第十三話 『 谷底で待つもの 』
「 谷底で待つもの 」
『魔獣詩歌断片集』 曰く──、
大陸西部のローメットの街道は長い山道である。
けわしい山々をぬってのび、行き交うものは途中、深い谷を見下ろして歩く。みるからに危険。断崖絶壁へ足を踏み外せば、谷の底へまっしぐらだ。
しかし、ローメットの街道の人の行き来は増えて行く。山に隔てられた地域をつなぐ要路なのだ。
時がたつと路面が整えられ、道幅も次第次第に広げられていった。崖側のとくに危うい場所には太縄や丸太の柵が設けられた。
これには領主、大商会からの援助もあったが、近隣の土地のものたちの労が大きい。
ローメットの街道の行き来が増えると、道沿いの町や村は豊かになり、新たな集落さえ生まれた。道の整備はさらに進み、沿道に魔獣狩りの勇士も住むようになり、気がつけば、魔獣や山賊は滅多に出なくなっていた。
ところがある年、街道の旅人がわけもなく谷に身を投げるようになった。
たとえば寸前まで仲間と歩いて、ふと向きを変えると柵を飛び越える。断崖のその先へ、ためらいも恐れもみせずに落ちて行くのだ。
深い谷だ、身を投げて助かることはない。
だが、自殺者は、馬に乗っていれば馬ごと。馭者を務めていればあやつる馬車ごと崖から飛び出していった。
運良く取り押さえられたものもいたが、なぜ死のうとしたかまともな答えがない。
『あの谷の底から、自分を呼ぶ声がした』
『早く行かなければならないと思った』
『ああするのが、一番いいやり方だったんだ』
だれのどんな呼び声だったのか、男か女か、言い回しは… 。茫洋として「呼ばれた」と繰り返すのみ。しかし、そんなあやしい声は、そばにいた仲間や羽交い締めにしたものさえ耳にしなかった。
旅の道づれがいても、谷底へ身を投げるのは一人。大勢いても、全員が一度に駆け出しはしなかった。
…… 恐れ気もなく谷へ飛び降りる背中を、しばしば家族や友人、仕事仲間が最期に見ることに。
奇妙な自死は繰り返され、たちまち50人を超えた。
── あの山道は危険だ。死霊が住み着いて生者を呼ぶんだ。
異常な話は遠くまで広まり、噂が噂を呼んだ。
やがて『死の道』『堕ち谷』とあだ名されるほどに。
その頃には、ローメットの街道を行き来する商人はなくなり、地域の民さえ街道をめったに通らなくなった。だれも、こんなところで命を落としたく無い。
魔獣狩りの勇士が何人も何度も調べに赴いたが、どうしたわけか、谷底の声はかれらに聞こえて来なかった。手のうちようがなかった。
土地の人々がいよいよ困り果てた頃、やけど顔の馬に乗った騎士がふらりと現れた。
この男は谷の変事を聞くと、
「ふむ、ではひとつ調べてみるか」
と、止める声も聞かずに山道に入っていった。
ふもとの住民たちは旅の騎士がなかなか戻らないので、さては虜にされて谷に落ちたか… と話したが、数日して、男は無事に下山してきた。
住民たちは驚いた。騎士の馬の背には、仔牛のような大きさの獣が縄でくくられていた。しかも、腰斬された下半身だけ。
「上半分は、谷底へ落ちていってしまったよ」
騎士の語るところ、魔法を操る魔獣こそ不可思議な自死の元凶。正体は、巨大な栗鼠の魔獣だった。
持ちかえった下の半切れをよくみれば、毛皮におおわれた尾は禍々しいほど大きく太く、別の生き物のようで四本も生えていた。
どうやって魔獣を討伐したのか、退治の仔細は伝わっていない。旅の騎士はくわしく語らず、またあっさり旅立ったからだ。
異形の死骸は住民たちに残された。
騎士の言った通り、人が谷底へ呼ばれて堕ちることは絶えて無くなり、土地の人々は魔獣討伐の報を世間に広めた。四本尾の異形の獣の半身は、その証拠として人目にさらされた。
ローメットの街道はやがて、もとのにぎわいをとりもどしたという。
四つ尾の魔獣は、世間の関心を悪魔的な所業によって集めたが、半身の死骸は損傷がひどく、気がついたときには日差しとカビと虫でボロボロ。手の施しようがなくなっていた。
男はどうやら、魔獣狩りのハンターとして学び足りてりておらず、猟果の保存の措置にかなり不備があったようだった。
**
そもそも、ローメットの街道をゆく旅人を惑わし、谷底へいざなった『自死の魔法』とは何だったのか?
あの騎士はどうやって勝ち、なぜそれを語ろうとしなかったのか?
この地に残された昔語りに、その仔細はない。
谷底へ落ちていった犠牲者の最期と、四殺木霊栗鼠と名づけられた四つ尾の魔獣の忌まわしさ、その話のみ土地に伝わる。
犠牲者の遺体は、谷の底からほとんど引き上げることができなかった。魔獣討伐の目撃談、討伐の戦跡、魔獣の屍 ── おそろしい魔獣災害の存在を示す証拠や証言は、じつはほとんど残らなかった。
解決したとはいえ、どこかつかみどころのない大陸西部の怪事である。
* 登場した『エコー・スクワーロル(木霊栗鼠)』は、「モンスターコレクション」の記事を参照。
→ https://ncode.syosetu.com/n3634gg/27/
四つ尾は、殺意と害意の強い上位種で、幻覚と催眠暗示の魔法の使い手です。