018-出先の酒場にて
リーヴァの街。
ロベルトが拠点とするセルリの街の北、そしてアリアとメリアの故郷であるバルツの街の北東に位置している、小さな街だ。
バルツの街は豊富な鉱山資源を出荷する事で他の街々と取引を行っているが、鉱山という立地に加え南東に広大な森林が広がっている関係で、流通の盛んなセルリの街やダリアの港街まで直線で向かうことはできない。
そのため、大森林の周囲を迂回して、セルリやダリアを目指すことになる。
その迂回ルートに存在するリーヴァの街は、バルツからセルリを目指す上での中継地点であった。
ロベルトは単身で、このリーヴァの街を訪れていた。
目的は、魔法大学からの新たな案件である、魔法の車開発に必要とされる鉄や魔法石を確保するため、バルツの街からの鉱山資源の入荷量を増やす事だ。
この街でバルツの街の商人と話をつける事になっている。
普段、こういう用事の時は補佐としてザガも連れてくるのだが、「いつまで経っても補佐頼りか?」「一人で話をつけるのも経験だ」などという支部長の煽りに乗り、ロベルトは一人で商談に臨んだ。
実際のところ、少しでも自分の手柄を増やして商会内部での影響力を高めたいロベルトにとって、この商談を一人でまとめるというのは十分有効な選択肢であった。
商談はリーヴァの街の商業組合の建物内の一室で行われた。
元々はリーヴァの街を拠点とする商人の為の組合だが、リーヴァに拠点を持たない商人たちも使用料を払うことで、この中継地点に存在する組合の建物を使う事ができる。
屋根のある場所で、関係者だけで集まって話し合えるのがここの利点だ。
事前の連絡である程度内容を伝えていた事もあって、商談はスムーズに終わった。
契約書の読み合わせなど必要な手続きのため、時間自体はかかったが、それでも念の為に用意しておいた予備の時間はまるまる余った。
商談の内容によってはほとんど喧嘩のような空気になることもあるのだが、今回は良い雰囲気のまま終わる事が出来たため、ロベルトは雑談がてらバルツの街の内情――もっと言うとハイスバルツ家の動向を聞いてみる事にした。
「たしか、三週間くらい前でしたか? ハイスバルツ家の跡取りが行方不明になったというのは。やっぱり、何か影響があったりするんですか?」
「ええ。バルツの街の関所は元々、密輸対策でチェックが厳しい事で有名でしたが、あれからより一層厳重になりました。今では荷のひとつひとつ、中身を確かめられるので、時間がかかって仕方ありません」
「関所のチェックが厳しくなったと言うことは……跡取りはまだ、街の中にいる可能性が疑われてるんでしょうか?」
実際はセルリの街に“跡取り”がいるのは知っているが、話を広げるためロベルトはすっとぼけて質問した。
「さぁ……。ハイスバルツ家からは跡取りが行方不明になったから特別な体制を敷くとしか言われてませんから。そもそも、どうして行方不明になったのかも我々には知らされていません。誘拐されただとか、家出しただとか、はたまたそもそも行方不明になんてなってなくて、チェックを厳しくする口実をでっちあげたとか、あちこちで噂になっています。ああこれ、私が言ったって事は秘密にしてくださいね。ハイスバルツの人間の耳に入ったら、何をされるか分かったものじゃありません」
「ええ、勿論。秘密も約束も守れなきゃ、商人なんて出来ませんから。……そういえば、跡取りが行方不明になったにしては、捜索をしているみたいな話は聞きませんね。俺はてっきり、軍を動かしてしらみ潰しに探すものかと思ってました」
「それが行方不明はでっちあげという説の根拠でもあります。ただ、バルツの軍隊は所詮一つの街の軍隊に過ぎませんから、この地域をしらみ潰しにできるほどの人数はいません。仮にそんなことをしたら、街を守る兵士が足りなくなります」
「なるほど……。貴重なお話をどうもありがとうございます」
「いえいえ、今後とも、どうぞご贔屓に……」
◆
商談を終え、馬車の定期便が来るまで時間が出来たロベルトは、街の酒場を訪れた。
今日の商談は完璧だった。
全てを予定通りに進められた。
継続的な取り引きをチラつかせる事で、専属契約などの制約を結ぶ事なく、好条件で鉄と魔法石を買い付ける事が出来た。
この結果ならば、支部長を始めとしたフランブルク商会の面々もロベルトを評価せざるを得ない。
そんな自分を労うために、ロベルトはしばし酒場での時間を楽しむことにした。
ただ、一人旅のため、酔っ払って動けなくなることは許されない。
酒は一杯だけと心に決め、ロベルトは酒場の門をくぐった。
夕暮れの酒場は大勢の客で賑わっていた。
その多くは仕事でこの街を訪れた商人で、ロベルトが見知った顔もいくつかあった。
知り合いの卓に混ざり、しばしの談笑を楽しもう。
そう考え、ロベルトがテーブルに近づこうとした時、カウンターの方から大きな泣き声が聞こえた。
「ダメだああぁぁぁ、もう帰りてえよおおおぉぉおおお!!!!」
思わず声がした方を振り向くと、カウンターで泣いていたのは三十路くらいの男だった。
すぐそばで酒場の店員が困った顔をしながら髭をいじっている。
自分より歳上の男が人前で咽び泣くところなどそうそう居合わせない。
一体何が彼をあれほどの悲しみに追いやったのか、気になったロベルトは咽び泣く男のすぐ横に座った。
「おっさん、一体何があった?」
「……何だよ、おめえ」
「俺はロベルトだ。いい歳したおっさんがあんな派手に泣いてるのを見たら、気になっちまってな。話聞かせてくれよ。一杯おごるからさ」
そう言ってロベルトは髭の店員に二杯の酒とポテトフライを注文した。
店員は男のお守りをしなくていいと安堵したのか、笑顔で注文を受けキッチンに向かった。
男は最初はロベルトを警戒していたが、ロベルトの表情から悪意はないと感じたのか、少しずつ身の上を打ち明け始めた。
「……俺は仕事でこの街に来たんだ。仕事っつっても本職じゃねえ。本当なら俺は、自分の街で農耕具を作ってたはずなんだ」
「職人か。そりゃ普通は街の外には出ねえな。それがなんで?」
「お上の命令だよ。なんでも、必死になって情報を集める斥候が欲しいとかでよ、どう言うわけか農耕具を作るしか能がねえ俺が選ばれたんだ」
「斥候〜? そりゃわけわかんねえな。納得できねえ仕事じゃ身も入らないだろ?」
「その通りなんだがよ、そうも言ってらんねえ。……街には、俺の嫁と子供がいるんだ。俺はお上に逆らえねえ」
ロベルトは一瞬男の言葉の意味が理解できなかったが、思い当たった節をすぐに確認した。
「もしかして、人質ってことか? お偉いさんが、平民のあんたを従わせるために?」
「ああそうだよ。……俺の街はお上の権力がつえーんだ。お上の都合が俺の街のルールなんだよ」
「たまったもんじゃねえな。……嫁さんと子供のためなら、仕方ねえよ」
ロベルトは母親を亡くし、父親を嫌ってはいるが、幼少期に世話になったフランブルク商会のメンバーたちの事はとても大切な家族だと思っている。
兄弟同然のザガはもちろん、普段はロベルトを試すような言動ばかりの支部長も、もしも危機に陥れば身を投げ打ってでも助けに行くと即答できる。
そんなロベルトにとって、家族のためにお上に従う男の立場には、共感せざるを得なかった。
「ああ。仕方ねえんだ。仕方ねえんだけどよ……!! でも、辛くなっちまったんだ。慣れねえ情報集めだってのに、お上には定期連絡の度に早く見つけろと脅される。家族の仔細を教えてくれるが、俺はそれが常に監視していて掌の上だって宣言に思えてならねえ。このまま結果が出せねえと、そのうち危害を加えるんじゃねえかって……!! そもそも、俺が探してるこの街に、不明の跡取りがいるかどうかも分かんねえのに……! レラ、ケイト、元気にしてるのか……? 顔を見てえよ、う、うおおおおお」
そうして男はまたボロボロと涙をこぼし始めた。
だがロベルトは、男の言ったある言葉が引っかかっていた。
「行方不明の跡取り……?」
「……ぐすっ、なんだロベルト、心当たりでもあんのか……?」
「……なあおっさん、あんた、いつから斥候をやらされてんだ?」
「……三週間だよ。へっ、大の大人がたった三週間家族に会えねえだけでこのザマとは情けねえよな」
三週間。
先ほどの商談でも口にした期間だ。
三週間前、ロベルトは森の小屋でアリアとメリアに出会った。
「情けなくなんかねえよ。……おっさん、もしかして、あんたが探してるのって……噂になってるハイスバルツの跡取りか?」
「……噂になってんのか。それでも見つからねえんだから、きっとこの街にはいねえんだろうな」
その“跡取り”の居場所をロベルトは知っている。
だがロベルトはそれを教えることはできない。
あの姉妹を裏切ると言う選択肢は最初からない。
それでもロベルトは、家族の為に苦しむこの男に協力したいと言う気持ちを押し殺すのに、歯を食いしばり痛いほど拳を握る必要があった。
二人の前に酒の入った二杯のジョッキとポテトフライの皿が置かれる。
「相手になってくれてありがとよロベルト、遠慮なくいただくぜ」
男はジョッキを持ち、勢いよく酒を飲んだ。
ロベルトは、ジョッキを見つめながらそれを手に持つことは出来なかった。