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小六編 第29話 こんな事もあろうかと

 明けて木曜日、いよいよ彩音の母親が来る日だ。あの(・・)彩音の母親だからなぁ。強烈な個性を持った女性に違いない。しかし諸君、安心したまえ。どんな女性でもかつて俺が出会ったあの女(・・・)には敵うまい。あれよりアレな人間など居ない筈。そうだよ、あの暴君に比べれば世の女性は皆、聖女である。とは言い過ぎか。少なくとも静などは聖女では無いな、うん。


 とりあえず保護者説明会の準備だ。教室の端っこに机を二つくっつけて対面で面談できる様な形にする。それと入塾申込書、教室の説明用資料、同意確認書等を用意して置いておく。同意確認書ってのは説明に対し、これこれの説明を受け理解しました。という文言にチェックを入れていく書式のヤツだ。一例をあげると、


□ 月謝は月初めに払う事を理解しました。

□ 修道教室に参加する場合は書道教室とは別に月謝が必要な事を理解しました。

□ 書道教室での消耗品は月謝とは別に月ごとに請求されることを理解しました。


 こんな感じで頭の□にチェックを入れてもらい、署名してもらうのである。無いとは思うが後から、「こんな費用がかかるなんて聞いていない」と言わせない為の自己防衛手段だ。うちの教室ではこういう対策をしている事もあり今まで言われた事は無いが、白鳳書道会の他の教室ではイチャモンをつけて来るクレーマーが湧いた事があったそうだ。そんな話を当事者の先生から聞いたので、とりあえずうちでは最初の保護者への説明でこういう同意確認書を貰ってます、ご参考までに、と渡しておいた。


 もうすぐ十一時半だ。そろそろだな。おっと、お茶も出さなきゃな。事務所に引っ込みお茶の準備をする。今日も暑いから麦茶でいいな。氷、氷……と。


「先生、オカン連れて来たよ。」


「おぅ、今行く。すまんが机の島作ってる所があるだろ。そこで待っててくれ。」


 トレイに麦茶のペットボトルと氷を入れたコップを三つ載せて教室に戻る。彩音とその母親はもう席に座ってるみたいだな。えっ? お母さん?


「初めまして、彩音の母でございます。この度は娘がお世話になります。」


 いや、本当にお母さん? えっ?


「えっと、彩音さんのお母さん?」


「そうですが?何か……」


「お姉さんでは無くて?」


「まぁ、お上手ですのね。」


 どうみてもお姉さんだろう。彩音の母親ならば三十半ばから四十位だろう。俺の目の前に居る女性はどうみても二十代、そうだな、比べるには失礼――勿論この女性に対してだ――だが静と同じ位の年齢に見える。しかもすごく可愛い、美人というよりほわほわの癒し系だ。俺はしばしの間、言葉を失った。


「あの……どうかされましたか?」


「あぁ、申し訳ありません。」


 俺は彩音の方に視線を向け、真剣な表情でこう言い放った。


「娘さん!」


「む、娘さん?」


「娘さん! お母さんを僕に下さい! お願いします。」


 ガバッと机に頭をぶつけんが如く平伏した。


「な……」


「まぁ。」


「何言っちゃってんのぉ!この先生(ひと)ぉ!」


「あらあら、まぁまぁ、うふふ……」


「オカンも喜んでんじゃないわよ。何で満更でもない様な顔してんの!」


「お願いします。娘さん、駄目でしょうか。」


「娘さん言うな。」


「そんな、娘さん……」


「まだ言うか!」


 机を飛び越え俺の方に回り込んだ彩音にヘッドロックをかけられた。苦しい……首が締まる。


「まぁまぁ、あーちゃん、先生にこんなに懐いちゃって。」


「これのどこが懐いてる様に見えんの! あとあーちゃん言うな。」


「先生、これからもあーちゃんをよろしくお願いしますね。」


 すごいな、このお母さん。ヘッドロックド状態の俺に話しかけて来た。そうとなれば俺も男として応えるべきだろう。


「お任せください。娘さんは、いや、あーちゃんは私が立派に育てます。実の娘の様に。」


「死ね! 氏ねじゃなくて死ね!」


 ヘッドロックをかけたまま彩音は右足を後ろに引いたかと思うと、その反動を利用して俺の顔面に膝蹴りを入れて来た。スカートが捲れ上がって一瞬白いものが見えたのは秘密だ。それが俺の見た最後のものとなった……いや、一時間後には般若の形相で俺を睨みつける彩音の姿も見たんだけどね。


 腹に妙な違和感を感じうっすら目を開ける。何だ……莉紗(りさ)がまた纏わりついてきたのか? あれっ、莉紗は去年引っ越して教室辞めちゃったよな。それに莉紗ならこんな乱暴な触り方はしない。触るというか踏まれてる様な気がする。


「ようやく気付きましたか。この馬鹿先生。」


 彩音が俺の腹を足で踏みつけていた。時々グリグリとひねりを入れて来るので少々くすぐったい。


「おはよう、君はそこで何をしているのかな。」


先生(バカ)に罰を与えています。人妻にプロポーズした馬鹿に。」


「いやいや、プロポーズはしてないじゃないか。その前にご家族のお許しを貰ってからだな……あっ、やめて、グリグリしないで。」


「とにかく、納得のいく説明をして頂きましょうか。」


 彩音の言葉を受けて起き上がろうとしたが起きれない。両手が後ろ手に縛られ、両足も何かで拘束されていた。インシロックじゃねぇか。俺は会社員時代、インシロックとかタイラップとか言っていたが、結束バンドというのが一般的な言い方だろうか。なんで結束バンドなんかがあるんだよ。


「こんな事もあろうかと、結束バンドは持ち歩いているんですよ。」


「お前はどこの艦の技師長だよ。そう言えばお母さんは? まだ何もしてないぞ。」


「オカンに何をするつもりだったのかな? んん?」


「教室の説明会だろうが。」


「オカンはもう仕事に行きましたよ。そのまま仕事に行くって言ってたでしょ。心配しなくても申込書と同意確認書?ってヤツに署名と印鑑も押してから行きましたから。」


 彩音が書類を俺の顔の前に押し付けて来る。同意確認書に全てチェックが入った上で署名、捺印もされている。入塾申込書も同様だ。署名を見ると、


美那(みな)さんかぁ。可愛かったなぁ。」


 彩音がさらにグリグリしてきた。やめて、クセになったらどうする。お前、本当にあの美那さんの娘かよ。

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