第八話『 愚断の壁 』
『魔獣詩歌断片集』曰く、
大陸西部の山間のダドリーの谷は『抜け道』だ。けわしい連山が唐突に裂けたありさまは、岩の大蛇の背を斧で割ったよう。成因はだれも知らない。
しかし、抜け道として利用されたのは昔の話。今のダドリーの谷は、死を覚悟して挑む難関だ。谷の中ほど、せまい谷底の巾いっぱいに風化しかけたレンガと石壁の瓦礫が『二重』に積み上がり、行く手を遮っていた。
まだ、大陸西部に盾の三国がなかった頃、各地は幾つもの小国や砦町に分かれて争った。
その中に、殊の外はげしく争う二つの国があった。それぞれの本拠地は連山の東西だったことから、せまいダドリーの谷でぶつかり合うことになったが、谷底に大軍は入れず、互いに小勢を差し向けて小競り合いを繰り返し、小刻みに谷を行きつ戻りつするばかりだった。
かれらの国祖は、中央諸国の同郷であったらしいが、いつからなぜ争い始めたかわからなかった。他国、他領は呆れたが、どちらの国の民もそれを気に留めず、山の向こうの敵へと戦意ばかり燃やした。
だが、ある時、何を思ったか埒の開かない攻め戦をハタと止め、谷底に長城を造りはじめた。谷の真ん中を塞ぐ、石と日干しレンガの城壁── それも、互いに向き合った一国一線、二重の長城を。
両国がダドリーの谷に人夫を集めて工事をはじめると、血なまぐさい小競り合いはパタリと絶えた。戦いに飽きて、これで平和になるかと思われた。
互いに一応の警戒はしたものの、工事は順調に進む。
しかし、二国の仲の悪さは筋金入りだった。
相手の長城建設を横目に見つつ、相手より早く、相手より堅牢にと、今度は長城の建設を夢中で競いはじめたのだ。
── 二国は気性のよく似た愚か者だった。
ダドリー谷に長城が出来上がると、また小競り合いの再開かと思われた。だが、ふたつの小さな国は数代つづけた戦と、三年もかけた長城建設。それも、意地の張り合いで余計に資源を費やし、武力と民力は底をついていた。
長城完成の三月後、つかれ果てた二国を魔獣の大群が襲った。しかも、相手は “掠め取る者” の異名のハーピー、王種誕生による空からの大侵攻だった。
この魔獣災害で、疲弊した二つの国はまとめてわずか一日で滅んだ。苦労して作った長城は、魔獣から民を守る戦の役に立たず。谷間の壁は、翼ある魔獣の群れに軽々と飛び越された。
不相応に立派な石壁は、国が滅ぶと補修するものも無く壊れていった。やがて、崩れた壁の瓦礫といつ石が降ってくるかわからない壊れかけの壁が、谷の巾いっぱい連なる光景が生まれた。谷底を塞ぐように、それも二重に。
今日、ダドリーの谷の踏破は命がけである。
途中までなら危険はない。
だが、せまい谷は中ほどで遮られて、向こう側には高い瓦礫の山を二度も越えなければ抜けられない。無論、道はない。谷底は暗く、足場は不安定で崩れやすく、瓦礫の重なりようは年月とともにかわった。さらに物陰は…… 魔獣の巣。
いつの頃からか巨大毒百足や大蜘蛛、数種の毒蛇、スライムなどが長城跡に棲みつき、ダドリーの谷を何としても通ろうとする人間をあらゆる場所から脅かした。
大陸西部に根を下ろしながら原因も忘れた過去の遺恨で争い、滅んだ後も魔獣の巣を残して近隣の国を悩ませた。
近くの土地の人々はふたつの国を呪わしく思い、その名を伝えることさえ忌々しいと拒んだ。
滅んだふたつの国の名は ── 『愚断の壁』の話の未だ見つからない断片である。