042-メンツ
「ねぇ、ヒョウって言ったかしら? いつまであたしとにらめっこを続ける気?」
アリアとガドアの兵士たちは、依然としてヒョウ一人によってフランブルク商会の敷地の入り口に足止めされていた。
ヒョウの足元には兵士が一人倒れており、人質になっている。
そのため、アリアも兵士たちも迂闊に行動を仕掛けることが出来ない。
「嬢ちゃんの名前はアリアだったな。俺はせっかちだからよォ、手っ取り早く済むなら、にらめっこなんてしねぇでここにいる全員を無力化してえんだよ。それをさせてくれねェのはアリア、お前なんだぜ?」
ヒョウもまた、アリアの実力を警戒して、人質を取ったまま膠着状態を維持するという無難な選択肢しか取れずにいた。
ヒョウの目的は、部下たちが自由に動けるように、ここで注目を集め多くの敵を足止めする事だ。
この状況で積極的な行動を起こしたとして、アリア一人に手を焼いて、他の兵士をフリーにしてしまったら元も子もない。
そんな膠着した状況は、敷地の奥から響いた一声によって崩された。
「兄さん!!!」
その場にいた皆の視線が声の主人へと向けられる。
フランブルク商会の宿舎の玄関に、声の主人、パーラが立っていた。
彼女の後ろにはメリアの部下の子供たちもいる。
「……兄さん?」
パーラが発した言葉の意味が理解できず、アリアは一瞬困惑する。
しかし、正面に立っていたヒョウに視線を戻した瞬間、アリアはその意味を理解した。
「……おいおいおい、なんだァ? なんで、パーラがここにいる?」
ヒョウのこめかみには青筋が立ち、先ほどとは比べ物にならないほどの圧を放ちながら、アリアに向かって一歩を踏み出した。
パーラの言う“兄さん”とは、ヒョウの事で間違いない。
アリアは咄嗟に臨戦態勢を立て直しながら、ヒョウに向かって弁明する。
「ちょ、ちょっと待って! おそらく誤解が……ッ!!」
アリアが言葉を言い終える前に、ヒョウがアリアに向かって飛びかかる。
アリアは杖を振り、自身とヒョウの間に氷の壁を生じさせたが、ヒョウはお構いなしとばかりに頭突きでその壁を破壊する。
次にアリアはヒョウの進路上に水の立方体を生成した。
水の中に突っ込んだヒョウは減速したものの、それでも力強く踏み込み、水の中から抜け出そうとする。
ヒョウの顔が水から出た瞬間、アリアはくるりと杖で輪を描いた。
「凍れぇ!!」
アリアの声と共に、一瞬にして水の立方体が氷と化す。
ヒョウは顔だけを外に出して、氷によって完全に拘束された。
はずだった。
「効くかよおおおぉぉ!!!」
ヒョウの叫び声とともに、氷の立方体にヒビが入る。
「――っ!! 噂以上のバケモノね……っ!!」
ヒョウの左腕が氷を割って外に飛び出す。
アリアは冷や汗を流し、慌て、次の魔法を放とうとした。
「やめて!!!」
再び響いたパーラの声で、ヒョウは急速に敵意を引っ込めた。
それを感じ取ったアリアも、魔法の発動を中止する。
自力で完全に氷から抜け出したヒョウの元に、パーラが早足で駆け寄る。
「パーラ、お前どうしてこんなとこに……? ……こいつらに監禁されてたのか?」
「違う、違うの兄さん!! とにかく、この人たちは敵じゃないの」
「だがよォパーラ、お前は知らねえかもだが、こいつらと因縁のあるネペンテスの部下が、殺されたんだ」
「……それについて、話さなくちゃいけないことがあるの」
「……何か知ってるのか?」
「多分、兄さんの知りたい事は全部知ってる。でも一つ約束して。必ず最後まで私の話を聞いて欲しいの。途中でどこかに行かないで」
ヒョウが完全に敵意を解いて、ほっとして気が抜けたアリアだったが、ヒョウと会話しているパーラを見るうちに一つの疑問が湧いた。
「ねえ、パーラさん。メルはどこ? あ、あと会長も」
アリアのその問いを聞くと、パーラはうつむきがちにアリアの方を向き、そして頭を下げた。
「アリアさん……ごめんなさい――!!」
◆
「ウソ……みんな、攫われたの!? メルも、レインも!? 会長も……」
アリアは子供たちから、真っ二つに折られた杖を受け取る。
それは紛れもなくメリアが普段使っている杖だった。
子供たちが持ってきたもう一本の杖も、ガドアの兵士に見てもらったところレインの杖で間違いなかった。
「それで、どうしてお前は見逃されたんだ、パーラ? 私には、犯人たちがお前に何らかの役割を期待しているからとしか思えないのだが」
「おいおい支部長さんよォ、俺の妹を疑ってんのか?」
「兄さんやめて。……私は疑われて当然だし、事実、役割があって見逃されています」
パーラのその言葉に、睨み合っていた支部長とヒョウが同時に視線をパーラに向けた。
「私の役割は……兄さんを犯人たちに関わらせない事です」
「俺を関わらせない? ……パーラ、そもそもなんで、その犯人たちに協力したんだ? 名前だって隠しやがって」
「名前は後でちゃんと伝える。……今伝えると、兄さんは話を聞かずに犯人を探しにいくかもしれない。……私が犯人たちに協力したのは……脅しをかけられたから」
「脅しだァ?」
「……犯人は、兄さんの身体に細工を仕掛けてる。私が協力を拒んだり、兄さんが犯人たちの邪魔をしたら……犯人はその細工を使って、兄さんを殺す気なの」
「いやいや、そんな細工、どうやって仕掛けたんだよ。ハッタリだろ? よほど俺に近しい人間じゃねェと……おいまさか」
ヒョウはそこまで言ってから、表情を強張らせ口を閉ざした。
「私はその役割があって一度捕まっても見逃され、今回もまた捕まりませんでした。この子達は麻痺毒の煙が吹き出した瞬間にヘイルさんが部屋の中に放り込んで無事でした」
「そうなの?」
アリアが尋ねると、三人の子供たちは無言で頷く。
三人とも、その目は潤んでいた。
「……で、パーラさん。その犯人たちって、一体……?」
アリアがパーラに核心を尋ねたその時、ヒョウは突然その場にいた面々に背を向け、その場を立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと貴方。どこに行くつもりよ?」
アリアが問うとヒョウは立ち止まり、ため息をついてから振り向いた。
その瞳は、怒りとも哀しみとも断定できない、複雑な感情を感じさせた。
「“犯人”のとこだ。点と点が線で繋がっちまったんだよ。……パーラ。お前の言う犯人は……ビットなんだろ? 俺に何か細工できるほど近しい人間はそう多くねえ。それに、この商会の建物内に情報を探りに行ったはずのあいつが、今のこの状況になっても現れねェのはおかしい」
「…………ええ。ビットと、それから私の店の店長のボクス。きっとその二人がこの事件の主犯。でも待って、兄さん。さっき言ったでしょ? もしも兄さんが彼らの邪魔をするようなら、兄さんは殺されてしまう……!」
「パーラ、それはあいつのハッタリなんじゃねえか?」
「……え?」
「もしも俺をいつでも殺せるなら、どうして今すぐ殺さない? 誘拐を成功させるまでは、きっと俺の事を陽動として誘拐に利用していたんだろう。だが、お前を見逃した時点であいつの目論見は確実に俺にバレる。そうなればあいつにとって、俺を生かしとく理由はねェはずだ。お前も知ってるだろう? あいつは敵には容赦しねェって」
「で、でも……もしも、何かの理由で無理には殺したくないだけで、ハッタリじゃなかったら……。それに、その……誘拐された人たちは、兄さんには関係ないでしょう!? なのに命の危険を冒すなんて」
「パーラ、違ェよ。俺は攫われた連中には興味ねェ。俺はただ、あいつが部下を殺しやがった理由を聞いて、ケジメをつけさせてェだけだ。……部下を殺され、計画に利用され、そのまま逃げられたとありゃあ、ネペンテスのメンツが潰れちまうんだよ。メンツが潰れたらギャングは死んだも同然だ。俺が死ぬことにビビってる場合じゃねェんだよ……!!」
語っているうちにヒョウの語気が少しずつ強くなっていき、最後にはヒョウの話を聞いていた全員が気圧される程の迫力となっていた。
そのまま歩き去ろうとするヒョウを、アリアが呼び止める。
「待ちなさい。犯人を追うっていうなら、あたしも混ぜなさい。妹を攫われて、黙ってられるわけないわ」
「いいのか? フランブルク商会会長の令嬢ともあろうお方が、ネペンテスなんかと絡んじまってよォ」
「妹を救うためなら、肩書きも世の評判もいらないわ」
「ハッ、嬢ちゃんとは気が合いそうだ。だがよォ、ビットのヤツは多分人質にするために妹ちゃんと、あと兵士のお偉いちゃんを攫ったんだぜ。例えば妹ちゃんと引き換えに俺と戦えって言われたら、嬢ちゃんは俺に攻撃するだろ」
「ええもちろん。でも……あたしと貴方が組めば、そもそも犯人の要求を無視して、一方的に蹂躙できると思わない?」
「くっ、はっはっは!! 気に入ったぜ、嬢ちゃん。いいぜ、組もうじゃねェか。ただし、条件が一つある。ヒョウのヤツの身柄は俺によこせ。生きたままな」
「心配しなくても殺す気なんてないわよ。あたしもメルと、それからレインを助けられたらそれでいいわ」
「おいアリア、会長の事を忘れるな」
「あっ。……忘れてるわけないじゃない、ねぇ支部長?」
アリアはじーっと睨みつけている支部長の視線から目を逸らし、そばにいるガドアの兵士にも意思を尋ねる。
「というわけで、フランブルク商会からあたしがヒョウと組んで犯人を追うけど。兵士さんはどうする?」
「……我々はこの街の兵士です。ネペンテスと肩を並べるわけにはいきません」
「お堅いのね。レインが人質に取られてるからっていうもっともらしい理由もあるのに」
「別に行動しないわけではありません。悪党には決して屈さない、それがガドアの兵士です。我々は我々で、必ずやヘイル様を救出してみせます」
「そう。……じゃあこうしましょう。あたしもやっぱりヒョウと組むのはやめるわ。だから、あたしと兵士さんたちで協力しましょう?」
「おいおい嬢ちゃん、意外と薄情なんだな」
「やっぱり信用できるのは、街の正規の兵士さんだもの、仕方ないじゃない? ……でも、もしかしたら、あたしの行く先に偶然ヒョウがいるかもね?」
「ハッ、なるほどな」
「ア、アリア様、それは」
「兵士さんたちはあたしに協力するだけ! この繋がりにネペンテスなんて関わってない!! ね?」
効率を考えれば、人間離れした戦力のヒョウと協力するに越したことはないのは、誰の目に見ても明らかだ。
しかし、表の秩序が裏に交わることがあってはならない。
表と裏の支配層の相互不可侵、それはセルリの街で古くから続く不文律だ。
代理の代表に過ぎない一兵士が、現場の判断で捻じ曲げていいルールではない。
兵士はそれを重々理解しているからこそ、なかなか答えを出せずにいた。
だが、護衛対象が奪われ、さらには自分たちの隊長さえも奪われた今、一番大事なのは迅速な問題の解決だ。
このまま犯人たちの思惑通りにさせてしまえば、それこそガドアの兵士の名誉は泥を被り、表の秩序を揺るがす事態にさえなりかねない。
「……承知いたしました。アリア様、協力いたしましょう。我々ガドアの兵士と、あなた方、フランブルク商会“だけ”で……!」
その答えを聞いたアリアが右手を差し出すと、兵士はその手をがっしりと握り返した。