第七話『 うつろ舟 』
『魔獣詩歌断片集』曰く、
大陸西部の南方地域は、熱気と湿気、そして緑の濃いいわゆる『南国』である。南の海辺から大洋が広がり。西には、前人未到の『魔獣深森』の樹海と湿原が広がっていた。
『南国』には、魔獣深森から大小の川が流れていた。
池や沼を途中作りながら、最期に南の大洋に流れ出たが、この流れは人間の領域にたまに思わぬものをもたらした。
小さな開拓村と、血すじや出身文化でまとまる連合(のちの《部族》)しかなかった頃、『南国』を大嵐が襲い、河川のほとりにあった、チェラスという大きな村に奇妙な『舟』が流れ着いた。
美しい赤金色のなめらかな外殻。多孔の金属箔を貼り重ねたような『舟』で、とてつもなく硬く、軽く。大人が12、13人乗り込めるほど大きかった。中側はつるりとして空っぽだ。
── それは豆のないエダマメ、空のサヤにみえた。
この頃、魔獣深森の中に、金属の葉や幹の怪樹があることが知られていた。どうみても流れ着いたそれは川上、魔獣の森の産だった。
チェラスのものたちが川沿いを探すと、舟のかたちの空鞘は八隻?もみつかった。どれも空っぽ。ありえないほど大きいが、どれも同じかたちのサヤ。絶妙に長軸がひらいて水面に浮かび、舟そのものだった。
── 試しに「船尾」に櫓櫂をつけると、人や重い荷物をのせながら水を切って軽快に進んだ。
チェラス村はこのとき、川沿いで一番大きく、近隣の集落を4つもまとめる氏族の要だった。街壁や王宮は無いものの人口は1000人近く、歴史も長く、魔の森からの漂着物もはじめてではなかった。
これまで危険なものや怪しいものは、ためらわず焼くか、さらに下流へ流し去ったが、恵みを受けたこともあった。村の神像は、流木の香木の彫刻だった。
しかも、このとき村の川舟は、嵐で何隻も壊れていた。
チェラスの長は悩み。赤金のサヤをひとつ、手間ひまかけて(鉄の工具をいくつもダメにして)ばらばらに壊させてみたが、おかしなコトは起きず、おかしなモノは見つからなかった。
恐る恐る… チェラスで使われ始めた『赤金色のサヤ舟』は、木やアシや皮張りの川舟より軽快で、丈夫で、頼もしい水路の足になった。
三年たつと、赤金色の不沈のサヤ舟は、チェラスの村の誇り。なくてはならないものになっていた。 河川の交易に漁、旅客、湿原の草木の採取──
赤金色は美しく早く、川面を毎日忙しく行き交った。
さぞ立派な金属の木に成っていたのであろう…… 大きなサヤ舟の金属植物繊維の船底は大量の川魚、大勢の旅客、重い鉄塊をのせてもビクともせず。
危険なグレイリザードの歯や爪でもサヤ舟は傷つかず、水上でのしかかられても不思議と転覆しない。逆に、人を乗せたサヤ舟が勢いよく当たれば、赤金色の舳先はトカゲ魔獣の頭を砕いた。
不思議なことに、小さな虫やネズミはサヤ舟に寄り付かなかった。
嫌う匂いでもするのか── わからなかったが、チェラスの生命線の川は、夏に羽虫が息がつまるほどわく。虫雲がよけてゆくのはとても好都合。
チェラスの赤金色のサヤ舟は、ほかの村の羨望の的となった。
チェラスの子どもらは、サヤ舟に乗ると高揚し。時が経って、赤金色が少し濃くなった舟べりを楽器のように叩いて、川面を渡る間、明るく歌った。
そんなある日のこと。
まだ暗いうち、いつものようにチェラスの漁師の男が起き出すと、村の川岸から七隻のサヤ舟がゆらゆら、離れてゆくところだった。
みっしり子どもが乗り込んでいて、きれいにならんだ頭は舳先の方を向いていた。少しも動きがない。声は一つも聞こえない。
大人たちがあつまり、チェラスの岸辺は騒然となった。
サヤ舟に乗っていたのは、幼な子を含む少年少女たち。普段どおり家でねむり、いつの間にか抜け出していた。人数は百人を越えていた。
村の長や親たちの怒声、悲鳴をよそに、ゆるゆる、川面を赤金色の舟は進む…… 漕ぎ手なしに。
大人たちの木船が川へ漕ぎ出したが、間に合わなかった。近づくより早く、サヤ舟は、すい、と川の真ん中で水底に消えた。
海獣が波間に潜って行くように。
そうなるのが当たり前のように。
前に進みながら飛沫も立てず、暗い色の川面、その下へ。
赤金色のサヤ舟は、最後の瞬間、形をかえて閉じ合わされた。
消えた子どもは 110人とも130人とも伝わっている。下は六才から上は十五才。 チェラスのひとつの世代が、その朝、永遠に消えた。
それから何日も、チェラスの大人は川をさらい水に潜ったが、いくら探しても子どもは見つからなかった。大きなサヤ舟のすがたもない。
のばせる限り捜索の手をのばしたが、遠方からの吉報はなかった。
子どもを根こそぎ失ったチェラスは不安と焦りで混乱した。捜索が空回りする度、村人のいさかいは増えて、近隣の集落の取りまとめ、ほかの大きな村との付き合いまでおかしなことになった。
…… ついには村長が刺されて死んだ。
チェラスはさらに乱れ、翌年、リザードマンの襲撃であっけなく滅んだ。
幼子を連れ去る水葬舟 ──人を呑む金属植物のサヤ舟。
チェラスが滅んでも怪事の伝承は大陸各地へ広まったが、いつしか、吟遊詩人や作家が翻案した物語を作りはじめた。
そのひとつ ── 川舟に馴染みのうすい大陸中央で生まれたのは、正体のわからない『笛吹き』が大きな街に入り込み、何百人もの子どもが川に連れ去られる話だった。
不思議な物語は人気をよび、おおもとの話より有名になった。
今日のジャスパルでは、サヤ舟の原典は、ごく一部の土地に伝承されているだけだ。人々に広く知られているのは、大陸西部に逆輸入された笛吹きの物語だった。
いつの日か、サヤ舟の群れがまた川を下ってきても、そのとき、チェラスの出来事は忘れられているかも知れない。
大陸西部で消えてゆく、過去の怪事の伝承である。