第五話『 魚影 』
『魔獣詩歌断片集』曰く──、
大陸西部の群小国が「盾の三国」に束ねられた頃、その一つ、スピルードル王国の北の山のふもとで、突然熱水が湧き出した。
大陸の東の地には火山が多く、自然にわく熱水泉もあったが大陸西部では珍しい。しかも、にわかに出た熱水は命の危険がある高温で、大きく深く溜まって池になった。
運のよいことに熱水は近くの川や湖に流れ出ず、大量死した魚が水面を埋める騒ぎは起きなかった。
同時に運の悪いことに、熱湯の大池は重要な街道の一部をせばめるように広がり。もとからあった岩山の山際と、新たな熱池の間に、細く長く新たな難所をつくった。
しかも、どこからともなく黒い魚の化け物があらわれ、高温をものともせず大池にすみついた。
大きな牡牛ほどもある、黒いピラルクである。
黒い怪魚は、ふだんゆうゆうと熱水を泳ぎ、水辺に人や馬車が近づくと陸へ飛び出して襲いかかった。街道がせばまったところではね狂い、ときに熱水を口から吐きかけて犠牲者を池に落とした。
不利になれば、あっという間に逃げもどり、熱水の濁りと靄(湯気)にその姿は隠される── 被害は増えるばかりだった。
しかし、ある時、あっけなく池は干上がった。熱水の湧き出しが突然止まったのだ。始まったときと同様、その理由はわからない。
あれほど暴れた怪魚は、黒いからだを石のようにかためて、空になった池の底でみつかった。その血は黒いコールタールのようで、常温で肉ごとかたまったのだ。
だが、その死は、熱湯が干上がった凍えでも窒息でもなかった。大きな頭は、右目から左目へ、先の尖った太い鉄棒に刺し貫かれていた。
熱水はどこからわいて、なぜ止んだのか。
高温を泳ぐ黒い巨魚はどこで生まれ、なぜ池にあらわれて人を襲ったのか。そして、だれが倒したのか…… 分かっていることはほとんどない。
大陸西部の片隅で起きて、いつの間にか終わった小さな事件である。