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小六編 第2話 音を彩る

 月子が彩音を連れてきた翌日、俺は暑さ対策で教室前を打ち水をしたり、窓際に植えてあるアサガオ、キュウリ、ヘチマに水をやったりをしていた。これらのツル植物はいわゆるグリーンカーテンとして植えている。なにせうちの教室にエアコンは無いからな。


 水やりや打ち水には井戸水をポンプで汲み上げて使っている。夏場は水を大量に使うから公共水道だと水道代もバカにならん。飲用には適さないかもしれないが庭で使う分には問題なく、水洗トイレの水や教室の洗い場の水も井戸からの供給で上下水道とは別のいわゆる中水道という扱いだ。水道水より冷たいから暑気掃いにはもってこいなのだ。


「近いうちに井戸水でスイカでも冷やして子供達にふるまってやるか。」


「そん時は僕も呼んで下さいよ。」


 ふいに声をかけられた。


「よぅ、竹っち、もちろんいいぞ。」


 彼、竹っちこと竹内(たけうち)晃一(こういち)は月子の兄でかつての塾生、確か月子と三つ違いなので今は中三のはずだ。彼も小学生までは教室に通っていたがご多分に漏れず中学に上がる頃には勉強や部活で忙しくなり、来なくなってしまった。


「今帰りか? いつもより早いな。」


「期末テスト期間中で補習や部活動が休みなんですよ。」


などと二言三言、他愛のない会話を交わした後、彼は隣の家に入っていった。そう、晃一と月子の竹内兄妹の家はうちの教室の隣なのだ。というかむしろ教室が竹内家の隣にあるといった方が正確かもしれない。


 元々教室は竹内家のもので、昔はここで竹内の婆ちゃんがそろばん塾を開いていた。その婆ちゃんが高齢を理由にそろばん塾を閉め、空いた物件を書道教室(兼自宅)として俺が借りることになったのだ。


 書道教室として使うため水場の追加――書道では筆や硯などを洗って手入れする必要がある――等、いくつか要望は出させてもらったのだが、「住む場所も作るからもうここに住んじゃえよ」と言われ、あれよあれよと言う間に居住スペースを確保したリフォーム工事が始まってしまった。俺が住む事により住宅扱いになって税制面で有利になるとか何とか言われたが難しいことはよくわからん。


 それでいて俺が負担する賃料(家賃)はそれまで住んでいたアパート代――このアパートも竹内家がオーナーなのだが――と同じでいいと。いくら何でも俺が得し過ぎてませんかと言うと、「先生が住んでいたアパートが空くからそこに別の人が入れば家賃になり先生の家賃と合わせて二倍の家賃収入になる、教室が住宅になって固定資産税が安くなる」と言われてしまえば恐縮しながらも引き下がるしかなかった。


 竹内家はここいらでは結構な地主でかなりの不動産物件を所有している。婆ちゃんの連れ合いの爺ちゃん――この人にも生前良くしてもらった――が亡くなった時には相続税でかなりの不動産を処分せざるを得なかったらしい。教室の土地なんて真っ先に処分の対象だったろうに、なんと爺ちゃんが教室の土地は売るなと遺言を残しておいてくれたとのこと。爺ちゃんは、もちろん婆ちゃんもだが、子供が大好きで元気だったころは教室のイベントや行事に晃一や月子の保護者としてよく一緒に参加していた。そんな子供達が集える場所を無くしてしまうのは忍びないと思ったのだろうとは後に婆ちゃんから聞いた話である。


「さて、そろそろ子供達が来る時間だし準備しますかね。」


 誰かいるわけではないが、そう呟いて教室の中に入る。籠った空気を入れ替えるべく全ての窓を全開にするとグリーンカーテン越しに夏の匂いがした。


「こんにちわー。」


「ちわーす。」


「よろしくお願いしまーす。」


 そうこうしている内に子供達が次々とやって来る。


「今日からよろしくお願いします。」


 彩音が月子と連れだってやって来た。


「はい、よろしく。初めての人はマンツーマンでの指導になるから、まずはこの机で道具の準備して待ってて。」


 教室を一回りしながら他の子たちの様子を見て、各々自分たちの練習を始めたのを確認してから彩音の机に戻って来る。それにしても高学年の初心者指導は久しぶりだ。しかも小六相手ともなると何年ぶりだろうか、すぐには思い出せない。


「まずは姿勢からな。正座して背筋を伸ばし机の縁と自分のお腹の間に握りこぶし一つ分くらいの空間ができるくらいを意識して、そうそう、その位置をキープで。」


 小六だからこんな言い方をしても理解してくれるが、小学校に上がったばかりの子だとまず正座が分からなかったりするからなぁ。つきそいのお母さんが「ほら、『おじんじょ』して」とか言って初めて分かってくれる。「おじんじょ」というのはこのあたりでの正座の幼児言葉なのだが、それを知ったのは俺がこっちへ来てからだ。ちなみに俺の地元では「おかっこ」と言ったりする。


「ふむ、正座はちょっときつそうだな。正座にあまり慣れてないだろ。でも背筋はピンと伸びて姿勢としてはなかなかいいな。」


「小さい頃からピアノやってたので。」


「そうなの? ピアノと書道のかけもちは大変じゃないか?」


「ピアノはこの間の発表会で一区切りつけてひとまず辞めました。まぁあんまり真面目にやってなかったし、とりあえず音楽の基礎が身についたということで。」


「小さい頃からというと初見の譜面をみていきなり弾いたり、曲聴いて採譜したりできるの?」


「簡単な曲なら出来ますよ。採譜はとりあえず主旋律だけで、ベースラインとかバッキングのコードは何回か聴いてパートごとに採っていく必要がありますけど。」


 俺も若い頃はバンド活動もどき――大学のサークルレベル――やっていてバンドスコアが無い曲の採譜をやったことがあるのでそのすごさがよくわかる。音大生のメンバーによく泣きついていたっけ。当時はカセットテープ全盛時代だったので、古いラジカセ(もはや死語)を改造して1/2倍速で超スローテンポな状態で音採りしてたな。実は1/2倍速というのがミソでこの速度だと音の周波数が半分になり、音楽的には丁度1オクターブ下がるので都合がよかった。アナログテープならではの裏技だな。もっとも昨今のデジタル音源なら等速でも1/2倍速でも同じ周波数(音程)で再生できるのでそちらの方が採りやすいんだろうけど。


「すごいな。そこまで出来るのにもったいない。」


「いいんですよ。ピアノ教室って在り物の曲をどう弾くか、とかですから。どっちかって言うと自分で曲を作ったりアレンジしたいんですよ。」


「なるほど。『彩音』って名前だけはあるな。『音を彩る』だもんな。いい名前だ。」


 俺がそう言うと彩音はびっくりした顔をして


「そんなこと言われたの、うちの親以外で先生が初めて。」


「そうか? 誰でも言いそうだと思うが。」


「ま、まぁ、名前を褒めてくれたのは感謝してあげます。今回だけは!次はないですからね!」


 何でいきなり上から目線なんだよ。これが俗に言うツンデレか?ツンデレなのか?でも出会って二日目でツンもないし、デレというより「照れ」だろうな。うん、照れ隠しだ。


「せんせぇー、ここのはねるとこがうまくいかないんだけどぉ。」


 四年生の依実(えみ)に呼ばれてしまった。依実よ、そこは「はね」ではなく「はらい」だ。こないだも言っただろう。


「ちょっと行ってくるから二、三分待っててくれ。正座のままできついかもしれんが慣れんといかんからな。」


 彩音に断って席を外し依実の指導に向かう。だからはねるんじゃない、筆をだんだん持ち上げながら半紙から筆を抜く感じで…そうそう。


「せんせー」


 今度は依実の従姉妹で五年生の亜希(あき)から声がかかる。


「そっちは何だ?」


「半紙無くなっちゃったからちょうだい。」


「へいへい、50でいいか?」


 亜希に半紙の束――50枚/200円也――を渡す。書道教室で使う道具や消耗品は物販扱いとなり月ごとにまとめて月謝と一緒に請求するシステムになっている。その場で現金を扱うのは煩わしいし、子供とお金のやり取りはあまりしたくないしね。


 亜希の半紙代を帳簿に記録した後、正座のままおすまし顔で待っている彩音のもとに戻る。なんか微妙に足がプルプルしてるけど大丈夫か?


「お待たせ、それじゃあらためて始めるか。」


「よ、よろしくお願いします。」 


 うん、かなりきつそうだ。小さい頃から正座に慣れてないと大体こうなる。頑張って慣れてくれ。

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