第3話
私とフレンはカストラ殿下にエスコートされて皇城の奥にある後宮へと足を運びます。
「父上ももういい年で男としては完全に枯れてるからな。お陰で今では後宮は俺の物さ」
得意満面にそう語るカストラ殿下の顔は醜悪そのものでした。
後宮には百人を超える多くの女性が囲われていました。
その身分は王侯貴族から平民まで多岐にわたり、カストラ殿下の節操のなさが伺えます。
カストラ殿下のお相手を務めるのは一日ひとりです。
その夜誰が選ばれるのかはカストラ殿下の気分次第。
私とフレンは後宮内の一室で大人しく自分たちの順番が回ってくるのを待ち続けました。
そして数日後ついに私の番がやってきました。
度重なる他国への侵略の歴史からワルブーゼ帝国に対して恨みを持つ者は多く、暗殺目的で皇帝ゴルミリスやカストラ殿下の懐に潜り込もうとする者も珍しくないと聞きます。
私は凶器を所持していないか女官たちに入念な身体検査を受けた後で漸く問題なしと判断されカストラ殿下の部屋に通されました。
部屋の中央に置かれた豪華なベッドの上に腰を降ろしていたカストラ殿下は私が献上した黄金の実を生らした白銀の樹木を愛でながら言いました。
「待っていたよ。君はシュトラー王国の王女マリシアだったね」
「はい、あれだけの数の側室をお持ちでいながらよく顔を覚えておいででしたね」
「当然だろう。皆俺の愛する者たちばかりだからね。君の国の事もよく知っているよ」
「そうなんですか。どちらでお聞きになりました?」
「聞いたも何も、五年前に実際に行った事があるからね」
「え?」
五年前と言えば丁度帝国軍が私の国を侵略してきた時期です。
「まさか……」
私の心拍が早くなりました。
「ああ、あの時帝国軍を指揮していたのは俺さ。父上に皇太子として次期皇帝の椅子に座る以上一度は実戦の経験を積んでおけと言われてね。正直態々あんな辺境まで足を運ぶのは面倒だったが終わってみれば狩りでもしているようで楽しかったな」
「狩り……ですか」
「しかしあの国の兵士たちは特に弱かったな。聖女の力というぬるま湯に浸かってたせいで余程平和ボケしていたんだろうな。あれじゃあ何の経験にもなりゃしない」
「……」
「もっともそんなシュトラー王国も今では我ら帝国の保護下だ。もうお前たちの国の安全は保障されたわけだな。お前も俺には感謝をしてもしきれないだろ?」
「……はい、そうですね」
「そうそう、俺は昔から聖女について興味があったんだ。お前もシュトラー王家の女なら聖女の力を持っているんだろ? どんなものかちょっと見せてくれよ。なるべく派手な奴をさ」
「……イエリス……」
「あ?」
「……」
カストラ殿下の心ない言葉の数々に私の脳裏にあの日の惨劇の光景が蘇りました。
長い平和の中で争いから離れていたシュトラー王国の人々には遥か東方の地から雪崩のような勢いで侵略してきた帝国の精鋭を止められるはずもなく、開戦から僅か数日の内に王都への侵攻を許すほどの大敗を喫しました。
聖女が持つ神聖な力は邪悪なる魔物を排除する事はできますが同じ人間の軍隊に対しては無力でした。
私は僅かな兵士たちに守られながら命辛々王宮から脱出し山の麓にある古ぼけた小屋の中に身を隠していましたがその場所も瞬く間に帝国軍に突き止められてしまいました。
「もうダメです、とても持ち堪えられません!」
「こうなればひとりでも多くの敵兵を道連れに……ぐああっ!」
「た、隊長がやられた!」
兵士たちの怒号と断末魔の叫びが小屋の中に立て篭もっている私の耳にも聞こえてきました。
どうやらここまでのようです。
覚悟を決めたその時、入口の扉が小屋の前を見張っていたイエリスが飛び込んできました。
「マリシア様、早く裏口からお逃げ下さい。間もなく奴らがここにもやってきます」
「イエリス、あなたはどうするのです?」
「私はここで一秒でも長く奴らを食い止めます。その間にあなただけでもどこかへ落ち延びて下さい」
既に父である国王や兄弟たちは王宮の陥落と共に帰らぬ人となり、生き残っているのは王女である私のみです。
ここで私が死ねばシュトラー王家の血は途絶えてしまいます。
「イエリス……ごめんなさい!」
私にはイエリスを捨石にして逃げる選択肢しかありませんでした。
「まだネズミが隠れていたぞ! 殺せ!」
「帝国の犬どもめ、ここは死んでも通さんぞ」
私が脱出した後に入れ違うような形で帝国の兵士たちが小屋に殺到してきました。
「イエリス、許して……」
私は耳を塞ぎ、後方から聞こえてくる叫び声や鍔迫り合いの音を遮断しながら無我夢中で走り続けました。
帝国軍はひとしきり王都内を荒らしまわった後、この地を征服するでもなくまるで遊びつくして飽きた玩具を打ち捨てるかのように帰って行きました。
ひとり生き延びた私はただ王国を再興と帝国への復讐だけを考えて泥水を啜りながら今日まで生き恥を晒してきました。
「どうしたマリシア、さっきから黙り腐って。俺は聖女の力とやらを見せて欲しいと言っているんだ」
カストラ殿下はずっと上の空で話を聞いているのかどうかも分からない私の態度に不満を露わにし、突然私の頭を掴むとベッドに押さえつけました。
「ひょっとして俺たちがお前たちの国に攻め込んだ事をまだ逆恨みしているのか? だが妙な事を考えるなよ、少しでも俺に危害を加えてみろ。またあの日のようにシュトラー王国は火の海になるぞ。お前は黙って俺が飽きるまで誠心誠意俺に尽くしていれば良いんだ」
私はカストラ殿下を睨みつけながら言いました。
「カストラ様。シュトラー王国は既に滅んでいますのでこれ以上手出しはできませんよ。あの日生き延びる事ができたのは私ひとりだけなんです」
「は? 急に何を言いだすんだ」
「もうシュトラー王国はこの世界に存在しないのです。私はあなたたちに殺された人たちの復讐の為にここまでやってきたんです。ほら後ろを見てご覧なさい」
「ああん?」
カストラ殿下が後ろを振り向くとそこにはひとつの人影が立っていました。
薄暗い部屋の中その顔ははっきりとは見えませんが、まるで地獄の亡者のように生気を感じさせないその姿にカストラ殿下は「ひいっ」っと悲鳴を上げて床に転がり落ちながら喚きました。
「だ……誰だお前は!? どうやってここに入ってきた!? くそっ、衛兵たちは何をしていたんだ」
すかさず亡者のような人影がカストラ殿下に覆い被さって頭を床に押さえつけました。
私は乱れた衣服や髪の毛を整えるとゆっくりとベッドに腰掛け、カストラ殿下を見下ろしながら言いました。
「私、あの日から恨みを晴らす為に五年間ずっと聖女の力を磨き続けてきましたのよ。カストラ殿下は聖女の力の真髄をご存じない様ですね」
「ば……馬鹿にするな、聖女の力ぐらい誰でも知っている。魔を退ける破邪の力に病や怪我を癒す治癒の力、それから蘇生の……はっ、まさか!?」
「ええ、死者の魂を現世に呼び戻しその肉体を蘇らせる蘇生の力。これを使いこなせるようになるまで五年間血が滲むような修練の日々でしたわ」
「するとこいつはお前の力で蘇った死者だというのか……いやそんなはずはない。蘇生の力を使う為には死体が必要なはずだ」
「覚えていらっしゃいませんか? 先日献上した我が国の土を。あの中にはあなたたちに殺された兵士たちの骨を砕いて練り混ぜておきましたのよ。今頃あちこちで土の中から蘇った何百という王国の兵士たちが帝国への恨みを晴らすべく暴れまわっている事でしょう」
そして都合の良い事にカストラ殿下の部屋には黄金の実が生る白銀の木が植えられた植木鉢が飾ってあります。
言うまでもなく今カストラ殿下を押さえている亡者はその土の中に埋められていた骨片から蘇った者です。
「しかしそれがどうしたというのだ。お前たちの国の弱兵など帝国が誇る精鋭たちにかかればあっという間に鎮圧されるのがオチだ」
「まだお分かりになりませんか? 今帝都中で暴れまわっているのは不死の兵。倒れても何度でも私の蘇生の力で蘇らせられるのですよ。それこそ帝国中の全ての兵が死滅するまでね。それに……」
「それに……何だ?」
「皇城に来る途中に首塚とかいう面白い物が目に入りましたので、ついでにその中に埋められている人たちも生き返らせておきましたよ。あの人たちもさぞかし帝国のことを恨んでいる事でしょうね」
「な……何が聖女だ……お前は聖女なんかじゃない、まさにネクロマンサー……」
「失礼ね。もうしゃべらないで」
私の合図で亡者が両手でカストラ陛下の首を掴み締めあげました。
「ぐえっ」
グキっという首の骨が砕ける鈍い音がした後にカストラは動かなくなりました。
私は亡者に労わるように声を書けます。
「ありがとうイエリス。これで少しは溜飲が下がったわ」