7.公爵令嬢4
※下に簡易登場人物説明を入れておきます。
『聖獣の食べる物? そうねえ、神の領域の生き物だから、自然から力を得るって設定だったわ、確か。あ、でも、嗜好品としての好物があってね、』
「聖獣が甘い菓子を好む? 初めて聞くが、」
困惑気味の父に、リディアは魔導書から教わったからとは言えず、なんと説明すれば良いのか分からなかった。
「ガジが食べたいというそぶりをみせたのですか?」
「え、ええ、そうですの」
ルーファスの言葉に飛びついた。
「ジェイラスさま、聖獣さまでしたら、御身に障るものは口になさいませんでしょう。試みに差し上げてはいかがでしょうか」
たぶん母はリディアが魔導書から教わったのを察して、アシストしてくれた。
父は母の言をすんなり取り入れた。
「君の言うとおりだな。やってみよう」
こうして、ガジはスイーツを供され、嬉しそうに尾を振りながらあっという間に食べた。
「どう? ガジ、身体の調子は悪くないかしら?」
「おん!」
ガジは嬉し気にリディアを見上げる。リディアはその背筋を撫でる。ガジは一層喜ばしそうに目を細める。
「大丈夫そうだな」
父は満足げに頷いた。
「では、毎日スイーツを差し上げてもよろしいでしょうか?」
「ああ。執事にはわたしから言っておく」
「お願いします」
こうして、リディアとルーファスは毎日ガジとおやつを食べるようになった。
「ふふ。聖獣がスイーツを好むなんてね」
リディアがほほを寄せると、ガジは鼻をぴすぴすと鳴らす。
やがて、執事は腕の良いパティシエを雇い入れた。
「初めまして。フランシス・バルフォアと言います」
言ってぱちんと片目をつぶって見せると、髪と同じ金色の長いまつげがふぁさりと動いた。茶目っ気たっぷりの青い瞳に、あちこちに跳び跳ねる癖っ毛の持ち主のパティシエはリディアが見たこともないスイーツを様々に作った。
「今日はなにかしらね?」
「わふん」
「ガジも楽しみにしているのね」
「おん!」
顔をほころばせるリディアを、艶やかな短毛に覆われたガジが見上げる。
麗しい令嬢と細身ながらも筋肉質の犬の姿の聖獣が親し気に振る舞う様子は、一幅の絵のようである。
「うつくしいご令嬢と聖獣さまが喜んでくださるので、作り甲斐があります」
袖をまくり上げた腕には筋肉が盛り上がっている。
あちこちをめぐって各地のお菓子のレシピを学んできたというフランシスの話を、リディアとルーファス、ガジはスイーツを食べながら楽しく聞いた。
そんなふうにして、人慣れない崇高な存在であるはずの聖獣は、フェアクロフ公爵家で厚遇されたのだった。
父の妹である叔母上の婚家エヴァレット公爵家の茶会に招待されたリディアは、ルーファスは行かないと聞いて驚いた。
「まあ、どうして?」
ルーファスは苦笑する。
「わたしはフェアクロフ公爵家の者ではありませんので」
「では、わたくしもお留守番をしていますわ。だって、ルーファスひとりきりでは、寂しいでしょう?」
両親を亡くして寂しい、という認識が根付いているリディアは、そう言った。ここに魔導書がいたならば、人によっては「たまにはひとりになりたい」という感情もあるのだとでも教えただろうか。
「いえ、でも、」
久々に不明瞭な声を発するルーファスに、リディアは辛抱強くしばらく待ってみたものの、明確な返答がなかったので、侍女に母に伝えるように指示した。
迅速に話は伝わったらしく、帰って来たばかりの父に呼ばれた。私室にはルーファスも呼ばれたらしく、所在なげに立っていた。
「リディア、エヴァレット公爵家の茶会を欠席するのはなぜなんだ? フェリシア嬢とは仲が良いだろう?」
「もちろんですわ。でも、ルーファスだけ行かないのは、なんだか悲しい気がしますもの」
ルーファスはこのとき、感動していた。先ほど、リディアから自分もルーファスといっしょに残ると聞いたときには戸惑いばかりがあった。けれど、リディアは自分の気持ちに寄り沿おうとしてくれているのだ。
リディアは叔母上や従姉妹の話をよくルーファスにした。とても楽しそうで、高位貴族どうしの結びつきというよりは親しい親戚への愛情を感じた。なのに、彼らに会うよりも自分を優先するという。そのことに優越感を抱いた。それ以上に強烈な感情がこみ上げてくる。
なお、リディアはルーファスにするのと同じように、ガジにもあれこれと語ってみせた。聖獣は人の言葉を介すというから、ガジは相当リディア周辺の事情に明るくなっていることだろう。
「分かった」
リディアにひとつ頷いてみせた父は、ルーファスの方を向いた。
「それで、君は? 茶会に出席したいか?」
「わ、わたしは、」
リディアに向けられるのとは違う温かみのない視線だ。それでも、ほかへ向けられるよりもまだ熱量があったと知るのはもう少し後のことである。射貫くような青い瞳に、自分の資質を見定めようとされているとルーファスは本能的に悟り、足に力を籠めてその場にとどまった。
「君は今後どういった立ち位置でありたい?」
ルーファスは大きく息を吸った。少し前からずっと考えてきたことを口にする。
「わたしはリディアお嬢さまをお守りしたいです」
ルーファスの返答に頷いたのは、先ほどリディアにした仕草とは打って変わって、ただ単に先を促すためのものでしかなかった。
「そのためには多くのものを身につけねばならん。その覚悟はあるか?」
「ございます」
ルーファスは即答した。
「良かろう」
少し唇の端を持ち上げたジェイラスはリディアを先に部屋へ戻らせた。ルーファスとは詳細を詰めるのだという。どんなことを話し合うのか聞いてみたい気もしたが、致し方ない。
あとから、魔導書の言うところによると『男同士の話ってもんよ』なのだそうだ。『それにしても、アンタ、順調に攻略されて行っているわねえ』と言っていた。
魔導書はときおり妙なことを言う。
『復讐の回避をしろって言っているのに、なんでアンタ、攻略してんの?』などである。
『あらあら、聖獣も順調に攻略しているわねえ』もある。
たぶん、魔導書の独特の言い回しで、コウリャクというのは親密度合いのことを指すのだろう。
魔導書はリディアの話を細かいことまで聞きたがった。だから、リディアはなるべく、あった事柄を覚えていようと注意深くなった。そうしてみると、周囲の者たちの意図するところをなんとなく読み取れるようになった。思わぬ余禄があったのである。
さて、エヴァレット公爵家の茶会には王太子と王女も招かれていた。
「いらっしゃい、リディア。まあ、少し見ないうちにうつくしくなって」
「ご無沙汰しております。叔母上は変わらずおうつくしいですわね。あら、今日のドレスは叔父上のポケットチーフとお揃いですか?」
「そうよ。気づいてくれて嬉しいわ」
「叔母上にとてもお似合いですわ。もちろん、叔父上にも」
出迎えたエヴァレット公爵夫妻に挨拶をする際、リディアは形式的な言葉に気づいた事柄を付け加えたら、とても喜ばれた。
「やあ、この上ない言葉だね。ジェイラス、君の宝ものは少し見ないうちにとても聡明になったようだね」
義理の叔父であるエヴァレット公爵は金髪碧眼で茶目っ気たっぷりで若々しく、最近、ひげを貯え始めた。
そんなエヴァレット公爵はリディアの両脇を持って高く掲げる。両親はそんなことはしない。この義理の叔父くらいなものだが、リディアは案外こういう扱いが好きで、思わず笑い声をあげた。
「いい加減、下ろせ」
父は冷たく言い捨てるが、そもそもこんなことをリディアに許すのはエヴァレット公爵エドワードくらいなものだ。身内以外がリディアに触れようものなら、冷たい視線で氷漬けにしてしまう。
「愛らしい上に賢明さが加わって相乗効果がいや増すばかりだ」
エヴァレット公爵の称賛に、父は謙遜することなくそれ以上に賛美した。
それが常であったのだが、ふとリディアはルーファスはどんなふうに思うのだろうと気になった。親しい親族間の決まった挨拶のようなものなのだが、初めて聞くルーファスは呆れてはいないかと様子を窺うと、熱心に同意するかのように頷いていた。
「リディア、お待ちしておりましたわ!」
「フェリシア、お久しぶりですわね」
二家の公爵夫妻どうしで話し、ルーファスを紹介している間に、従姉妹のフェリシアが飛びつくように語り掛けてきた。
フェリシアは金髪碧眼の快活な少女だ。女傑である叔母上から完璧な淑女になるべく教育を受けているが、リディアと話すときは年相応の朗らかさを発揮する。
「あちらがフェアクロフ公爵家が引き取ったという方ですの?」
「ええ、そうですわ。ルーファス・フェアクロフです」
そんなふうにエントランスに留まったまま話し合っていたら、ほかの招待客の馬車が到着する。
王太子と王女の下車に、みなが頭を下げる。
「あら、総勢での迎え、大儀ですわ」
この中で最も身分が高い王太子ライオネル・エントウィッスルを差し置いてそう言ったのは、王女メレディス・エントウィッスルである。
・リディア・フェアクロフ:フェアクロフ公爵令嬢。セシリアとジェイラスの娘。
・ルーファス・フェアクロフ:フェアクロフ公爵家に引き取られた遠縁。
・フェリシア・エヴァレット:公爵令嬢。乙女ゲーム続編のヒロイン。
・ジェイラス・フェアクロフ:公爵。リディアの父。
・セシリア・フェアクロフ:公爵夫人。リディアの母。
・エドワード・エヴァレット:王弟。公爵。フェリシアの父。
・アレクシア・エヴァレット:公爵夫人。フェリシアの母。
・ライオネル・エントウィッスル:王太子。
・メレディス・エントウィッスル:王女。王太子の妹。
・フランシス・バルフォア:フェアクロフ公爵家のパティシエ。