025-ヘイル・フランブルク
アリアとメリアの姉妹はその日の事務仕事を終え、フランブルク商会の事務所で他愛のない雑談をしていた。
「そういえばメル、もうすぐあなたの誕生日じゃない? それも十五歳の」
「うん。九日後だから、あと十日もないね。……今からちょっと怖いな。でも、住むところを確保できていて本当に良かったよ。もしも野宿だったら、きっと姉さんに大変な迷惑をかけちゃう」
「全然迷惑なんかじゃないわ。それに、あたしなら例え熊に囲まれたって貴方を守り切れるわよ」
「あははっ、そうだね」
「……うん、あたしと違って、きっと貴方は……」
その時、事務所の扉が開かれ、扉につけられたベルの音が部屋に鳴り響いた。
二人が扉の方を振り向くと、そこには熊のような体格の大男が立っていた。
身体の大きさだけならロベルトに近いが、ロベルトと違いたっぷりの髭を蓄えている。
大男はキョロキョロと部屋の中を見回す。
「なんだ? バリーの奴は留守なのか?」
「支部長でしたら、今はお手洗いに行かれています」
大男のぼやきにメリアが答えると、男の視線がメリアとアリアに向けられる。
なんだか品定めされているようで、妙な緊張感をメリアは覚えた。
「嬢ちゃんたち、見ない顔だな。新入りか?」
「はい、私、メリアと言います。メリア・フランブルクです」
「あたしはアリア。アリア・フランブルクよ」
「……フランブルク?」
男は二人が名乗ったファミリーネームを不思議そうにつぶやいた。
このような反応は珍しくない。フランブルク商会の人間で、ファミリーネームもフランブルクなのだ。
この後に「もしかしてあの会長の娘さん?」と尋ねられるのが、アリアとメリアがこのしばらくで何度も経験してきたパターンだ。
二人とも、今回もそのパターンだと思い込んでいたのだが。
「もしかして嬢ちゃんたち、ロベルトの嫁か?」
「はぁっ!?」
「ええ!?」
予想外のパターンに、二人は驚愕の声を思わずあげる。
確かに、フランブルクの家に嫁げばファミリーネームはフランブルクになるが、それでも嫁の可能性を訊かれたのは初めてだった。
何しろ、二人は十六歳と十四歳だ。
ありえない話ではないにしろ、まだ嫁入りには早すぎる。
そもそも、この男は二人に同時に嫁の可能性を問いかけているわけで、それはつまりロベルトが二人同時に嫁を取ったのではないかという問いかけだ。
アリアもメリアも、この大男の思考回路が理解できなかった。
二人が大男に対して警戒心を強めたタイミングで、再び扉が開かれ、ベルの音が鳴り響く。
扉を開けたのは姉妹にとって見覚えがある方の熊のような大男、ロベルトだった。
「ただいまー、お土産にバウムクーヘンを買ってき……」
髭の大男を見てロベルトが固まる。
大男はロベルトを見てニタリと笑った。
「よお、元気そうだな、ロベルト。いつの間に嫁を二人も取るなんて、孫が見れる日は遠くなさそうだな?」
◆
「……というわけで、この方が若の父親、フランブルク商会の現会長、ヘイル・フランブルクさんだ」
ロベルトから遅れて帰ってきたザガが二人の大男の口喧嘩を仲裁した後、呆然としていたアリアとメリアに大男を紹介した。
髭の大男は、フランブルク商会の会長だった。
言われてみれば、体格の他に髪の色や顔つきもロベルトとよく似ていることに姉妹は気付いた。
「ヘイルだ。俺のことは会長でもヘイルでも好きに呼んでくれて構わない。ところで、嬢ちゃんたち。名前はなんて言うんだ?」
「さっき名乗ったでしょ? あたしはアリアで、この子はメリア――」
「それは偽名だろう? そもそも、なんでフランブルクを名乗ってる?」
「二人ともあんたの娘だからだよ」
会長の問いにはロベルトが答えた。
その声色は、姉妹がロベルトに出会ってから最も不機嫌なものだった。
「はあ? お前な、商人ならもうちょっと嘘を練習した方がいいぞ」
「……何で嘘だと思うんだよ。あんたが何人俺の異母弟異母妹をこさえたと思ってる?」
「八人だ。俺は抱いた女は全員覚えてるんだよ」
会長がさらりと言ってのけた言葉に、アリアとメリアは強い嫌悪感を抱く。
話には聞いていたが、本当に何人もの女性に手を出して、しかもそのことに全く悪びれない様子は、姉妹にとって理解し難いものだった。
「嬢ちゃんたち、歳の位は十五、六といったところか。十六年前辺りなら母親はカリナかミルになるはずだが、嬢ちゃんたちは二人とは似ても似つかない。第一、カリナもミルも嬢ちゃんたちみてえな上等な家の人間じゃねえんだよ」
「なんで家のことなんか分かるんですか?」
「嬢ちゃんたちの若さで、バリーが任せるほど事務仕事が出来るんなら良い家で良い教育を受けたに違いない。あいつの机にいつもあった書類の山が消えてるのを見るに、余程優秀らしいな。それに嬢ちゃんたち、なんつーか立ち居振る舞いが貴族くせえんだよな」
アリアとメリアはロベルトに拾われてからの一ヶ月以上で、少しずつ平民の暮らしに馴染んできたつもりだった。
最近は貴族仕草を指摘される事もほとんどなくなってきた。
だというのに、会長はこの僅かな間に二人の振る舞いに貴族らしさを見出したらしいことに、姉妹は驚かざるを得なかった。
「まあ別に偽名でもいいか。仮に貴族だとしたら、嬢ちゃんたち絶対にめんどくせえ事情持ちで名前は言いたくないだろうからな。当然、その辺は全部分かった上なんだろう、バリー?」
「ええ、勿論。お久しぶりです、会長」
いつの間にか手洗いから帰っていた支部長が、会長の言葉に返事する。
「……なんで急にここに来たんだよ」
ロベルトが会長に喧嘩腰で尋ねる。
アリアもメリアもロベルトから父親が嫌いという話は聞いていたが、ここまで不機嫌を露わにするロベルトは初めてで、それが少し怖かった。
「抜き打ちテストだよ。お前がちゃんとやっているか、のな」
そう言って会長は意地悪く微笑む。
それは支部長がロベルトに試練を与える時にする笑みと同種のものだった。
「会長、こちらを」
「おう、相変わらず気が利くな、ザガ」
ザガは棚から取り出した一束の書類を会長に手渡した。
書類の整理は姉妹の仕事のため、アリアとメリアもその書類が何なのかは分かった。
ロベルトが担当している、魔法の車開発案件の取引資料だ。
書類に一通り目を通すと、会長はポツリと呟いた。
「……三十点だ。落第寸前ってところだな」
「なっ……、どういうことだよ!!?」
突然の酷評にロベルトが声を荒げる。
あの取引は特に問題は起こさず、むしろ予定よりも大きい利益を現状生み出していたはずなので、姉妹も三十点の理由は理解できなかった。
「お前はここまで問題を起こさずこの案件を進めているが、それだけなんだよ。甘すぎる」
「バルツの信頼できる商会から、十分な量の鉱石を相場より安く買い付けた。それの何が甘いってんだ!?」
「それだけだから、つってんだろ。客である魔法大学の要望を満たすのは大前提。そして利益をあげるのも前提だ。そこまでは出来ているから、落第にはしないでやる。だがお前、例えば契約を結んだこの商会が、何かのトラブルで取引不可になったらどうするつもりだ?」
「っ!! それは……」
「俺だったら複数の商会に取引を持ちかける。そうすれば、トラブルで鉱石が手に入らなくなるリスクを軽減できる。取引相手の商会たちに、結ぶ気のない独占契約をチラつかせれば、値下げ競争に誘導できる可能性もあるしな。この仕事で一番大事なことは、客の信頼に絶対に応える事だ。“取引相手がトラブってブツが手に入らない”なんて言い訳はそう易々使っていいもんじゃねえ、客からの信頼が揺らぐ。一流の商人なら、どんな手を使っても客の信頼には応えろ」
「……っ!!」
ロベルトは歯を食いしばったまま、何も答えない。
強く握りしめた拳からは、会長の手腕を認めざるを得ないという悔しさが滲み出ているのを姉妹は感じた。