真理亜の焦り
小原真理亜は担当教授に呼ばれた時に、やっとかとホッとした。
彼女はヨーロッパ国際関係論を専攻し、大学院に行って5年、博士論文が評価され、某大学の公募に応募していた。ようやくポストが決まったかと期待する。
勉強が好きで小中高校と優等生で通り、一浪したものの最高峰のT大学に入り、そこでも研究に没頭して大学教職を狙っていた彼女だが、最初は成績優秀な真面目な娘だと自慢していた両親も、父の定年も近くなり、そろそろ就職か結婚すればどうかとやかましくなっている。
(うるさい!
女だから家庭に入るとか今どきないわ。
私は好きな研究して大学教授になるのよ)
彼女の脳裏には、ヨーロッパでの戦争発生であちこちのテレビに呼ばれてコメントする売れっ子の女性教授が自分の姿で描かれる。
「教授、お呼びでしょうか」
真理亜がノックして部屋に入ると指導教授が困ったような顔をしていた。
しばらく世間話や研究の進捗を聞いたあと、教授は切り出した。
「小原さん、残念ながらあの大学は駄目だったよ」
「えー、教授があそこなら大丈夫だろうと云ってたじゃないですか」
真理亜は悲鳴のような声を上げる。
教授の勧めで相当ランクを下げて、いわゆるFランクの大学に応募していた。
彼女は不満だったが、早く就職をという親の希望に応えるために妥協したのだ。
「いやー、昔ならあんな大学、T大学からなら応募しただけで通ったのに、いまや就職難でうちの大学やK大学なんかから相当優秀な人も来ていたみたいだ。
女性枠でいけると思ったたんだけどな」
教授は軽くそう言うと、口調を改めて言う。
「ポストにつけないと、研究員という形で残るしかないが、少子化が進み大学も縮小してきている。よほど世に認められるような賞を取ったり、煌めくような才能が無ければ、この後も大学のポストは狭い道だ。
失礼だが、君は実家はずっと養ってくれそうか、又は研究しても文句を言わない夫の候補はいるかい?」
お前は凡才、見込みがないと言われているのと同じ、何と失礼なと真理亜は頭にきたが、ここで怒っても仕方がない。
「親は普通のサラリーマンで、もうすぐ定年なので自立してほしいと言われてます。
研究ばかりだったので結婚相手もいません」
「うーん、弱ったな。
普通に就職する気はないの?」
(何を今更。
ゼミにいた時に大学院から研究者になればと誘ったのは教授、あなたでしょう!)
そう言いたい気持ちを抑えて真理亜は言う。
「博士までとったのに今更事務仕事なんかにつけません」
「院まで行くとプライドが高くなるからなあ」
教授は他人事のようにそう呟くと、進路はスポンサーの親御さんと相談してきてと突き放して話を終えた。
重い気持ちで真理亜が帰宅すると、早速母に訊ねられた。
今度は大丈夫と彼女が話していたので、期待した目で見られる。
「就職は決まったのかしら」
「ごめんなさい。
ダメだったわ」
「あーあ。
じゃあどうするの?
ご近所や親戚からもどこにお勤めですかと訊かれて、答えるのに苦労しているのよ。
お父さんの定年も近いのに、もういつまで学費を払えばいいの!」
母に続いて妹の愛も口を出す。
「お姉ちゃん、そろそろ身の振り方を固めて貰わないと後が詰まっているのよ」
妹は並の私立大学からうまく一流企業に就職し、婚約者もいる。
母と妹が家を改装して二世帯住宅とし、この家で同居する計画をしているのを真理亜は知っている。
(そりゃ小姑の私が邪魔なのはわかるけど、露骨に邪険にしなくてもいいじゃない。
お母さんも昔は成績優秀な良い子だと私を持ち上げていたのに、今じゃすっかり愛の味方になって)
ふくれている真理亜に愛が名案を思いついたように話し掛ける。
「そうだ!
お隣の明宏さん、まだ未婚で相手を探していると里緒奈ちゃんが言ってたわ。
明宏兄さんに頼んで結婚してもらったら」
里緒奈というのはお隣の娘で小さい頃からの愛の親友だ。
愛はお隣に出入りして里緒奈の兄の明宏にも可愛がってもらっていた。
明宏は真理亜の同学年で幼馴染み。幼稚園から中学まで同じであった。
「それはいいかもな。
この間、帰り道に彼と駅で会って一杯飲んだが、真面目に働いていて、良い青年になったぞ」
黙って新聞を読んでいた父が口を出す。
娘二人で寂しがったのか、よく隣の明宏を連れ出してキャッチボールやサッカーをしていたと真理亜は思い出す。
「いいんじゃない。
小さい頃は真理亜も仲が良かったじゃない」
遂に母まで賛成した。
どこでもいいから早く出て行けということねと真理亜は邪推する。
(でも明宏はないわ。
そりゃ小さい頃は庇ってくれたりしたけど、アイツは成績が悪くて、地元の高校と大学に何とか滑り込んで、今は地域の中小建設会社でしょ。
土方みたいなことをしてる夫なんて外聞が悪すぎる。顔もせいぜいフツメンかそれ以下。
私と格が違うわ)
真理亜はプイッとそっぽを向くが、母と妹は話を弾ませ、妹が里緒奈に話を持ちかけるところまで進んでしまった。
反対しようにも真理亜に代案がない。
今更父のコネで中小企業に就職もしたくないし、同じ大学で付き合っていた男とは既に別れて相手は既婚者となっている。
頭が混乱して考えがまとまらない。
(あー、頭脳明晰の私が何も考えられないなんて)
「あーもう!
私は疲れたから寝てくる」
「じゃあ、里緒奈に電話して、明宏兄さんとまずお見合いするように頼んでおくから。
ちゃんとした格好で行ってよ」
妹が追撃の一言を放ち、真理亜は返事をする元気もなかった。
しかし一晩考えてみると悪くないような気もしてきた。
(明宏はおとなしい性格で私の言うことをよく聞いていたし、私のことを好きだったはず。
小学校の頃は私のためにいじめっ子に必死の形相で向かっていたものね。
顔はイマイチだし、学歴も職場も人に言えるレベルじゃないけど、真面目に働いているならスポンサーになってもらえば、この家で両親や妹に文句を言われ続けるよりずっといいかもしれないわ。
うまく大学でポストにつければ別れてもいいしね)
次の朝、二階から降りようとしていた真理亜にリビングでの家族の会話が聞こえる。
「じゃあ明宏くんは難色を示しているのか」
父ががっかりしたように言う。
「里緒奈は口を濁していたけど、今は仕事に専念したいとか。
でも高学歴で態度の大きいお姉ちゃんを嫌がっているところもあるんじゃない。
お姉ちゃん、小学校ではマジメと言われていじめられてたのを明宏さんに助けてもらったのに、中学では成績が悪いとバカにしていたんでしょう。
高校や大学では三流学校生と言って、出会っても話もしなかったと聞いてるわ。
やっぱりこの話は無理かも」
妹の愛がそうこぼす。
「高校や大学はいいに越したことはないが、社会に出たらそれよりも大事なことがある。
真面目に働き、ちゃんと任せられた仕事をこなしていくことだ。
彼の会社は地元ではしっかりしたものを作るどころだと信用があるし、最近伸びているぞ。
その中でも明宏くんは地味ながらも手堅く仕事をして上司の信頼も厚く、若手の有望格と聞く。
学歴を誇って、派手な仕事につきたがる真理亜とは合わないかもしれないな」
いつも口数少ない父が珍しく思うところを話す。
それだけ彼に思い入れがあったのだろうか。
「まあ、そう言わないの。
うちの高学歴ニートをなんとかしないと、お父さんのスネは囓られて私達の老後の資金はなくなるし、愛もお婿さんと一緒に暮らせないわ。
なんとか里緒奈ちゃんに泣きついて、まずは会う段取りを立ててよ」
母が気を立て直すように愛に頼む。
(ああ、私って自慢の娘だと思っていたら、今やこの家のお荷物なんだ。
しかし明宏の奴、私を振るなんて百年早いわ)
真理亜は今知った家族のおもいにショックを受けるとともに、これまで美人で通り何度も告白されてきた自分が、振ることはあっても振られるなどあり得ないと怒りを燃やす。
なに食わぬ顔で、足音高く鳴らすとピタリと話し声は止まる。
「おはよう」
彼女の挨拶に、父と妹は、もうこんな時間かと慌てて出勤の準備をし、母は真理亜の朝食の準備にキッチンに向かう。
(今晩、明宏を捕まえて話をつけてやるわ)
真理亜はそう考えながら、母の持ってきたトーストにかぶりついた。
教授とのやり取りは実話です。金持ちの親か養ってくれるパートナーがいないと文系研究者になるのは厳しいようです。
シビアな話になるかもしれませんが、数話でまとめる予定です。
その後にバリーの方もボチボチと進めていきます。