029-騎士レイン・ガドア
心配そうに見つめるレインをよそに、メリアが最悪の未来を想像して不安に頭を抱えていると、客間の扉がノックされた。
「書記の仕事が必要になった」というヘイル会長からの言伝を、召使いが知らせに来てくれたのだ。
メリアは召使いに案内され、二階の部屋に向かう。
その間もメリアの頭の中では、最悪の展開の場合どうするかという思案ばかりが駆け巡っていた。
すぐに街を出ようにも、お金は十分には貯まっていない。
セルリの街はもちろん、ダリアなど近隣の街にもバルツの斥候がきっといる。
逃げるとして、果たして逃げる先はあるのだろうか。
そもそもこうしている間に、領主によって部屋の荷物が差し押さえられたり、自分と姉を拘束する準備が進められているのではないか。
考え出すともう止まらなかった。
そして気付くと扉の前にまで来ていた。
とにかく領主の機嫌を損ねるような事だけは出来ない。
領主と敵対しなければ最悪の事態は避けられるかもしれない。
そう考えたメリアは、自分のできる全力を持って、礼儀を尽くした振る舞いを心がけ、扉を開けて部屋に入った。
「……やっぱり貴族のようだ」
「育て親の躾が良かったようです。私ではありませんが」
領主はメリアの動きを見て感心し、ヘイルは苦笑いしながら頭を掻いている。
その反応を見て、ヘイル会長は今のところメリアの出自をペラペラしゃべったりはしていない、とメリアは判断した。
それで少し気が軽くなり、以後はつつがなく事務仕事を進めた。
◆
「メリアちゃんが何を心配してたのか知らねえけど、俺はフランブルク商会の仲間が不利になるような事はしねえよ」
セルリアン邸からの帰り道の馬車、不意にヘイル会長がメリアに言った。
メリアはそもそも自分が何かを心配していた事すら教えていなかったので、会長には全てお見通しだった事に驚いた。
そしてそんな目の前の男に恐怖を感じ始めた。
「……私は、まだあなたを信用しきれません。会長」
「ああ、信用しろだなんて言わねえよ。俺の振る舞いを見て、信用したくなったらしてくれれば構わねえ」
会話は途切れ、馬の足音と車輪の音だけが馬車の中に満ちる。
レインは親子の気まずい関係に挟まれたと思い込み、下手な事を口走らないよう、自身も沈黙を守っていた。
その時、突然馬車が止まった。
三人は進行方向につんのめる。
フランブルク商会の建物まではまだ距離があるはずで、何も起こらなければここで止まるはずがない。
レインが馬車の周囲を確認するため、扉を開けようとしたが、扉を開ける直前に動きを止めた。
「これは――!?」
馬車の扉の窓から見える外の景色は真っ白だった。
周囲がモクモクとした煙で満たされている。
レインは少し思案してから、杖を取り出し、空いてる手を扉にかける。
「……ねえ、メリア。護衛対象にこんな事頼むなんておかしいんだけど……ちょっとの間、ヘイル様についててくれる?」
「ええ、勿論。……外に出るの?」
「まずここから風の魔法で煙を吹き飛ばす。それで敵の姿が見えると思うけど、敵からもここが丸見えになってしまうわ。対処できそうな数なら対処する。無理そうなら、やっぱりこの馬車に籠城する。空に信号を飛ばせば、すぐに兵士が駆けつけるはずよ」
「了解、気をつけてね」
レインは頷き、扉に杖を構える。
「導きの木よ、『風を』『束ね』『束ね』――」
レインの杖先に風の魔力が溜まっていく。
多重に束ねられた風の魔力は、今にもはち切れそうだ。
呪文を唱え終える前に、レインは扉を開けた。
「『解き放て』!!」
その言葉と共に、レインの杖から暴風が放たれる。
馬車の周囲を覆っていた煙は一瞬にして立ち消え、馬車の前に立ち塞がり守ろうとしていた騎士と、その騎士に今にもナイフで襲い掛かろうとしていた敵の姿を露わにした。
「……あっ、あれって!!」
メリアはその敵の姿に見覚えがあった。
あのガラの悪い人相の男たちは、裏通りでメリアを襲ってきた、スリの元締めとその仲間たちに相違なかった。
騎士たちが周囲の状況を把握し切る前に、男たちは背後からナイフを突き立てようとした。
しかし、ナイフが騎士に届くよりも早く、レインの杖から放たれた水の弾丸が、男たちの身体を吹っ飛ばした。
レインはすぐ扉を閉め、後ろを向き、杖を構える。
その先には逆側の扉があり、そちら側の煙はまだ十分に払われていない。
レインは逆側の扉は開けず、しかし杖先に魔力を集中させていた。
突然逆側の扉が開かれ、煙の奥から男が現れる。
その男が現れた瞬間に、レインの杖から再び水の弾が放たれ、男はすぐさま後ろに吹っ飛ばされた。
男たちは煙に紛れて両側から奇襲を仕掛け、片方が撃退されてもそちらが陽動となり、もう片方でヘイルを奪うか人質にするつもりだったのだろう。
だが、レインは煙を吹き飛ばしてすぐにその可能性を考え、敵の奇襲を読み切った。
「ぐえっ!!」
「ぐぎゃっ!!」
男が吹っ飛んだ方向から、二人分の悲鳴が聞こえた。
レインが杖を構えたままでいると、やがて煙が晴れ、逆側も状況を視認できるようになった。
そこには男が二人重なって倒れていた。
恐らく、吹っ飛ばされた先にもう一人の男がいたのだろう。
レインは扉から顔を出して周囲を窺った。
「状況は!?」
レインが大声でそう尋ねると、騎士の一人が同じような声量で返答した。
この声量なら馬車の周囲にいる騎士全員に聞こえるだろう。
「襲撃者4名を無力化!! 逃走者は確認できません!! 我々の被害は軽微、民間の被害はなしです!!」
◆
「さっきのレイン、かっこよかったよ!!」
「騎士として当たり前の仕事をしただけよ……ふふっ」
再び動き出した馬車の中で、メリアに褒められ、謙遜しながらもレインは顔のニヤケを隠しきれていなかった。
しかしそのニヤケはすぐに引っ込み、レインの表情はしゅんとしてしまう。
「……結果としては無事だったけど、運が良かっただけ。もし私が最初に扉を開けたタイミングで、逆側から敵が来ていたら、二人を危険に晒していたかもしれない。左右どちらから、どのタイミングで敵が来るかわからない状況だったし、あそこは氷の魔法で扉を固めてしまうべきだった」
「そしたら私がなんとかしてたよ。会長の事は任されたんだし」
「あなたに頼るのは最終手段。……あたし、まだまだね」
そう言ってレインが俯く。
気まずい空気になりそうなところで、ヘイル会長がパンパンと手を叩いた。
「レインちゃん、成功に自惚れず反省をするのは立派だが、俺もメリアちゃんもこうして無事なんだ。それは紛れもない君の功績だ。フランブルク商会の代表として、感謝を伝えたい。ありがとう」
ヘイル会長は頭を下げ、謝意を示した。
「ちょ、あたしは頭を下げられるような事なんて何も!! それに、まだ護衛は終わってません!」
「ああ、そうだったな。あと少しの間、よろしく頼むぜ?」
「はい、全力をもってあたらせていただきます!!」
レインの表情は、少しだけ明るくなっていた。
◆
夕暮れ前にフランブルク商会の建物に到着し、メリアとヘイルは馬車を降りた。
レインはこのままガドア家に戻り、今日の報告をするらしい。
メリアとヘイルは二人並んで、事務所までの道を歩いた。
「……レインにはあんなに優しいのに、どうして昨日ロベルトさんにはあんなに厳しかったんですか?」
気になっていた疑問をメリアはヘイル会長に投げかける。
昨日出会って早々に、ロベルトへのきつい物言いを目の当たりにしたのが、メリアがヘイル会長に少しの嫌悪と興味を持つ一因になっていた。
髭をいじりながらヘイルは答える。
「レインちゃんはよその子で、それで女の子だ。で、ロベルトは俺のガキで馬鹿で男だ。厳しくなるのは当然だろう?」
「……ロベルトさんは、私と姉さんの恩人です。行き場のない私たちを拾ってくれました。お仕事も毎日頑張っていて、街のいろんな人たちと仲良しです。私は商人の仕事は全然詳しくないですけど……ロベルトさんは立派だと思ってます」
「なんだメリアちゃん。俺を責めたいのか?」
そう指摘され、メリアは自分の語気が少しずつ強くなっていたことに気付いた。
一呼吸おいて、心を落ち着けてからメリアは返答した。
「……そんなつもりはありません。ただ、ロベルトさんがかわいそうだと思って」
「メリアちゃんにはそう見えてるのか。……まあ、見方によっちゃそうかもな。でも俺は自分が間違ってるとは思わねえ。文句があるなら、ロベルトが俺を唸らせるくらいに成長するよう祈ってやるんだな」
メリアにそう告げると、ヘイル会長は一人で事務所の中へと入っていった。
「ロベルトさんの成長を祈れ、か。……あれがロベルトさんへの一種の愛情、なのかな?」
複数の女性に手を出すのは事実で、息子のロベルトには厳しいヘイル会長だが、ザガや支部長が会長を慕っている理由を、メリアはなんとなく分かった気がした。