017-アリアとランビケ
魔法大学でランビケと出会ったあの日から、アリアは暇さえあればランビケに会いに行っていた。
ハイスバルツ家にいた頃、アリアの気の置けない間柄と言える人間は、妹とかつての家庭教師のたった二人だけだった。
妹以外の家族や親類は家のしきたりに縛られ威光に縋り、アリアを常に『次期後継者』として扱った。さらに、家の外の人間はハイスバルツ家の人間を一概に畏怖の対象とみなす。それはアリアにとっては非常に窮屈なものだった。
だからこそ、アリアはランビケと過ごす時間に底知れない解放感を感じていた。
アリアにとってランビケは、身分を気にせず接してくれる初めての同年代の友人だったからだ。
◆
昼下がりの街中、人通りの多い市場に、アリアはランビケと二人で訪れていた。
ランビケの研究室に置いておくための食料が切れていたため、二人で昼食ついでに買い出しに来たのだ。
市場は客を呼び込む店主の声や値切りを試みる客の声で大変騒々しい。
「この街の市場は活気があるのねー、なんだか新鮮」
「え? 市場って普通こんなものじゃないですか? ダリアの街もこんな感じですよ」
「そうなんだ。あたしの故郷の市場は、なんだか大人しかったのよね。……今思えば、あれは怯えてたのかしら」
「怯える……って、アリアさんにですか?」
「ええ。もっと言えば、あたしの家……かしら。ったく、そう思うとホントにクソね、あの家」
「なんかだいぶとんでもないお家なんですね」
その時、一人の男がアリアとすれ違った。
ランビケは特に何も思わなかったが、アリアは無言で杖を取り出し、その杖を男に向けた。
「ちょ、アリアさん!!??」
杖先から電撃が放たれ、一直線に男に飛んでいく。
「ギャッ!!!??」
電撃が命中した男は悲鳴を上げ、身体の痺れるままその場に倒れた。
すぐ近くにいた人たちはその様子に驚いていたが、市場がそもそも騒々しいため、気付いた人数はあまり多くない。
倒れた男に歩み寄ったアリアは、男の懐をまさぐると、そこから財布を取り出した。
「あれ? それって……」
「うん、あたしの財布。さっき通りすがりにスられちゃった。スられる前に気付けないなんて、あたしも未熟ね」
アリアは痺れて動けない男の両腕を背中側に回すと、そこに杖を向けた。
男の両手首には、たちまち氷で出来た手錠が生成された。
「さて、こいつは兵士さんに突き出しましょっ。そこらへんにいないかしら?」
「兵士さんならそこの角を曲がったあたりに、市場を見張ってる方がいますけど……」
「ん、どうしたの?」
「アリアさん、一体どれくらいの種類の魔法を無詠唱で使えるんですか? 当たり前のように使うので、あたしの常識が壊れそうです」
無詠唱による魔法の行使は、詠唱を伴うそれとは難易度が桁違いだ。
詠唱を使えば魔法の行使に必要な魔力制御の多くを自動化できるが、無詠唱となると全てを自力で制御しなければならない。
魔法大学の生徒であっても、無詠唱魔法なんて一つも使えないのが普通だし、使えるとしても相性の良い種類の魔法だけ、という場合がほとんどだ。
それをアリアは、魔法の車が爆発した時には風のクッションを咄嗟に作り、泥棒には電撃を放ち、そして拘束のために氷の手錠を生成した。
詠唱を用いてそれら全てを行える魔法使いはさほど珍しくないが、全てを無詠唱で使える魔法使いがいるなんて、ランビケは思いもしなかった。
アリアは得意げな表情でランビケの問いに答える。
「ふふんっ、あたしは天才なの。大抵の魔法は無詠唱で使えるわよ」
「おお〜……。ここまで実力が伴ってると全然嫌味に聞こえませんね。かっこよさすら感じます」
「まあ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。ランのそういう素直なところ好きよ」
アリアは満面の笑みを浮かべながら、拘束した男を魔法で浮かせた。
◆
「動力の安定化、これが最大にして最重要の課題なんですよね」
スリの男を兵士に突き出した後、アリアとランビケは二人で食堂に来ていた。
この食堂は市場からも魔法大学からも近いため、常に席がほぼ埋まっている。
ただ、二人はお昼時よりも少し遅い時間に訪れたため、待つことなく席に着くことができた。
「この前みたいに爆発しちゃったらどうしようもないものね。そもそも、どうして爆発しちゃったのかしら。魔力を過剰に流しすぎちゃった?」
「それはないです。あたし、魔力量全然ですから」
「そうなの? それであんなに車輪が回転してたなんて、逆に凄いエネルギー効率ね」
「でもあれで実際に地面を走らせようとすると、空滑りしたりして十分に回転を活かせないんですよね。車輪も改良が必要なポイントの一つです」
「なるほどねえ。……でも、こういうのワクワクするわね」
「アリアさんもそう思います!?」
「ええ。試行錯誤で出来ることを増やしていくみたいなの、好きなのよねあたし」
「もしかして、その試行錯誤を続けて行った結果、アリアさんはどんな魔法も無詠唱で使えるようになったんですか?」
「どんな魔法も……ええ、まあそうね」
アリアが少し言い淀んで質問に答えたのにランビケは気付いたが、そこはあえて深堀りはしない事にした。
そこで二人のテーブルに注文が届いたため、会話の流れは食事により途切れた。
◆
「おお〜、これが車輪を回す動力部……に、なるの?」
日持ちする食材を研究室に持ち帰ってから、アリアはランビケに魔法の車の動力部を見せてもらっていた。
車の外装に隠されていたそれは、無数の歯車と筒が加工された魔法石に繋がれていた。
「この魔法石もランが加工したの?」
「はい、あたしのお手製です。魔力が流れると浮き上がろうとするので、その力を利用して歯車を回します」
「凄いなあ、魔法石の加工なんてそれだけで重宝される技術じゃない」
「魔法石の加工だけは大学の生徒で一番な自信があります! むしろ、これ以外は落第ギリギリなんですけど……」
「人には誰しも得意不得意があるものよ。……あたしも加工の勉強、してみようかしら。自前で結界石とか作れたら便利だし、お金稼ぎにもなるし」
そのアリアの言葉にランビケは目を輝かせた。
「オススメの本なら紹介できますよ! 本棚に何冊か良い本があります。ただ、加工の練習には難点があって……」
「実践練習するための魔法石がたくさん必要なのに高い、でしょう? ……はぁ、こういう時ばかりは地元が恋しくなるわね」
「アリアさんの地元って、魔法石の産地なんですか?」
「ええ。魔法石の産地っていうか、鉱山の街なのよ。で、あたしの家はそこの支配者だから、魔法石はいくらでも手に入ったわ。実際にあたしの元に来るのは、加工された結界石だったけど」
そこでランビケは何かに気付いたのか、急に黙って考え込んでしまった。
その時のランビケの表情は変に神妙で、アリアは不思議な印象を抱いた。
「……あのアリアさん。あたし、アリアさんのご実家が分かってしまいました」
「まあ、名前以外のヒントは全部出してるようなものだものね」
「いいんですか? 家出中で身分を隠してるんじゃありませんっけ」
「まあ嗅ぎ付けられると厄介だけど……だから、出来るだけよそであたしの話はしないでね。でも、あたしにかかれば、逃げるも返り討ちにするもお手のものよ!」
そう言ってアリアは歯を見せて笑った。
普段ならアリアの笑顔には自分も笑顔を返すランビケだが、その時だけは何故か口元を軽く緩ませるだけだったのが、アリアにとってこれまた不思議だった。