027-セルリの街の騎士
「あの、支部長」
ヘイル会長がフランブルク商会セルリ支部にやってきた翌朝、仕事を始める前にメリアは支部長に会いに来た。
支部長は自分の机の上の小さな鏡で髭を整えていた。
「どうした? メリア」
「休みをいただきたいです。五日後くらいから、三日ほど」
「ふむ。……予定している作業量的に問題はないが。理由を聞かせてもらえるか?」
「おそらくその日、私はひどく体調を崩して寝込みます」
「……男の私が聞くべきではない事情だったか?」
「……多分、支部長が想像しているタイプの体調不良じゃないです。八日後は私の十五歳の誕生日なんですけど、私の一族はみんな十五歳になる日に大変な熱を出すんです」
「それは難儀な一族だ。……アリアが今十六だったか。彼女もそうだったのか?」
「んー……。実は、一族で姉さんだけは熱を出さなかったんです。でもきっと、私は発熱します」
「自信ありげな言い方だな。その根拠は何だ?」
「私の一族は、私を含めてみんな炎の魔法が得意なんですけど、姉さんだけは炎の魔法を使わないんです」
その根拠を聞いて、支部長は口に手を当て少し考え込んだ。
「……アリアだけ、か。魔法使いの一族というのも、色々大変なんだろうな。分かった、五日後からは休むといい。看病人はいらないのか?」
「あっ……すいません、そこまで考えていませんでした」
「お前の部下の子供三人に看病をさせるんだな。お前が倒れていては、あいつらの面倒を見る者もいないからな」
「でも支部長、あの子たちに懐かれてますよね」
「……娘と年頃が近いから、つい甘やかしてしまうだけだ」
メリアのいないところで、支部長が子供たちに飴などのお菓子を与えているという報告を、メリアはしばしば子供たちから受けていた。
最初はメリアを含めフランブルク商会の人間を警戒していた子供たちも、今ではすっかり周りの人間と打ち解けていた。
仕事はまだまだままならないが、ここでの生活は貧民窟の頃より衣食住が劇的に改善されたからか、皆積極的に仕事を学ぼうと励んでいる。
「そういえば、昨日いらしてた会長さんですけど。ザガさんがお部屋を用意してたってことは、しばらく滞在されるんですか?」
「ああ。会長は領主のセルリアン家に呼び出しを受けたのだ」
「えっ……それって大丈夫なんですか?」
心配そうな面持ちのメリアを見て、支部長は軽く鼻で笑った。
「別に悪い理由で呼び出されたわけではない。領主の側が少し大きな仕事の依頼をするために呼び出したのだ。なんでも海の向こうから仕入れたい物があるそうだ」
「フランブルク商会って、海の向こうにも支部があるんですか?」
「いや、ない。確かにこの商会は三十年弱でダリアやセルリと言った街に拠点を持つほどに成長したが、海外拠点を作るほどではない。海の向こうに用がある時は、ダリアの港町の拠点から、海外と繋がりのある他の商会と交渉するんだ」
「なるほど。それでわざわざ会長さんがダリアからいらしたんですね。……あの、もしかして、支部長は会長が昨日いらっしゃる事、ご存知だったんですか?」
「当然だ。セルリアン家からまず私に話が入り、私がダリアまで連絡を飛ばしたのだからな」
「なんでそれをロベルトさんに言ってなかったんですか?」
「今ヤツに任せている仕事的に、知らせなくても問題はなかったからな。それに……昨日のロベルトの驚いた顔は、見ものだっただろう? 私は見逃してしまったがな」
支部長はとても底意地の悪い笑顔を浮かべていた。
支部長からも会長からもからかわれるロベルトが、メリアはとても気の毒に思えた。
◆
アリアとメリアが書類仕事に加わってから、フランブルク商会の書類処理スピードは格段に向上した。
最初は支部長の机の上で山となっていた書類の処理に追われていたが、最近は書類が来たそばから処理されていくため、アリアもメリアも支部長も、時間に余裕が持てるようになっていた。
「つまり、嬢ちゃんたちのおかげで、俺はこうやってバリーとゆっくり話が出来るわけだ」
事務所の一角にあるテーブルを挟んで、会長と支部長が座っている。
普段、支部長は書類仕事がない時は、商売のための情報整理と収集や、セルリ支部内の見回りに行くのだが、今日は会長の話し相手に付き合わされていた。
姉と並んで書類仕事をこなしているメリアが会長に声をかける。
「会長さん、領主様に呼び出されてるって聞きましたけど、良いんですか? ここで油売ってて」
「メリアちゃんだったな? セルリアンに言われてるんだよ、迎えをよこすからそれまで待ってろってな」
「迎え……?」
「まあつまり警護だ。俺も今となっちゃ捕まりゃ身代金を要求されるような身分だ。セルリアン家が絡む時はこうやって警護がつけられるのさ」
「じゃあダリアの街からここに来るまでも警護はいたの?」
「敬語を使わないのはアリアちゃんだったな。ダリアからこっちに来るまでは面白かったぜ。俺が自分で用心棒を雇って、囮役を二部隊、先行させて向かわせたんだが、どっちも襲撃を受けたんだ」
「えっ!? それヤバいじゃない」
「……私も初耳です、会長」
アリアとメリアだけでなく、支部長も驚いた様子で会長の話に聞き入る。
会長はその反応を見て、髭をいじりながら楽しそうに続きを話した。
「ありゃ恐らくダリアの街を根城にしてるギャング“ディオネア”だろうな。俺を捕らえて身代金を要求するか、それとも他所の商会に頼まれフランブルク商会の頭を潰しに来たか。まあ襲ってきた奴らは、囮役の用心棒に返り討ちにされたよ。全く、ツキのない奴らだ。わっはっは!!」
大笑いするヘイル会長だったが、向かいに座る支部長は汗を拭いながら深くため息をして、胸を撫で下ろしていた。
「なんていうか、襲われ慣れてるのね……」
「おう。俺みてえな成金商人はとにかく敵が多い。俺は味方を作り続けることでそれに対抗しているが、それで敵がいなくなるわけじゃねえ。面倒臭えけど万全に備えておかねえともっと面倒臭え事になっちまう」
「……商会が大きくなるというのも考え物ですな」
「なんだァバリー、昔の方が良かったって言いてえのか?」
「気楽だったのは間違いなく昔の方です。一つの街に居座れる今の方が、家族を持つ身としてはありがたいですがね」
支部長が言葉を言い終えると同時に、事務所の扉が開かれベルの音が鳴り響いた。
一同が扉の方を振り向く。
戸口には一人の少女が立っていた。
「ごめんください!! こちらに、ヘイル・フランブルク様はいらっしゃいますか!?」
「あれ、レイン!?」
「あら、メリアじゃない!! アリアさんも!!」
事務所を訪れたのは、魔法大学の学生であるレインだった。
今日は魔法使い然としたローブではなく、軽装の鎧を身につけている。
メリアが席を立ち、レインの元まで駆け寄る。
「今日はどうしたの? 鎧かっこいい〜」
「ありがとう!! 今日は家の仕事でここに来たの!」
「お家の? そういえば、レインの家の話って聞いたことなかったね。教えてくれる?」
「あたしの家、ガドア家は代々セルリアン家に仕える騎士の家なの!! 今ではセルリアン家の警護の他に、セルリの街の治安維持にも関わってるの!」
「へえ〜凄い! それで鎧を着てるのね」
楽しそうにレインと話すメリアを、アリアは席に座ったまま眺めていた。
妹が同年代の友達とああやって会話しているのを見るのは初めてで、ずっと近くにいる妹の知らない面を見たようでアリアは不思議な気持ちだった。
「それで、今日はフランブルク商会会長のヘイル様の警護を承って……」
「俺がヘイルだ。今日の警護は随分小さい女の子なんだな。いつもの姉ちゃんはどうしたんだ?」
ヘイル会長が席から立ち上がる。
レインは小さいというほど小柄ではないのだが、たいへん大柄なヘイル会長がそばに立つと、確かに小さい女の子のようだった。
「姉のクラウディアは本日は街全体の警備管理を担当しています!! 代わりにわたくし、レイン・ガドアがヘイル様の警護を務めさせていただきます!!」
「なるほど、クラウディアちゃんも偉くなったんだなあ。あの子の妹って事は腕が立つんだろう。よろしくな、レインちゃん」
そう言ってヘイル会長はレインを撫でた。
撫でられたレインは驚いたような顔をしたが、満更でもなさそうだった。