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小六編 第70話 ミユキチ

 九月になって二学期が始まった事により、修道教室の子供達も学校帰りのランドセルを背負ったままの格好で来る様になった。これで本当に日常が戻ってきたなぁと感じる。


 今日はちょっと早起きして――と言っても八時起床だが――畑の片付けだ。アサガオや収穫が終わったキュウリの茎を刈り取り、支柱に絡んだツルを剥がしてゆく。今年はもう一回位キュウリ植えたいところだが時期的にもう無理かな。出来ない事は無いと思うけど同じ場所に植えると連作障害が起きるかもしれない。どちらにしても片付けはしなきゃならんから、それが終わって畑を均してから考えよう。


 刈り取ったアサガオやキュウリの茎やツルを土に埋めうねを作っていると、まだまだ成長中のヘチマの畑のあたりで何やら白い物が動いた様な気がした。何だ?と思いそちらを見てみると、真っ白な猫がこちらをじっと見つめていた。首輪は無い、肥満体ではなくスリムな、それでいてしなやかな四肢をしている事から飼い猫ではない様だ。こいつはひょっとして……


「お前、ミユキチか。」


「ミャーン!」


 一声鳴くとその猫は俺の足元に駆け寄ってきた。やはりミユキチだったか。久しぶりだな。半年前に急に居なくなって……今まで何処に行ってたんだ? よしよし、モフってやろう。わしわし……モフってて気づいたのだがミユキチの体、筋肉の付き方がすごい。贅肉とかほぼ無い……とは言い過ぎだが、どうしたらこんな体になれるのか。それ位鍛えられた筋肉をしていた。いや、猫の基準がよくわからんけれども少なくとも飼い猫には無い筋肉の付き方をしている。野良で生きるって事は色々と厳しい事があるのだろう。よく見ると所々薄汚れているな。まぁ野良だからな。よし、久しぶりに洗ってやろう。夏だから水でいいか。何、駄目? お湯にしろ? はいはい、こいつ、昔風呂場で洗ってやった事を覚えてやがる。ミユキチを小脇に抱え、風呂場へと向かった。


 ミユキチとの出会いは一年半前迄遡る。去年の春、庭で畑仕事をしているところに「ミュー、ミュー」という鳴き声が聞こえてきた。声の主を辿ってみると、庭と道を隔てている生垣の根元に、ようやく目が開いた位の子猫が居たのだ。誰かが捨てたのか親猫が育児放棄したのかは分からないが、逆境にもめげず懸命に生きようとしている小さな命に(ほだ)されてしまい、つい助けの手を差し伸べてしまった。とりあえずは温かくしてやらないといけないと思い、段ボール箱に古いタオルとカイロを入れた寝床を作ってやった。それから温めたミルクをスポイトで与えたりした。夜中でも腹が減ると「ミュー、ミュー」鳴いて飯を催促するんだよ。三日もすると大分元気になってきたので、風呂場の温水シャワーでシャンプーしてやった。シャンプー前は薄汚れていたのでよくわからなかったが、汚れを落とすと真っ白な、それはそれは真っ白な毛並みだった。正直な所、最初はグレーっぽい毛並みだなと思ってたから余計に吃驚した。それだけ汚れてたって事だな。因みにミユキチという名前はこの時につけた。いつも「ミューミュー」鳴いてるからミユキチ、仮称がそのまんま名前になってしまった。


 恐らく俺が拾った時点で生後二週間位、そこから二週間経って生後一か月位になると離乳食も食べれる様になった。さらに二週間経過、生後一か月半位でワクチン接種を受けに獣医さんの所へ連れて行った。うちの教室には子供達がいっぱい来るからな。お互い病気に罹患する等の懸念事項は少しでも排除しておく必要があるだろう。結構痛い出費だったがな。


 さて、ワクチン接種までは面倒をみたが、ここからは基本的に放置だ。捨てるという訳では無い。寝床が必要ならうちに居ればいいし、飯が欲しいなら用意してやらん事もない。気に入らなければ出ていけばいい、引き留めはしない。少なくともミユキチからすれば、うちにこだわる必要は無いという事だ。最近の飼い猫は一歩もその家から出ない事が多いが、昔は飼い猫といえども家の中と外を自由に行き来していた。そのままふいと出て行って、二度と帰って来ないという事もよくあった。逆にそういう飼い主を複数持って、それぞれの家でちゃっかり餌を貰っていた強者も居たりした。強い猫は飼い猫であっても結構な広さの縄張りを持っていたのだ。うちとミユキチはそういう関係でいいと思うんだ。


 何週間かかけてワクチン接種も済ませたので子供達の前に出してもいいだろう。まぁ子供等の前に出て来るかどうかは基本的にミユキチ任せだからな。俺が接触を禁止しないというだけだ。


「あっ、猫だ、ちっこい猫が居る。」


 当時まだ五年生だった月子が目敏く、教室の玄関前で日向ぼっこをして寝ているミユキチを見つけた様だ。まぁ隣だからな。教室の時間以外でもうちの前を通る頻度は高い訳だし。


「先生、前に言ってた拾った猫ってこの子?」


「拾ったというか保護したというか、まぁそうだ。」


「触ってもいい?」


「いいぞ、猫が嫌がらなければな。」


「わー、ちっちゃい。かわいい。」


 おっかな吃驚で恐る恐るミユキチを撫でる月子。ミユキチもせっかく寝てたのに起こしやがってと少し不満気だが、抗議するのも面倒臭いのかそのまま撫でられていた。特に顎の下を撫でられると大人しくなる様だ。ひっくり返されてお腹を撫でられるのはちょっと苦手みたいだな。


「この子、名前なんていうの?」


「んー? いつもミューミュー鳴いてたから『ミユキチ』だ。」


「ミユキチって……この子、女の子だよ。」


「いいんだよ、実際親しみを込めて『みゆきち』って呼ばれてる女性声優さんだって居るんだから。」


 それからミユキチはうちの教室のマスコット的な存在になった。教室の玄関前で日向ぼっこをしていたり、暑い時は玄関の三和土(たたき)――靴を脱ぐ場所――で涼んだりしているもんだから、自然と塾生の目に触れる事になる。ちょっと触れるとか撫でる位ならいいのだが、しつこく撫で回す――所謂モフるというヤツだ――と嫌がって逃げ出すのがまた猫らしい。俺が撫でる分には逃げないんだけどな。逆に撫でろと催促してくる事もある。


 寝床は屋内二箇所、屋外一箇所用意してやった。好きな所で寝ればいい。屋内は最初、教室の玄関内に箱とタオルで寝床を作ったのだが、俺が寝ている所にわざわざタオルを持ってきてそこで寝るので、仕方なく俺の寝室にも二つ目の寝床を作った。放し飼いしてるから、ミユキチが家の中に入る前に俺が戸締りしてしまうと締め出されてしまう。そうなっても寝床だけは確保出来る様に玄関脇にも用意したのだが、もっぱら日向ぼっこ用のお昼寝スペースになっている様だ。


 一度、ミユキチが外で寝ているのを確認してから戸締りをした事があるのだが、朝になるとちゃっかり俺の寝室で寝ていた事がある。どうやら俺が知らないミユキチ専用の侵入経路がある様だ。うーん、どうやって入って来てるのだろう。縁の下とか屋根裏経由かなぁ。


 そんなミユキチだったが、秋から冬にかけて外を出歩く頻度が高くなった。生後半年も経ってるから親離れ――俺という親からね――かな、或いは己の縄張りを主張する為のパトロールにでも行ってるのかなと思っていた。年が明けて今年、二月の寒い日が何日か続いた夜には俺の布団に潜り込んで来る事が度々あった。そして俺に甘えてくるのである。撫でろ、と何回も催促された。三月に入って暫くしたある日の朝、俺が玄関から外へ出るとミユキチも一緒に出てきた。俺の顔をじっと見つめ、ペコリと頭を下げる様な仕草をしたかと思うと、ちょっとコンビニ行ってくるみたいな足取りで外へ駆け出して行った。その時は縄張りのパトロールかな、と思ったのだがそれがミユキチを見た最後の時だった。


 もうすぐ春になるから発情期でオスを探しに行ったのかな。ミユキチには不妊手術を施してないからそういう可能性もあるだろう。二、三ヶ月もしたら子連れでひょっこりと戻って来るのかもしれない。しかし三ヶ月経っても戻って来なかった。これは親離れしてどこか他所の地で生きていく事にしたのだろう。そう思っていたのだが……半年経った今になって戻って来るとは。ひょっとしたら他所で子供産んで、その子達が親離れをしたので戻って来たのかな。時期的な事を考えるとそれで説明はつくけど。


 ミユキチを温水シャワーとシャンプーできれいにしてやりながらそんな事を考える。タオルドライのあとドライヤーで乾かしてやると……おぉ! やっぱりミユキチは真っ白だな。一度、獣医さんの所に連れて行って健康診断的な事をやってもらおうか。半年間だけとはいえ、俺が把握していない時期があったのだから野良猫歴半年って事だしな。まぁ他所で飼われてたのかもしれんけど。獣医さんが見れば経産牛ならぬ経産猫?かどうかも分かるのかな。場合によってはワクチン接種も必要かも。また金掛かっちゃうなぁ。


 数日後、獣医さんの所に連れて行った。結論から言うとミユキチは子供を産んでいなかった。というか妊娠した様子は無いって言われた。ただ、ケガをしてそれが治った形跡が多くみられ、相当な数のケンカ――恐らく縄張り争い――をしてきたんじゃないかとの見立てだった。ミユキチ、お前どんだけ縄張り拡張に励んだの? 心なしかミユキチがドヤ顔した様に見えたのは俺の気のせいなのかね。

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