024.5-ロベルトの休日
「ロベルト、お前に朗報だ」
ある日ロベルトが外回りの仕事から帰ると、支部長がそんな言葉をかけてきた。
水を一杯飲んでからロベルトは返事をする。
「何ですか、朗報って」
「うむ。明日は休んでいいぞ」
「……別に元から明日は休日ですよね?」
「そうだな。休日出勤しなくていい、という意味だ」
「……えっ!?」
ロベルトは耳を疑った。
いつも休む暇もなく仕事を振ってくる支部長が、仕事をしなくていいなんて言うはずがない。
「……なんかヤバい事でもあったんですか。領主から業務停止を命じられたとか」
「心当たりがあるのか?」
「ありませんよ」
「安心しろ。お前の心配しているような理由ではない。私の机を見てみろ」
言われてロベルトは視線を支部長の机に向ける。
そこにはランプと筆記具だけが置かれたシンプルな机があった。
「……ああっ! 書類が、ない!?」
「その通りだ。お前がアリアとメリアを連れてきたおかげで書類仕事が出来る人手が増えた。それで増えるばかりだった書類の山が、ついに片付いたのだ」
ロベルトと支部長は、アリアとメリアが来るまでは紹介ではただ二人の読み書き算術を熟知した従業員だった。
当然、二人だけでセルリ支部全ての取引の書類を処理しきる事は出来ず、書類の山は日に日に大きくなっていった。
ダリアの街の本部に追加の人員を要請しても、本部は本部で人員がギリギリだと却下され、結果として支部長とロベルトの二人が休日返上で書類仕事を行う事で事務作業の破綻を防いでいた。
「まあつまり、あの姉妹のおかげでようやく我々も休日を享受出来るようになったわけだ。私も久しぶりに、休日は娘と過ごさせてもらうよ」
「普段は娘さんとは会ってないんですか?」
「無論会っている。だが、朝少し顔を合わせるだけで、私が帰宅する頃には大抵眠っている。私もたまには娘と会話したいのだ。……妻には娘の世話の負担を押し付けてしまっているから、たまには私がその役割を担いたいという事情もある」
「支部長、立派ですよ」
「なんだ急に」
「家族の事をよく考えている。貴方の爪の垢を煎じて親父に飲ませたいですよ」
「ああ、そういう話か。いいかロベルト、私は立派でも何でもない。こんなのは当たり前の事だ。ヘイルの奴が大馬鹿者なだけだ」
「ははっ、それは違いないですね」
その後、二人はロベルトの父親の愚痴で盛り上がった後、支部長は家族の待つ家へ、ロベルトは宿舎の自分の部屋へ帰っていった。
◆
「……休日って何をすればいいんだ?」
翌朝、ロベルトは朝食を済ませた後、フランブルク商会の食堂に留まっていた。
いつもならこの後事務所に向かい、時間の許す限り書類仕事を行う。
それが当たり前になりすぎていたせいで、ロベルトは仕事が何もない日の過ごし方を忘れてしまっていた。
とりあえず何でもいいから手を動かしたくなり、食堂の椅子に壊れてるものはないか一つずつ確かめていると、いつの間にか食堂に来ていたメリアの部下の子供三人組がロベルトを不審げに見つめていた。
三人組の小さな女の子、カナリアがロベルトに問いかける。
「その、ロベルトさん。……何をされてるんですか?」
「ああ、暇で仕方ないから椅子の検査してた」
「あ、ああ、なるほど……。ちょっとそこで話し合いしてもいいですか?」
「構わねえよ」
ロベルトがそう答えると、子供たちは近くの椅子に座り、テーブルの上に五枚の紙を置いた。
五枚の紙のうち、三枚は紙面にマス目が敷き詰められていて、一枚は他より大きく中央の円状にマス目が並び、周囲には何やら説明文のようなものが書かれていた。
そして最後の一枚には、文字と数字の一覧が載っていた。
ロベルトはその紙が何なのか気になり、子供たちに仔細を尋ねてみた。
「何なんだ? その紙」
「これはですね、ご主人様にもらった宝の地図です!」
「宝の地図ぅ?」
「はい! ここに書かれた謎を解くと、隠されたご褒美が見つけられるんです!」
子供たちの言うご主人様というのはメリアの事だ。
それにしても宝の地図にご褒美とはどういうことなのだろうか、俄然気になったロベルトは子供たちの様子を見守ることにした。
マス目が敷き詰められた三枚の紙は子供たち一人につき一枚与えられたもののようで、見本となる文字の一覧を見ながら、そこに文字を書き写していた。
そういえばこの三人には、メリアや支部長が仕事の合間に読み書きを教えていると言っていた。
それに気付いた瞬間、ロベルトはこの五枚の紙の意図を理解した。
これはメリアから子供たちに与えられた、休日の宿題なのだ。
堅苦しい勉強という形ではなく、宝探しという遊びの形を取ることで、子供たちが自主的に取り組みやすくしている点にロベルトが感心していると、子供の持つペンが止まった。
その表情は見るからに困った様子だった。
「どうした? 読めない字でもあったか?」
「……! はい、ここなんですけど……」
「ああ、これはな――」
こうしてロベルトは、しばらく子供たちの宿題の手助けをしていた。
メリアの用意した宿題はところどころ急に難易度が高くなるところがあり、しかもそこを解けないとその先の謎も解けなくなる仕組みになっていたので、作問者側の問題をロベルトは感じた。
そういった高難度の問題は、答えは教えないようには気を付けつつも、子供たちが正解に辿り着けるようそれとなく軌道修正してあげた。
「ロベルトさんって、ご主人様くらい物知りなんですね!」
カナリアの放ったその無邪気な一言に、ロベルトは言い返そうとしてぐっと堪えた。
メリアより自分の方が物知りであると言いたかったが、この子たちにそんな反論をしても仕方がないし、そもそも箱入りとはいえ貴族の教育を受けていたメリアの方が自分より物知りな可能性は否定しきれなかったからだ。
「……こうしてお前たちに文字を教えてると、昔の俺が教えられていた頃を思い出すよ」
「昔ですか?」
「ああ。十年以上前だ。俺が今のお前たちよりもっと小さかった頃な」
「えっ、ロベルトさんに小さかった頃が!?」
「あるに決まってんだろ。……あの頃俺に文字を教えてくれたのは、まだ小さかった商会であくせく働いてたおっさん達だった。今の支部長とか、ダリアの本部で働いてる人たちだ。……あの人たちのおかげで、俺は今こうしてお前たちに文字を教えられる」
「そっか……。ロベルトさんにとってのおじさん達が、私たちにとってのロベルトさんなんですね」
「なんかその言い方だと俺がおじさんみたいだな」
「えっ?」
「えっ、じゃねえ。俺はまだ二十一だ」
「なんだあ、それならもうおじさんじゃないですか」
「……お前ら、その認識は改めないといつかひどい目に遭うぞ?」
やがて、大きな紙の円状のマス目に文字を入れ終え、最後の謎を解くと、一つの文が現れた。
「ええっと……じ、む、しょ、め、り、あ、た、な、9、だ、ん、め……?」
「そこの答えは9じゃなくて3だな。字が汚いと、こういう誤解が生まれちまうんだ」
「ご主人様が字は綺麗に書くようにって言ってたのは、このためだったんですね。それじゃあこれは……『事務所、メリア棚、三段目』って書いてあるんですね」
「ああ。……今日は事務所使わねえと思って、鍵閉めたままだったんだがな。俺がいなかったら――」
いなかったらどうするつもりだったんだ、と言いかけてロベルトは気付いた。
メリアがフランブルク商会にやってきて、日中に事務所の鍵が閉められたままだった事は恐らくない。
休日でも毎日、ロベルトと支部長の二人か、片方が不在ならどちらかが、事務所で書類仕事と向き合っていたはずだ。
そう考えてようやく、ロベルトは自分と支部長がまともな休日を過ごして無さすぎた事を痛感した。
◆
「まあそんな感じで、ガキンチョたちの宝探しに付き合って、お宝の飴玉を分けてもらって、そのままあいつらの遊びに付き合ってたら日が暮れてた」
「そうだったんですか。どうもありがとうございます」
夕方、宿舎に戻ってきたメリアに、ロベルトは子供たちとの出来事を報告していた。
「お前は今日は朝から出かけてたけどよ、普段休日何してるんだ?」
「私は色々ですよ。子供たちと過ごすこともあれば、今日みたいに魔法大学で友達と待ち合わせて魔法の研究をしたり」
「アリアも暇さえあれば魔法大学に行ってるよな? 一緒なのか?」
「いえ、そんなに。姉さんはランビケさんの研究室に行くのがほとんどですけど、私は友達と図書館で本を探したり訓練場で魔法を試したりしてます」
「休みの日だってのに熱心だな、お前も友達も」
「私もその友達も、魔法で大きな目標があるんです。その為にお互い頑張ろうって、意気投合できて。……私は本当に、人との出会いの運が良いです」
「それは当然俺との出会いも含まれてるんだよな?」
「もちろんです。こうしてここで過ごせてるのは、あの日ロベルトさんと出会えたからですし」
椅子に腰掛けたメリアは、カップの茶を啜ってからつぶやいた。
「……ロベルトさんってどうしてそんなにお人好しなんですか?」
「あ?」
「私と姉さんの事もそうですけど、子供たちだって。ロベルトさんがそこまで親切な理由が分かりません。どうせまた未来への投資とか言うんでしょうけど、せっかくの休日だったんですから、もっと自分のやりたい事をやって良かったんじゃないですか?」
「それなら問題ねえよ。俺は今日という休日に満足している。やりたい事が出来たからな」
「そうなんですか?」
「ああ。……俺にとっちゃ、フランブルク商会の一員はみんな家族だ。もちろんあのガキンチョ達もな。家族と一緒に楽しく過ごす。それが俺の理想の休日なんだ」
「……その家族って、私と姉さんも?」
「当然含まれてるぞ。つーかお前らは俺の妹って設定だろうが。家族に決まってんだろ」
「設定だけの話かと思ってました。……じゃあ今この瞬間も、ロベルトさんの理想の休日なんですね」
「ああ、その通りだ」
その時、部屋の扉が開けられ、扉に付けられたベルの音が鳴った。
戸口にはアリアとザガの姿があった。
「若! 今から飲みに行きませんか!? アリア嬢とメリア嬢も連れて!」
「そういうわけよ、メル! それにロベルト! 今日も魚の店に行きましょ!」
ロベルトとメリアは顔を合わせて微笑んだ。
「姉さん、すっかりこの街で食べられる魚料理が気に入ったみたいです。バルツの街じゃなかなか食べる機会がなかったから」
「そりゃいい。俺も魚は好きだ。……今日はほんとに最後まで、理想の休日になりそうだ」