小六編 第5話 とめ
「トン、ツー、トン」「トン、ツー、トン」
別に口に出さんでもいいんだけど。
「トントントン、ツーツーツー、トントントン」
「いや、それ SOSだから。」
「SOSです。ヘルプミーです。」
「む、マジレスが返ってくるとは。しかし結構な枚数書いたな。」
二十枚ちょっとかな。一枚に五つ位「一」を書いてるから百以上か。彩音は早筆タイプの様だ。
「どこが問題だ?」
「うったては意識すれば何とか形にはなるんですけど、とめがお手本みたいになりません。」
「よし、じゃあ一枚分、えーと五つか、書いてみてくれ。ちょっと見てみる。」
彩音が書き始める。ほうほう、うったてはまぁいいだろ。とめは……、あぁなるほど、そうとめたか。一枚分五つの「一」を書きあげたところで
「最後のトン、筆をとめ切ってからトンしてる、というか押し付けてるな。」
「違うんですか?」
「とめる前から押し付け始めるんだ。筆を右に送って最後の所で押し付けながらとめる感じだ。ちょっとやってみるから見とき。」
俺も筆をとって書いてみる。とめる間際で右に送りながらも少しずつ筆を半紙に押し付ける。とめ切った後にそっと半紙から筆を上げる。
「こうすると手本みたくなる。最後の所では動かしながら徐々に押し付ける事を意識してもう一枚分書いて。」
「わかりました。」
彩音はさっそく書き始めたのだが一つ目の「一」は早く押し付け始めたせいで後半がぶっとくなってしまった。まぁ変に意識するとそこばかりに集中しすぎるからな。二つ目、三つ目で少しずつ修正していき、五つ目を書きあげる頃には随分と良くなった。
「なかなか良くなったじゃないか。手本とそう変わらない。」
彩音は自分が書いたものと手本を交互に見比べながら「うーん」と唸っている。
「自分のだけ見るといい感じに書けたと思いますけど、お手本と比べちゃうとやっぱり何か違うっていうか……」
「最初から手本と同じに書かれたら俺の存在意義が無くなるわ。どこが違うと思う?」
「よーく見てみるとお手本は最後の部分が上に盛り上がってる? 山になっているというか、三角になってるというか。」
「あぁそこか、それは今の時点ではあまり気にしなくてもいいんだが、ついでに言っとこうか。」
「やっぱり何かコツみたいなのがあるんですね。」
「最後のとめで筆を右に送りながら押し付けるのはさっき言ったとおりだけど、さらにひねりを加えるんだ。」
「ひねり?」
「筆先を回転させる、と言えばいいのかな。うったては筆先が左上45度の角度で打つんだけど右へ送られている時には進行方向とは逆側、つまり左側を向いてるだろ。とめで半紙に押し付けるわけだが同時に筆先がまた左上45度になる様に筆先を時計回りにひねる。こうする事によって筆先が盛り上がりを作ってくれる。」
「半紙に押し付けながら右に送るだけでも大変なのにさらに筆先を回転させる、ですか。」
「そうだな。最後の部分ではこの三つの事を同時にしなくちゃならん。とめてからひねるってやり方もあるけどそれだと最後の所で急に盛り上がってしまう。そういう筆づかいをあえてする場合もあるけど『一』の最後はなだらかな山になった方がいいな。ちょっと書いてみるから筆先に注目して見てて。」
さっき彩音に見せるために書いた「一」の下にもう一つ「一」を書く。
「うったて、右送り、押し付けつつ筆先ひねりでとめ、そしてそっと筆を上げる。こんな感じだ。また一枚分書いてみて。」
「やってみます。」
うったてトン、ツーと右送りでとめ間際で押し付けつつ右回転でトン、そーっと上げる。
「こんな感じですかね。」
「いいぞ、あと四つ書いてみて。」
こういうのは慣れだからな。そのうち無意識でも書けるようになる。
「一枚分、書けました。結構お手本みたくなったかな。最後になだらかな山を作るのって難しいですね。」
「余計な事を言うようだが山を作るだけならこういうやり方もある。ひねりなんか入れずに筆を突き上げて返す、逆走するんだ。見とき。」
先程書いた半紙に三つ目の「一」を書く。うったて、右送り、送りながら押し付けてとめ、その後筆を左上に突き上げてから左下に送りながら半紙から筆を上げる。
「強引に山を『後から書く』んだ。まぁ左方向に筆を送るから『二度書き』になっちゃうかもしれんがな。」
「なんかインチキっぽいけどそれなら簡単かも。」
「だけど出来ればこのやり方は避けた方がいい。と言うのもとめが次のうったてにならんからな。」
「どういうことです?」
「横画だけで終わる場合はまだいいんだ。それでその画は終わりだから。例えば『永』の二画目、横画から縦画に続く様な場合があるだろ。横画の最後でひねって筆先が左上45度方向に向く事によりそれが縦画のうったてになる。厳密には書き始めではないからうったてとは違うけどな。突き上げて返すやり方だと縦画にはつながらない。」
「返すってことは筆が半紙から離れるって事ですから当たり前ですよね。」
「突き上げるだけで返さなければつながるんだけどなだらかな山にはならない。まぁそういう書き方もあるんだがな。今の段階では横画だけで終わる場合でもひねりながらとめる習慣をつけといた方がいい。」
いきなり沢山のこと言いすぎたかな。
「『一』はこれで完璧ですか?」
「手本通りに書くという事がゴールならこれでOKだ。ただこれも一つの例に過ぎない。同じ『一』でも色んな書き方、筆づかいがある。極端なことを言うと人それぞれの『一』があるんだ。持永さんも自分が一番いいと思う『一』を書けばいい。但し基本は忘れない様にな。」
へへっ、最後に良いことを言って締めてやったぜ。
「わかりました。ありがとうございます。ところで先生」
「ん、何か質問かな。」
「先生が私の所へ戻ってきてから三枚分、15の『一』を書きました。」
最初の状態を見る為に書いた一枚、送りながら押し付けるとめを書いた一枚、ひねりを加えて山を作った一枚、合計三枚分15の「一」を書いた半紙を見せながら彩音が言う。
「おう、そうだな。」
「そして先生が書いた『一』が3つあります。」
彩音に見せるために送りながらとめた「一」、ひねりを加えた「一」、突き上げて返した「一」の合計3つの「一」が書かれた半紙が俺の手元にある。
「それがどうした?」
「『一』が合計18、トンツートン18、先生と私の共同作業で『R-18』ですね!」
「ヤメレ! 俺を巻き込むんじゃない!」
クソ、良いこと言ってドヤったのに台無しだよ!
「お前、あと百枚『一』な、半紙一枚につき五つで百枚、R-500だからな!」
「えー、なんでー!」
「とめで山を作るのと山が無いのを交互に書くように。これも次につながる練習だから書き分けが出来るようになれ。あと反省もな!」
「理不尽!」
ぶーぶー言ってる彩音を尻目に俺は自分の席に戻る。まったく最初のお淑やかさは何処に行ったんだよ。




