第九話 『 血と肉 』
『魔獣詩歌断片集』 曰く──、
大陸西部の開拓時代、のちにジャスパル王国と呼ばれた南海の沿岸部で、血色に海が染まった。
三つの小島がうかぶ大きな入海、ひとつの出来事だったが、近隣の集落が気づいたとき、陸に深く入り込んだ水面は奥まで赤く濁り、大波小波、波間のしぶきさえ不吉な色だった。
血色は入海の砂浜も染めた。波打ち際にはさらに、肉片がおびただしい数、打ち寄せられた。細切れでもとの形もわからない。
水面の下── 入海の赤黒い水底にどれほどつみ重なっていたか … 想像するしかない。
幸か不幸か、入海に臨む土地に住むものはいなかった。
まるで無慈悲な大虐殺のあとか、この世の終わりを思わせる異様。あたりにはひどい金属臭がたちこめ、生きたものは小蟹や小鳥はもちろん、蠅すらなかったという。
常軌を逸したさまを見聞し、赤黒い景色のさまを世間に伝えたのは、早く気づいた近くの集落のもの、それに、たまたま行き会い物好きに足を運んだ旅人であった。
はじまりと同様、血色の異変は突然終息した。
三日目の朝、入海の水面は平素の色に戻り、波打ち際に折り重なっていた肉片は跡形なく消えた。その後、異変は二度と起きなかった。
何ものの血肉が海と浜を染めたのか。そもそも、変事はなせ起きて、どうして血肉は消えたのか……
異変の謎は、今も答えが出ていない。
── 蛇足だが。
古くから南の海には、『まねきもの』『海引き』と呼ばれる怪異の譚があった。
「 のたうつ白蛇のような、長くのびる手の群れ 」── それは水辺で人を襲い。ふだんは暗い水面の下にひそんで、スキを見せたものを海の小舟の上や岩場、浜辺から深みにさらうといわれた。
そして、噂は血色の異変の後、途絶えた。
ふたつの断片のかかわりは確かではない。偶然の一致でもおかしくはない。
仮に、どこかにふたつをつなぐ断片があり。空白を埋める真相があったとしても …… それは知られておらず、人間の手の触れるところにまだない。