014-天から見た底
人の往来が多く明るく活気があり、バルツの街より開放感がある。
それが、セルリの街に対するメリアの所感だった。
故郷が嫌いなわけではないが、メリアはセルリの街に好感を抱いていた。
だが、それは目の前に広がる裏通りの光景を知らない上での感情だった。
建物は見るからに寂れていて、壁や屋根に穴が開いているものは珍しくない。
道端には木や石のガラクタが散らばり、油断しているとつまづいて転んでしまいそうだ。
メリアの知るセルリの街と何より違うのは、そこにいる人間の風体だった。
着ている服は、形としては服を保っているが、薄汚れ穴が開き、まるで雑巾のようだ。
表通りの街の人たちの服は、貴族のような装飾はないものの、それでも穴はなく十分に洗濯もされ、あのような服ではなかった。
それに、メリアには特別尖った視線が向けられているように感じられた。それらの視線は横にいるザガではなく、間違いなくメリアに向けられていた。
「……もしかして、また服で身分を疑われているんでしょうか」
「貴族とは思われてないだろうけどな。今はウチの商会からもらった服を着てるんだからよ。それ以上に、メリア嬢はここ初めてだろう? ここの連中は警戒心がつえーから、メリア嬢が有害かどうか見定めてるのさ」
ザガの説明により視線の理由は理解したものの、それでもメリアにとってあまり気分の良い状況ではなかった。
メリアはザガの後ろに隠れ、出来るだけ周りの人間と目を合わせないようにした。
そのまましばらく道を進んでいくと、不意にザガが立ち止まった。
メリアはザガにぶつかりそうになるも、ギリギリのところで踏み留まった。
「どーしたの、ザガくん……女の子なんか連れてきて。自慢でもしに来たの〜?」
聞こえて来たのは、気だるそうな少女の声だ。
メリアがザガの後ろから顔を出すと、正面には廃屋が建っていた。
廃屋は屋根が完全に崩れて、中が完全に野晒しになっている。その野晒しの部屋には中央に傷だらけの丸テーブルが置かれ、奥の肘掛け椅子に座った少女が組んだ脚をテーブルに乗せていた。
少女はボサボサの茶髪を伸ばしており、前髪でほとんど目が隠れている。
着ている服は穴こそ目立たないもののツギハギだらけだ。
「前も言ったろ、俺は年下には興味ねーの。いつも通り仕事の話だ」
「ういうい。どーいうご用件〜? ……そちらのお嬢さん絡みなんでしょ〜?」
「ああ。ウチの新入りが、初給料で買った物を盗られちまってな」
「あー、それはご愁傷様〜。……それで、あたしにどんなご用?」
「情報をくれ。表通りの露店が立ち並ぶあの辺に、八つくらいの女の子を行かせてそうなスリ集団の居場所だ」
「情報だけでいーの?」
「ああ、居場所だけ分かれば、あとはこっちでなんとかする」
「おっけー。んじゃ、そうだね〜……。三十分ね。ここで待ってて」
ザガと一通り会話すると、ボサボサの少女は席を立ち、裏通りへと歩いていった。
立ち上がると意外と背が高く、メリアよりも歳上のような雰囲気だ。
立ち去る時、一瞬だけメリアの方を見てきたので、メリアは咄嗟に身を隠した。
「メリア嬢、裏通りにビビりすぎじゃねえか? メリア嬢のケンカの強さなら、ビクビクする必要もねえと思うが」
「魔法大学での決闘の事を言ってます? ……確かに、形式的な戦いなら自信はありますけど。でも私、気を抜くと隙だらけになっちゃうんです。具体的には表通りで子供に荷物を盗られちゃうくらい……」
「ははっ、そうだったな、悪い悪い」
笑うザガの背から離れ、メリアは先ほどまで少女が座っていた肘掛け椅子に視線を向ける。
よく見ると肘掛け椅子は、部品ごとに木材の種類がバラバラだった。どうやら端材を組み合わせて肘掛け椅子にしたらしい。
「さっきのあの子、何者なんですか?」
「あいつはマースっつってな。ここで何でも屋をやってる。裏通りに用があったり、どうしても人手が足りねえ時に世話になるんだ」
「何でも屋って何です?」
「名前のまんまだよ。さっき俺が頼んだみたいな情報収集もやるし、荷運びや見張りをやる事もある。俺は頼んだことねえけど、用心棒とかもやってるらしいな」
「……その感じだと結構仕事してそうですけど、どうして彼女はこんなに貧しそうなんですか?」
メリアは周りを見回す。
マースの拠点と思われる廃屋は、屋根がない上壁も少ないため、雨風は全く凌げない。
彼女の服や椅子もツギハギだらけで、廃棄物を活用してなんとか生活しているような印象を受けた。
「……まさかザガさん、彼女に格安で仕事をさせているとか?」
メリアが鋭い視線を飛ばすと、ザガは慌てて否定した。
「おいおい、よしてくれよ。俺はそんなケチなヤツじゃねえよ。いつもマースと合意した分の報酬は払ってる。俺がケチだと商会や若までケチだと思われるからな」
「じゃあなんでマースさんはあんななんですか」
「あんなって、メリア嬢な……。ただこれはマース本人の話だから、俺が話す事じゃねえよ。後で直接聞きな」
廃屋で待つ事三十分、メリアが懐中時計と睨めっこしながら追加で十五分ほど待ってから、マースは戻ってきた。
「ごめーん、思ったより遅れた」
「十分はえーよ、気にすんな。で、どこだった?」
「居場所は口じゃ説明しづらいし、あたしが案内するよ〜」
帰ってすぐ再出発の準備を始めるマースに、メリアは今度は自分から目を合わせに行った。
そのメリアの様子を見て、マースは立ち止まる。
「あの、マースさん」
「あれ、あたし名前言ったっけ。ザガくんから聞いたのかな。どしたの?」
「私はメリアって言います。マースさんは、ちゃんと報酬はもらってるんですか?」
「ん〜? そりゃもちろん。どーして急にそんなことを?」
「だってマースさん、その……服とかボロボロで……貧乏じゃ……あ、その、悪く言うつもりはなくて!」
先ほどマースの事を「あんな」と言ってしまった事をザガに咎められたため、何か良い言い換えを探したが、思い浮かばず直球な言葉が出てしまった。
そんなメリアを見てマースはけらけら笑う。
「あはは、面白いね〜、メリアちゃん。うん、見ての通り、あたしは拠点にも服にも大してお金をかけていない。でもそれはね、お金がないからじゃないよ。他にお金を使いたい事があるからなんだ〜。服については裏じゃこれが一番目立たなくて都合がいいし」
「他にお金を使いたい事……?」
「うん。……これから見に行くスリ集団もそーなんだけどね、この裏通りには、家族や仕事を失って、どーしようもなくなった子供がたくさんいるんだ。そんな子たちは、食べていくためにはスリとかの犯罪集団の一員になって、食べ物を分けてもらうしかないの」
「……え?」
「要は悪い大人の使い捨ての駒にされるんだけど、それでも一人でいるよりはずっと食べ物を手に入れられる可能性はあるんだよね〜。……人って一人だと非力だからさ、食べ物の奪い合いになった時集団には勝てないんだよ。だからみんな、仕方なく犯罪に手を染める」
「……私の荷物を奪った子も……?」
「うん、きっとそう。だってふつーに食べれてふつーの服を着れてふつーに眠れる家があれば、盗みなんてして兵士に捕まるリスクを冒す必要ないもんね」
メリアは愕然とした。
荷物を盗んだ子供に事情があるなんて、メリアは想像もしていなかった。
盗みが悪い事だなんて、当たり前のことだ。
だから盗みを働くようなヤツはみんな心の底から腐っている悪人だ。
そう思っていた。
相手が盗みを働くしかない状況に置かれている可能性なんて考えもしなかった。
あの女の子が盗みを働くはずはないと思っていたら、実はスリ集団の一員で。
盗みを働く子供なんて生まれながらの悪人に違いないと思っていたら、実は止むに止まれぬ事情があって。
一日に何度も自分の視野の狭さを思い知らされ、メリアは気が沈んだ。
「……その、それで、マースさんは結局何にお金を使ってるんですか?」
沈んだ気分を紛らわすためにも、メリアは話題を元の話に戻した。
「あたし、実は部下がいるんだよね〜。何でも屋マースの店長なの。犯罪集団に入るくらいなら、あたしの部下にならないかって、子供を誘ってるの。で、その部下の子たちに、お金や食べ物を報酬として渡してるんだ〜」
「え、それってつまり……」
「ん。別に養ってるわけじゃないよ〜? あたしは子供たちに選択肢をあげたいの。犯罪以外にも生き残る道があればいいな〜って、あたしが思ってきたから。そのためには仕事を受けなきゃ始まらないし、よく仕事を持ってきてくれるザガくんには感謝してるんだ〜。まあつまり、部下の子たちに給料を払わなくちゃだから、あたし自身に使えるお金はあまりないんだよね〜。ま、服とか身だしなみについては、秘密の手段もあるからお金を使う必要がないんだけど、それはひみつ〜」
その話を聞いて、途端にメリアはマースの見え方が変わった。
貧しさの表れのように思えたツギハギの服など関係なく、マースはとても立派な人間に思えた。