第二十話 『 夜来る木霊 』
夜来る木霊
『魔獣詩歌断片集』 曰く──、
大陸西方のネゾンは、中央の大国の信仰あつい老貴族が山中に興した町だ。
林業と手工業を軸に堅実に発展し、勤勉で質素倹約を旨とした。大陸中央の出身国と親密なつながりをたもったので、早いうちから、中央諸国と交易をはじめて裕福になった。
現在も、町のまわりの山でとれる高級木材や香木、薬種の樹皮、さらに木彫り細工はよい交易品だ。
西方のほかの開拓地は、たいてい、遠く離れた中央諸国の出身国との疎遠で、なかには、はっきりと敵対、断交した集落さえあった。
むりもない。開拓地とは名ばかり、大陸中央の国が口減らしのため、都市の貧民や災害難民をむりやり未開地へ送り込んだ事業もあった。ネゾンの来歴や成功は、稀有な例だ。
あるときネゾンの裕福な人々は、かれらの城郭都市に、新しく大きな教会を建てた。
住民は、長年、光の精霊をあつく信仰し、大陸中央とのつながりと裕福さから、中央教会の総聖堂の仕草や作法に厳密であった。『現地化』を不純とし、町の教会でふだんつかわれるロウソクやインクさえ、わざわざ大陸中央から取り寄せたほどだ。
だが、美しい教会に費やされた金と労力は並大抵ではなかった。
黄金色の教会の鐘はとくに素晴らしかった。
名高い工房に特別に注文した芸術的逸品で、大陸中央から運ばれる前、中央教会で聖別されていた。
真新しい教会が完成すると、黄金色の鐘は、晴れたよき日の正午、高い鐘楼で鳴らされた。美しい澄んだ音色は、たちまちネゾンの四方八方、遠く離れた土地まで響きわたった。
近隣の開拓地は、ネゾンの一大事業をやや呆れた目で見守っていた。
ネゾンの町は信用できる隣人で、魔獣災害など、地域で取り組む難事にも労を惜しまなかったので、好意的にみられていた。やや押しつけがましく、正しい光の精霊信仰を勧める悪癖があったが、礼儀と程度はわきまえていたので、近隣の人々も、うるさがらず丁重に聞き流していた。
だが、聖なる鐘の清らかな音色が、空から降るように聞こえてくると、少し態度をかえた。『うち』の教会ももう少し見栄えよくなるように、なにか屋根に塗ろうか。早朝の礼拝に、久々に顔を出そうか……などと。
ささやかだがとても広く大勢に影響して、何人かは強い印象をいだいた。
人だけではない。
ネゾンに近いの山々では、野鳥や樹海から出てきた魔獣までもが鐘の音に耳を傾けた。
ネゾンの教会は大変な評判になり、まわりの土地から見物に来るもの、足をのばす旅行者が増えた。白い教会と黄金色の鐘は町の誇りになった。
しかし、それは、わずかの間だった。
ある夜、突然、大きく澄んだ鐘の音が空に鳴り響いた。ネゾンの人々は驚いた。それは『町の外から』だった。
怪音は、明け方まで鳴り止まなかった。
そして、連日連夜、町を襲った。
黄金色の鐘の音色とそっくりに聞こえても、無論、教会の鐘ではない。
怪音が発せられるのは、ネゾンの町から少し離れた何もない山や野原のただ中。ときに日が暮れると人気のなくなる畑、材木の加工場でもわき起こった。三、四の場所から一度に発せられたことも。
昼に鐘楼から鳴り響いた音色を、四方八方から、奏で返しているようだ。
鳴り止まない夜の鐘の音は、拷問、あるいは災害そのもの。
まわりの開拓地も怪音の害を受けたが、ネゾンの害は格別。家の屋根や壁さえ震えた。耳をふさいでも遮れない。ほかならぬ新しい教会で、錯乱した番犬がつながれたまま外に置かれ、朝、狂い死にしてみつかったほどだ。
ネゾンはたちまち荒廃した。
異常な夜が明けた初日、町から列をなして旅行者や滞在者が逃げた。行商や輸送業の者も去った。だが、馬やロバがおかしくなり足止めされる商隊が出た。するとその話を聞きつけて、ネゾンを訪ねようとした商隊はことごとく行先を変えた。
二晩目、心を狂わすものが疫病のようにふえた。夜が明けて、町からほかの場所へ、子供や老人や病人が疎開した。大勢がそれにつづいた。
ネゾンのハンターや兵士は奮闘した。夜の野外で怪音を追ったが、からかうように?人が駆けつけると怪音は止み。離れた場所ですぐまた、新たにはじまった。何度くり返しても朝まで止まない。
そして、どこからも、大きな鐘や楽器めいたもの、あやしいものも見つからなかった。
美しい本物の鐘はいつの間にか鳴らされなくなり、真新しい教会の鐘楼の頂きで覆いをかけられた。だが、怪音は止まなかった。
……… その旅の騎士が、ネゾンにあらわれたのは異常の七日目だ。怪音の話を聞いて訪ねて来たといい、昼間から人気のない門を通る。
騎士は、ひとり、ひとしきり、いそがしくネゾンのハンターギルドで調べものをして、夜になると、近くの野山を乗ってきた馬でかけた。
町の外で、地元のハンターや兵士にだいぶじゃまにされたらしいが、終いにはなんと、矢を射かけられた。一矢、当たった。
騎士は、ひもにつないだ白い骨?の笛を振り、ひゅー、ぴゅー、と、片手で鳴らして疾駆したらしい。止めても聞き入れなかったそうだ。
ネゾンの災厄をおもしろがるような奇行だ。
地元のハンターたちは、その夜もどうにかして解決の手がかりをつかもうと、まだ懸命に怪音を追っていた。その目の前でとなれば、怒りの矛先が向いても仕方がない。
だが、怪我人が出た騒ぎはそこから大きくならなかった。
鐘の怪音は騒ぎの間も、ずっと夜空に響いていた。だが、なんの前触れもなく甲高くひずみ、めちゃめちゃな狂騒へ変転したのだ。
鐘の音だけではない。
大木の倒れる音、獣の吠え声、風の唸り、鳥のさえずり、雷鳴、ヒトの歌声、祭ばやし、滝の音……………
まるで、大きな器から山盛りにした『音』をひっくり返したよう。ひとしきり、狂った木霊の氾濫はネゾンのハンターたちを苦しめ、ふつり、と消えた。
それきり、怪音は二度と起きなかった。
今も、ニセモノの教会の鐘の音の正体は不明とされる。何ものがどうやって、何のために発したのか。騎士は、かたちのない音をどうやって討伐したかよく分からない。
そう。
笛の騎士は、ネゾンの救い主と信じられている。異常が終息したとき、怪我をした騎士の姿はなく、ネゾンに二度と姿をみせなかったのだが。
ハンターの何人かは証言した。
最後の狂騒音は、騎士が馬を走らせると、あとを追って去っていったのだ … 遠くへ連れて行き、ひとりで滅ぼしたにちがいない。また、ある若いハンターは、子山羊か子牛くらいの獣がいくつも夜闇を跳ぶように走った、といった。
もっとも、かれは、影のかたちや動きをうまく説明できなかった。
あいまいな証言のほかに、なにか根拠があったらしい。
ネゾンの教会は、騎士を光の精霊の御使いと呼び、夜を侵した邪な鐘の音を打ち払ったと讃えた。その人は名前も告げず、無償で、自分に矢を射かけたネゾンのために戦い。自らを囮にして、愛馬だけを伴って闇に消えたのだ………と。
説話は冒険活劇となり、今のネゾンの子どもにも人気だ。
もっとも、町を脅かした怪音は、闇の神の『悪竜』の吠え声にされて、騎士は神命の旅の途中、とされた。
事実は欠片もない。
司祭が、吟遊詩人といっしょになって話をもったのだろう。
また、ある賢者は、この音の討伐を不思議に感じてネゾンまで来て調べた。証言者がまだ生きていた頃だ。かれは、新たにひとつ、『よくわからない断片』をみつけた。
くだんの騎士は、ネゾンについた日、ハンターギルドであれこれ調べた。近隣の地形や植生、最近の魔獣の猟果……
英雄とされる騎士は、なぜか詳しくわかるほど、頭が痛そうな顔になり。ネゾンのギルドを去るとき―――
ただただ、うんざりした雰囲気で。苦手を相手する顔だったという。




