032-エアボート
「姉さん、それ……それって……」
アリアが口にした“可能性”に、メリアは言葉を失ってしまった。
それは、自分の姉がどうしてひどく不安そうにしていたかの理由を理解したからだ。
自分たちが本当は姉妹でないのではないか。
つまり、アリアとメリアはそれぞれ違う親から生まれた他人なのではないか。
アリアはそう言っているのだ。
「……それなら、辻褄が合うと思わない? あたしが一族で唯一、蒼炎の魔法が全然使えない。……十五歳になってもプロメテウスの予兆が来ない。一族の人間じゃないなら、むしろ当然の事じゃない?」
そう言ってアリアは自嘲気味に微笑んだ。
いつもは自信に溢れるアリアだが、このハイスバルツ家に伝わる蒼炎の魔法の事となると、途端に弱気になる。
それは、一族で彼女だけが、一族に伝わる蒼炎の魔法が全く使えないからだ。
他の魔法には天才的な素質を見せ、その素質故に次期当主の座に収まったのにも関わらず、蒼炎の魔法だけが使えない。
これが原因となり、アリアは一族の人間から、しばしば非難を受け揉め事を起こしていた。
そして、“一族で自分だけが蒼炎の魔法を使えない”という疎外感と、“次期当主であるのに一族の象徴である蒼炎の魔法が使えない”という劣等感は、アリアが自分の一族に悪い印象を抱く理由の一部となった。
「違う。違うよ、姉さん。姉さんは紛れもなく、私のお姉ちゃんだよ。……だって、後継者だったんだよ? ……私と血の繋がりがないなんて、絶対ない」
メリアは街の真ん中というロケーションを踏まえ、言葉を選びながらアリアの唱えた可能性を否定しようとする。
しかし、その声は震えていた。
一族の血が流れていないなら、次期当主に選ばれるはずがない。
そう思い込みたいのに、姉の言った可能性を否定する、確かな根拠が思い当たらないのだ。
「……急にごめんね、メル。こんなのはあたしが勝手に言ってるだけで、辻褄が合うだけで……まだ証拠も何もないわ。だから、ね、泣かないで?」
姉にそう言われ、メリアは初めて自分が泣いている事に気付いた。
自分が泣くほどショックを受けていた事にメリアは驚いた。
◆
ランビケの研究室にたどり着くまでの間、アリアとメリアは会話を交わさなかった。
二人とも、もう泣いてはいないし表情も感情も平静だったが、どうしても口を開く気にならなかった。
ランビケは研究室の真ん中で、魔法の車の機関部分の調整を行っていた。
アリアが挨拶をし、ロベルトの代理で視察に来た事を伝える。
「それじゃあ今日はお仕事なんですね!」
「そういうこと。報告書も書かなくちゃだから、厳しく見ていくわよ?」
「それは気を引き締めなくては! ……と、お仕事を始める前に、アリアさんに渡したいものがあります」
「えっ? ……あ、もしかして!! あれね!!」
「その通りです、あれです!!」
そう言ってランビケは研究室の隅に置かれた、ベッドくらいの大きさの、白い布で隠された謎の物体を指差した。
アリアはその物体に駆け寄り、布を取っ払った。
「……すごいわラン! あたしの要望通り!」
「……何ですか? それ」
露わになった物体を見てアリアは大喜びしていたが、メリアはその物体が何なのか理解できなかった。
その物体は、木で出来た小舟のような土台に、魔法の車の座席部分についていたのと同じ取っ手が前方につけられている。
ただし、魔法の車と違い、車輪はついていない。
「あれはアリアさん専用の空飛ぶ舟……エアボートです!!」
「姉さん専用? エアボート?」
メリアがランビケの言葉に疑問符を浮かべている間に、アリアはエアボートの座席に乗り込み取っ手を握った。
そして、数秒経ってからアリアが魔法を行使すると、ふわっとエアボートが浮き上がった。
「わっ、凄い! ランさん、もしかして魔法石の加工品で、浮き上がる機構を作ったんですか? もしそうなら大発明じゃないですか」
「あはは、そうだったら良かったんですが、あたしにそこまでの技術力はありません。あのエアボートは、ハンドルが付いているだけの、本当にただの木の舟です」
「えっ? じゃあなんで浮いて……まさか」
「浮いてるのは、百パーセントアリアさんの浮遊魔法によるものです」
「ああ〜……。それで、姉さん専用……」
アリアとメリアがハイスバルツ家から逃げ出した時、アリアは地面を破壊して足場となる大岩を作り、その大岩を魔法で浮かせて逃げるための乗り物とした。
物を浮かせる浮遊の魔法自体は、初歩的な魔法だ。
ただ、実際に使おうとすると、どれくらい重い物を浮かせられるか、どれくらい物を浮かせ続けるか、どれくらいの高さに浮かせるのか、物を浮かせた後どう動かすのか、術者本人が制御しなければならない事象が多く、使いこなすためには高い実力が要求される。
人間二人と大岩を合わせた重さを浮かせた上で、自由自在に空を飛ぶように操作するレベルに魔法が使えるのは、いわゆる“天才”と呼ばれるほど才能に恵まれた魔法使いだけだ。
単純に重い物を浮かせる出力が要求されるだけでなく、物を思い通りに動かす魔法調整を迅速に行わねばならないので、無詠唱で素早く浮遊の魔法を使いこなせる必要があるのだ。
そんな芸当が出来る魔法使いは、バルツの街にはアリアしかいなかった。
だから、姉妹は追っ手に捕まらず、セルリの街の近隣にまで逃げ延びることが出来た。
「うおっとと、急停止するとあたしの身体だけ吹っ飛びそうになるわね。練習が必要そうだけど、これは上手くなれば楽しいわよ……!」
アリアは仕事のことはすっかり頭から抜け落ちたようで、メリアとランビケの頭の上をエアボートで飛び回っている。
「ところでランさん。姉さんにはあの事、いつ話すんですか?」
「……それが、アリアさんは悪くないと知って安心したら……なんだかあの話は切り出しづらくなってしまって」
二人の言うあの話というのは、ランビケが姉妹の恩師であるジェーンの姪であるという話だ。
「私より姉さんの方が話しやすいんじゃないですか?」
「うう、メリアさんに話したあの時は……アリアさんとメリアさん、お二人への疑念をはっきりさせたいっていう強い衝動があった上に、その……メリアさんには最悪嫌われて距離を取られてもいいかなと思ってたので」
「えぇ……。まあ、私もあのお話を聞いてランさんと打ち解ける前は、正直ランさんの事好きじゃありませんでしたけど」
「えっ、そうなんですか……何がいけなかったんですか?」
「ええとその……」
その理由を尋ねられてメリアは口篭ってしまう。
“姉と仲良くしているのが気に入らなかった”という幼稚な理由を言うのは、なんだかとても気恥ずかしいのだ。
「二人って、なんかいつの間にか仲良くなってたわよねえ」
メリアとランビケが会話しているのを見て、アリアはエアボートをゆっくり着地させ、二人のもとに戻ってきた。
「メルなんて、あたしとランが仲良くしてる時、分かりやすく機嫌を悪くしてたのにね」
「え、そ、そんなことないよ!」
「ふふっ、ずーっと貴方と一緒にいるのよ? 貴方が何を考えてるかなんて、顔を見れば分かるわ。まあメルは人一倍感情が隠せないタイプだけどね」
自分が嘘をついたり気持ちを隠すのが下手なのはメリアも自覚している。
しかし、こうして自分の気持ちが丸裸にされているのを実際に言葉にされると、恥ずかしさで顔が熱くなった。
「メリアさん、さっき言い淀んでいた、あたしを好きじゃなかった理由って、あたしがアリアさんと」
「わーー!! 姉さんもランさんも、仕事!! 仕事しましょう!!」
メリアの顔はりんごのように真っ赤で、その様子が可愛らしくて、アリアとランビケの二人は揃ってニヤニヤした。
そして二人の表情を見て、メリアはますます顔が熱くなるのを感じた。