028-セルリアン家
「私がついて行っていいですか?」
ヘイル会長と護衛のレインがセルリアン家の屋敷に向かうに当たって、フランブルク商会からもう一人付き添いが欲しいとヘイル会長が言ったところ、メリアが付き添いに立候補した。
フランブルク商会のボスであるヘイルの事をもっと知りたい、この街の領主が気になる、レインとおしゃべりしたい、そう言った思惑からの立候補だった。
「ほう? てっきりザガ辺りを呼ぶもんだと思ってたが。バリー、メリアちゃんは大丈夫なのか?」
その問いには二つの意味が込められていた。
一つはメリアを連れて行って事務の仕事は問題ないか。
もう一つは、メリアは付き添いとしての仕事を全うできるだけの能力はあるのか。
問いかけられた支部長は心配なさげに頷いて見せた。
「ええ、問題ありません。会長もお察しの通り、メリアは優秀な事務処理能力を持っています。それにご覧の通り、事務仕事は片付いています」
「なら決まりだな。よし、メリアちゃんついて来い。アリアちゃんはいいのか?」
「あ、あたし?」
アリアは一人考え事をしていたのか、話を振られて咄嗟に返答する事が出来なかった。
「俺の見立てならアリアちゃんだって優秀だし、仕事も特にないはずだ。ついてくりゃ良い勉強になるぞ?」
「……遠慮しておくわ。あたしはお留守番する」
「そうか。じゃあ行くぞ、レインちゃん、メリアちゃん!」
「承知しました、ヘイル様!! ……えっと、それから……メリア様?」
「ぷっ、今更様付けなんて恥ずかしいよ。私はいつも通り呼び捨てでいいよ」
「そ、そんな!! あたしは今職務中!! あなただって護衛対象だもの!!」
「はっはっは、若い女の子は元気でいいねえ」
てんやわんやと賑やかに、三人は事務所を出て行った。
急に静かになった事務所で、支部長がアリアに問いかける。
「良かったのか? 私はてっきり、お前もついて行くものだと思っていたが」
「……あたし、どうにも会長が苦手で。感性がロベルトに似てるのかもね」
「以前会長の話をした時は、メリアも大概会長の事を嫌がっていた気がしたが、お前の方が嫌がるとはな」
「あの子、あたしよりも我慢強いのよ。あたしは嫌なことはすぐ原因を潰すか、それが無理なら放り出すか逃げ出すから」
「案外、お前よりもメリアの方が、将来大成するかもな」
「それは聞き捨てならないわね。あたしはお姉ちゃんとして、あの子の前を歩き続けるの」
「今それを言われても説得力がないな」
「……むぅ」
ばつが悪くなったアリアは席を立ち上がり、メリアと会長の分のコップを片付けた。
◆
ヘイル、メリア、レインの三人は屋根付きの馬車に乗り、セルリアン邸へと向かっていた。
馬車の前後には二人ずつ、合計四人、馬に乗った騎士が護衛としてついている。
メリアは窓越しにその外の様子を眺めていた。
「この街の中でこんなに厳重に護衛されてる馬車なんて、私見たことないですよ。会長、よほど領主の方に大事にされてるんですね」
「まあ俺がほぼ確実に厄介な追手を連れてきちまうからな。セルリアンとしては、街中でコトを起こされると面倒臭えから、護衛を厚くしてそもそもコトを起こす気を失せさせるわけだ」
この街での護衛としては確かにこれはかなり厳重なものであったが、メリアとしてはこういう厳重な護衛というのは馴染み深いものだった。
ハイスバルツ家の人間がバルツの街に出る時は、いついかなる時も護衛と共に街に出る。ハイスバルツ家に反発する勢力が、いつ奇襲を仕掛けてくるか分からないからだ。
実際、かつて反乱によってハイスバルツ家から犠牲者が出てしまった時、その犠牲者は街に出向いたところを待ち伏せに遭った。
移動時というのはどうしても隙が生まれやすい。
最も襲撃に備えなければならないタイミングだというのは、メリアもよく理解していた。
「ねえ、レインは表で馬に乗らないの?」
「あたしは乗れな……じゃなくて、ヘイル様を最も近くで守る役目なの。馬車の構造的に、誰かが乗ってないと、護衛の誰もヘイル様を視界に入れられないからね」
「なるほどね。幻覚の魔法とか使われて、気付かぬ間に護衛対象が攫われたりしたら大変だものね」
「そういうこと!」
そう言ってレインとメリアはヘイルに視線を向ける。
まるで熊のような体躯のヘイル会長は、その顔の髭と皺以外はロベルトと瓜二つであった。
「普通、女の子に視線を向けられたら嬉しいはずなんだがな。なんだか見張られてるみてえな気分だ」
「事実そんな感じですよ。幻覚魔法はよほど質の低いものでない限り、ボケっとしてたら見破れませんから」
「そういや、メリアちゃんは魔法使いなんだよな。ザガから聞いたが、魔法大学の学生に負けないくらいの腕前らしいな」
その話が出て、レインの表情が少し強張ったのをメリアは見逃さなかった。
「……生家で鍛えられたんです。えーと、その……」
「ああ、言いたくねえなら言わなくていいよ。ただ、それだけ魔法が得意なら護衛としても頼もしいってだけだからよ」
そう言ってヘイル会長は笑う。
「ねえ、あなたとヘイル様、まるで互いの事を全然知らないみたいだけど、親子じゃないの……?」
メリアの横に座るレインが、こそこそとメリアに小声で質問してきた。
メリアもまた小声でその質問に答える。
「……えーとね、親子だけど昨日初めて会ったの」
「やっぱり……? フランブルク商会会長の噂ってホントなんだ……」
レインはそれで自分の中で納得いく理由を見つけたのか、それ以上は追及して来なかった。
会長の悪評はメリアとしても嫌悪感があるものだったが、身分を隠すうえでは本当に都合の良いものであることを実感した。
◆
馬車は特にトラブルに見舞われることもなく、無事にセルリアン邸に到着した。
メリアはセルリアン邸に来るのは初めてだった。
商会の建物からは距離があるし、それまで特に用もなかったため、近くに来ることもなかった。
初めて見たセルリアン邸の印象は、“思ったより小さい”だった。
見える感じの広さでは、流石にフランブルク商会の敷地よりは広そうだが、魔法大学よりは明らかに小さかった。
入り口で出迎えてくれた召使いに案内されるまま屋敷の中に入ると、中央に大きな階段があるホールに出た。
階段の先には目を引く巨大な肖像画が飾られており、精悍な顔つきの男性が描かれている。
階段の横には花瓶があり、白い花がいけられている。
そしてその花瓶の前に、いかにも豪奢な身なりをした壮年の男性が立っていた。
召使いが男性の元に歩み寄り、一礼をしてから二言三言伝えると、男性はこちらに振り向いた。
その様子を見てレインは片膝をつき、敬意を示した。
「ようこそ、ヘイル・フランブルク。久しぶりだな」
「お久しぶりです、セルリアン様」
ヘイル会長が畏まり、頭を下げる。
これまでずっと大きな態度だった会長が突然畏まった態度になったため、一瞬面食らったメリアだったが、すぐに会長に倣いお辞儀をし、敬意を示した。
そのお辞儀の様子を見て、セルリアンとその横にいた召使いは驚いたような素振りを見せた。
「じゃあメリアちゃん。悪いがここから先は俺と領主様が二人で話す。レインちゃんと待っててくれ」
「あれ? 書記とかの事務仕事が必要だから私を連れてきたんじゃないんですか?」
「それはある程度話が進んでから頼む。まずは久しぶりの友人同士の会話を楽しんでくるよ」
そう言ってヘイルは領主と共に、二階に昇って行った。
残されたメリアとレインは召使いに客間のひとつへと案内された。
紅茶を淹れてもらい、二人は雑談して時間を潰す事となった。
「私はともかく、レインは護衛なんだから部屋の前くらいまでついて行っていいんじゃない?」
「この屋敷と領主様の護衛はあたしのお兄様の担当なの。だから、あたしが行く必要はないわ」
「お姉さんだけじゃなくてお兄さんもいるの?」
「ええ、そうよ! 一番上があたしの十歳上のサンシャインお兄様で、その次が八歳上のクラウディアお姉様よ。二人ともとても優秀な騎士なんだから!」
「領主様の護衛に、街全体の警備管理だものね。凄いなあ」
メリアは淹れてもらった紅茶に口をつけた。
実家にいた頃に飲んだ事がある、少し懐かしさを感じる茶葉だった。
「ねえ、メリア。あなた、ヘイル様とは昨日初めて会ったって事は、今まではどこか遠くで暮らしていたの?」
「うん。そうだよ。色々あって、二ヶ月前くらいからフランブルク商会にお世話になってるの」
「ふうん。……もしかしてなんだけど、メリアってバルツの街の方の貴族だった?」
貴族育ちという事だけならまだしも、思いがけず地域まで言い当てられ、メリアは思わず紅茶にむせてしまった。
「だ、大丈夫?」
「ご、ごほっ……うん、大丈夫。よく分かったね、街まで当てられてびっくりした」
「街はね、その……以前アリアさんとお話した時、“ハイスバルツ家”と何かあったって聞いたから……」
「ああ〜……」
納得のようなため息のような、そんな声がメリアの口から漏れた。
まさか姉とレインの会話から、ハイスバルツ家との関わりが知られているとは思いもしていなかったのだ。
ただ、レインの口ぶりから、ハイスバルツ家の人間とは思われていないとメリアは判断した。
「貴族だと思った根拠は、さっきのお辞儀。セルリアン様も召使いさんもあなたのお辞儀に驚いていたでしょ? あれはあなたのお辞儀があまりに貴族然としてたからよ」
「あー……。なるほどね……」
この街に来てから二ヶ月近くが経ち、アリアもメリアも“貴族らしい”振る舞いは表に出さなくなっていた。
ただ先ほどは、領主の貴族そのものの振る舞いに釣られて、メリアもまた貴族としての振る舞いをしてしまっていた。
「今頃、会長と領主様はその事を話しているのかなあ」
昨日会ってすぐ姉妹の素性を推測してみせたヘイル会長は、もしかしたら姉妹二人がハイスバルツの人間であると勘付いているかもしれない。
会長が勘付かなくても、支部長かザガが既にその事を伝えている可能性もある。
もしも領主との会話でメリアの事が話題に挙がったら、ハイスバルツ家の姉妹がこの街に潜伏している事が領主に知られてしまうかもしれない。
その可能性が思い当たった途端、メリアの心は不安で埋め尽くされてしまった。