔法が得意なところだけじゃない。……とても負けず嫌いで、尊敬している相手にさえ、劣等感を抱きながらも勝ちたいって思っちゃうところ、似てるよ」
「あたし、そこまで言ったかしら」
レインに指摘されてメリアは気付いたが、確かにレインは負けず嫌いとか勝ちたいとかの言葉は直接的には言っていない。
レインの話に自分の姿を投影して、更には自分の秘密も漏らしている事に気づき、メリアは恥ずかしさから自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
「メリア。さっきのあなたの秘密って、もしかして」
「……秘密っていうか。……言葉にするのが、怖いの」
「……さっきとは逆の事を言うようだけれど、言った方が楽になるわよ」
「なんで逆になったの?」
「だって、あたしの器の小さい妬みと違って、きっとあなたの秘密は恥じる事でもなんでもないわ」
「……元々はそうだったんだけどね。私自身のせいで、そうでもなくなっちゃったんだ。……でも、言うよ。レインの話を聞いててね、同じような気持ちを持っているあなたには、この事を伝えたくなったの。……。……ちょっと待って、やっぱりなんか恥ずかしくなってきた」
「恥ずかしくなんてないわ」
「笑わない?」
「笑うわけないでしょ」
「じゃあ言うよ」
「ええ」
メリアは大きく深呼吸してから、心の奥底にずっと燻っていた言葉を顕にした。
「私、姉さんに勝ちたいの」
――言っちゃった。
メリアは薄目でレインの表情を確認する。
彼女の表情に驚きの色はなく、約束通り嘲笑ったりもしなかった。
そこにはメリアの言葉を真っ直ぐ受け止めようとする、誠実さがあった。
「私、姉さんのことを凄く凄く尊敬しているし、妹として大好き。生まれた時からそばにいて、そしてずっと輝き私を照らし続けてきた姉さん。自分を強く持ち、罰を恐れず“家”の過ちにノーを叩きつける姉さん。類い稀な魔法の才能を持ち、訓練を積んだ兵隊たちが相手でも無双の強さを誇る姉さん。姉さんのことが本当に好き。でも、私――、姉さんに嫉妬していた。私もあんな才能が欲しかった。ううん、才能よりも……私は後継者の立場が欲しかった」
「後継者?」
想像していなかった単語が出て少し戸惑うレインをよそに、メリアの言葉は止まらなかった。
心の中で蓋をして抑え込んでいたものが、止めどなく溢れ出していた。
「姉さんは家のことが大嫌いだし、私もその嫌いの理由には納得しかないけど、それでも私は自分の家の素晴らしさも受け入れていた。手段は正しくないかもしれないけれど、家を守り、街を守り、民を守っていた。気に食わない部分があるなら、当主になって変えていけばいいと思っていた! だから、姉さんが後継者なんて嫌だと言うたびに……それなら私が代わりに後を継ぎたいって言いたかった! でも、非才な私が正当な後継者の姉さんに勝っている部分なんてない。ないから、私が後を継げる理由はない。姉さんが後継者の立場を捨てるって言っても、そして私が後継者の立場を手に入れても、姉さんに勝ってなきゃ、周りはもちろん私も納得できない!! だから私は、姉さんが家出するって聞いた時、凄く焦った。家出じゃ姉さんの問題は解決されないし、もしも姉さんがいなくなれば、私と離れ離れになれば、私が姉さんに勝つチャンスは無くなってしまうかもしれないって……!! だから私は、家出のことをディ……」
そこでメリアの視界に、ぽかんとしているレインの表情が映り込んだ。
それを見てメリアは急速に頭が冷え、自分が話すつもりだった以上の事を口走っていた事に気付いた。
「あ、えっと、その……」
メリアは何か誤魔化しの言葉を探すが、もうとっくに手遅れな事は理解している。
それに彼女は自身が嘘をつくのが下手だという事をそれまでの経験から自覚している。
しどろもどろしているメリアに、レインから助け舟が出された。
「ねえ、メリア。あたしたちがここで話した事は、お互い秘密にしましょう? あたしも心の未熟な部分を、あまり知られると恥ずかしいし?」