小六編 第33話 霞を食らう仙人
小学生の課題提出がすべて終わり、その後の中学生以上の提出もすべてこなした。色々事務処理やってたらもう夜の十時だよ。毎月の事ながら課題提出週の教室は忙しい。明日の夜も教室はあるのだが、塾生の数はそんなに多くないから今日さえ乗り切れば一息つけられる。
さて、彩音の初回提出の級をどうするかだが、おれは腹案を持っていた。とりあえず彩音が提出してきた課題書をスマホで撮影する。真上から、しかも出来るだけ画面一杯に写る様にだ。その画像データをスマホからPCへ移し、メール添付であるアドレスに送った。「添付した書についてご相談したく、詳細は後日お電話致します。」とのコメント付きでだ。
メールの宛先は白鳳書道会本部、つまり検定審査の親玉の所だ。今回の彩音の検定については絶対合格させたいので、合格判定基準としてどの級で受ければ合格出来るかを白井先生に聞いちゃおうという少しズルい作戦である。ある意味不正紛いな事だが、段クラスならともかく低級での審査にそう目くじらを立てる人も居ないだろう。
明日、土曜の午後は合宿の打ち合わせ、夕方からは教室があるので午前中に電話しよう。最悪、来週になってからでもいいけどな。幸い本部への課題書提出期限迄には一週間の猶予がある。さて今日はもう寝るぞ。
翌日、十時頃起床した俺は軽く飯を食っていた。久しぶりにぐっすり眠れた気がする。ぐっすり過ぎて寝坊しそうになったが。白井先生に電話しなくちゃ。
「トゥルルル、トゥルルル……」
三回程のコールの後、先方が出た。
「はい、白鳳書道会です。」
あっ、奥さんが出たか。白井霞碩先生の奥さんの梨香さんだ。
「おはようございます。白石です。その声は梨香さんですね。ご無沙汰しております。」
「あらー、優くん? 久しぶりねー。元気してた?」
「おかげ様で……あと優くんは勘弁して下さい。」
「ごめんなさい。そうだわね、今は白石先生だもんね。」
優くんというのは小学生時代の白鳳書道会内での俺のあだ名だ。当時教室に通っていた者は今でも俺の事を優とか優くんと呼ぶ。尚、俺の本名には「優」という字は含まれていない。なのに何故、優というあだ名になったかは後日語ろう。経緯が経緯だけにあまり言いたくは無いのだが……
「若先生、じゃなかった、霞碩先生はいらっしゃいますか?」
「ちょっと待ってね。あなたー、電話ー、優くんよ。」
だから優くんはやめてってば。
「もしもし、優か、どうした。」
霞碩先生、あなたもですか。
「どうも、ご無沙汰しております。白石です。昨夜そちらにメール差し上げたのですが、まだご覧になってはいませんでしょうか。」
「メール? いやまだ見て無いが……おーい、PC立ち上げてくれ。」
「実はそのメールにある書の画像データを添付しています。それを見ながらお話ししたいのですが。」
「分かった、ちょっと待っててくれ。送ったのは昨日の何時頃だ?」
「夜、十時を過ぎていたと思います……送信履歴からだと……22:17ですね。」
霞碩先生はメーラーを立ち上げて俺のメールを探している様だ。
「おっ、あった。添付ファイルはと……なんだ『月下氷人』じゃないか。確か今月の課題書だったな。これがどうした?」
「実は……」
俺は最近、小六の子が入塾して来て初検定を受けるのだが、何級あたりで受けさせればいいのか迷ってる、本人の今後のやる気を出させる為に低い級でもいいから何としても合格にしてやりたい、との旨を説明した。
「それは自分で判断すればいいじゃないか。その為の師範だろ?」
「それはそうなんですが、恥ずかしながらうちの教室に小学校高学年の塾生が新規で入って来る事がもう何年も無かったものですから、ちょっと感覚が鈍ってまして……低学年で入ってくる子なら結構居ますのでそこ迄では無いんですが……白井先生なら審査でかなりの数見てるでしょうからおすがりした訳なんですが。」
「最近、小学生の審査はしてないぞ。」
「えっ、そうなんですか?」
「人数が多いからな。高校生以上の一般の審査はまだ私がやってるが小中学生の審査は他の者にやらせてるんだ。」
「ちなみに誰が……私が知ってる先生ですかね?」
「小学生は何人かで手分けしてるが……月下氷人は六年生の課題か……六年生は梨香の担当だな。あれも一応師範だから。」
「じゃ梨香さんに代わって下さい。本人に直接聞きます。」
「お前、私を蔑ろにし過ぎじゃないか?」
「そんな事無いですよ、よっ、兄弟子。」
「ふん、まぁいい。梨香、優が代われだと。」
俺は霞碩先生にしたのと同じ内容を梨香さんに説明し、相談に乗ってもらった。
「そうねぇ、優くんはどれ位の級がいいと思うの?」
だから優くんは……ってもういいよ、優くんで。
「そうですね。七級位ならなんとかなるかなって思ったんですがどうでしょう。」
「そうね、私の見立てでは六級位だと思うけど、確実に合格したいなら七級かしら。」
「そうですか、今回は合格させて本人のモチベーションを上げる為の検定ですので、確実性をとって七級天で受けさせます。」
「それがいいわね。持永彩音さんって名前なのね。分かったわ、メモしとく。」
よし、実際に審査する本人が名前まで記録してくれたんだ。合格は確実だ。
「ありがとうございます。朝からお騒がわせしてしまい申し訳ありませんでした。霞碩先生にもよろしくお伝え下さい。それでは、はい、はい、失礼します。」
ふぅ、とりあえず一つミッションコンプリート。早速、彩音の検定票に七級天と記入する。おっとPCデータベースにも入力しとかんとな。
ちなみにだが、霞碩先生の奥さんである梨香さんの雅号は「梨仙」である。梨香さんも励碩先生の時代に師範になったから励碩先生から雅号を貰った。既に霞碩先生と結婚してて姓が白井になってたから「白」の字は使っていない。当時は周りからよく「霞(霞碩)を食らう仙人(梨仙)」と揶揄われていた。これは俺の邪推だが励碩先生はこう言われる事を予想して、面白がってわざと梨仙という雅号を贈ったのではないだろうか。励碩先生にはそういう所があった。よりによって自分の息子夫婦に……と思わん訳でも無いが、息子がだから許されるって事でもあるがな。
さて本日二つ目のミッション、合宿の打ち合わせが午後からある。過去三年分位の合宿スケジュール表をプリントアウトしておこう。打ち合わせの参考資料だ。あと現時点で判明している参加者とお手伝い人員リストも。そこまでやってから昼飯だ。今日は何食おう。最近ソーメンばかりだったからな。たまには違うものをガッツリと……そうだ、冷やしうどんをガッツリ食おう!って結局めん類かい!そう、俺は「めんくい」なのだ。




