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小六編 第17話 月下氷人

 あれから何かと俺にネタを振って来る彩音だが、適度に相手したり躱したりしていた。大抵は彩音が振りで俺が突っ込み役になるのだが、会話の流れでいつの間にか主客が逆転する事もある。何故こういう会話が成り立つんだろう。何だか彩音が楽しそうだ。多分周りにネタが通じる相手がいないのだろうなとは要らぬお節介だろうか。これ、ずっと俺が相手しなくちゃならんのか? 俺も万能では無いんでな。すべての話題(ネタ)に突っ込める訳では無い。はよ他にも話が通じる相手見つけろよ。出来れば、いや是が非でもうちの塾生以外でな。


 七月第三週目の書道教室の日、そろそろ最終週に向けて課題を仕上げていかなくてはならない。手本を渡して三週目だから出来はそれなりにいい。塾生達への指導にも熱が入る。


 さて、問題(児)の彩音に対しての指導だが、ちょっとした暴挙に出る事にした。今週と来週の二回で検定課題を仕上げるというものだ。一学期の終業式を午前中で終えた彩音が教室にやって来た。一旦家に帰ってから来たのだろう。いつもと違って軽装でしかも心なしかちょっとオシャレさんである。墨が飛び散って汚れるといけないからエプロンした方がいいぞ。


「彩音、半紙を一枚持って前へ来て。」


 彩音が持って来た半紙に四文字の手本を書く。今月の小六の課題「月下氷人」だ。


「今日はこれを書く様に。」


「これ、ツッキーが練習してるヤツですよね。」


「今月の検定課題だ。受かるかどうかはともかく基本の筆づかいばかりだから練習にはちょうどいい。」


「えー、今まで『一』と『木』と『永』だけしかやってないんですよ。あんまり自信無いんですけど。」


「教えた事を組み合わせればいいだけだから大丈夫だ。白抜き作ってなぞり書きから始めてもいいぞ。」


 とりあえず道筋だけは作って来たから彩音なら何とか出来るだろ。今週、来週と二回である程度の形にはなる筈だ。検定に挑戦するという事がモチベーションにもつながるだろうしな。


「上手く書けたと思ったら持って来なさい。さらにいい出来になる様、指導するから。」


「分かりました。」


 彩音の方はとりあえずこれでいいだろう。他の塾生も見てやらなきゃならん。彼女ばかりにかまっている訳にはいかないのだ。勿論、他の者同様書き上げた書に対してきちんと指導はするが。


 並んでいる塾生達を捌いていると勝陽――玄田家末っ子――の番になった。一通り指導を終えると思い出したとばかりに勝陽が伝えてくれた。


「兄ちゃん、来週中には帰って来るそうです。合宿の手伝いは来れるって。明里(あかり)姉ちゃんはこの週末に帰って来てこっちも合宿は大丈夫で、明衣(めい)姉ちゃんは今年は帰らないそうです。」


「そうか、明衣は大学三年だっけ? この夏は就活準備だろうなぁ。」


「そんな感じです。」


「ありがとう、頃合いを見て朋照(とも)や明里に連絡とってみるわ。」


 明里は今年大学卒業の筈だが就職は決まったのだろうか。まぁ決まったから合宿来てくれるんだろうけど。詳細は本人に聞けばいいか。明里もそうだが朋照が来てくれるのはありがたい。貴重な男手だ。何より体がでかくて体力あるし、子供の面倒見もいい方だ。初対面の子供には怖がられるけど。何時だったか小一の女の子が奴を見ただけで泣き出したことがあって、その時はえらく落ち込んでいた。


 朋照だけでなく玄田家は両親も大柄で子供達も総じて背が高い。前に明里がこぼしていたのだが家族の中で彼女が一番背が低いのだそうだ。と言っても女子の平均以上の身長はあるのだが、一番長子である自分が末っ子で当時小四だった勝陽に身長で抜かれてしまった事がショックだったらしい。明衣も女子にしては身長が高い。スラっとしたスレンダータイプだ。その分、胸……ゲフンゲフン、いや何でもない。


「何か(よこしま)な事考えてませんか?」


「うぉ、びっくりした。『月下氷人』持って来たのか。」


 ジト目で俺を睨む彩音が居た。ふっと視線を下に……うん、まだ小学生だしこれからだよ、これから。


「何かものすごく(けな)された様な気がしたんですが……」


「そんな事はないぞ。これからだよ、これから。うん、これから上手くなっていくんだよ。」


「怪しい……」


「さーて、『月下氷人』見ていこうか。おっ、初めてにしてはなかなかいいじゃないか。」


「胡麻化されてる感がハンパないんですけど。」


「とりあえずバランスに気を付けて書いてみようか。一文字中のバランスじゃ無くて書として、つまり四文字のバランスって意味な。それだけでパッと見は上手く見えるから。」


 本質ではなく形から入って体裁を整えるというヤツである。悪く言えば小手先の小細工だ。検定では簡単に見破られてしまうが、せめて体裁だけは取っておかないと検定以前の問題だからな。


「なぞり書きはやったか?」


「三枚程やりましたけど……あれ白抜き作るのが大変なんで。」


「もう少しなぞり書きをやりなさい。面倒でもそれが訓練になる。今日は残りの時間は全てなぞり書きで。終了時間の十五分前になったら普通の書き方で仕上げて持って来なさい。」


 即効性の薬によるドーピングである。


「はーい。」


 不満げな返事をして彩音が自席に帰って行く。よし、何とか胡麻化せたな。書道教室だったから彩音も引き下がったが、修道なら執拗に追及してきたに違いない。


「本当に検定受けさせるんだ。」


 美依か。先週、彩音の検定についてチラッと喋ったのを覚えていたか。


「よっぼど出来が悪くなければな。合否はともかく検定受けるのは誰でも出来る訳だし。小学生の内に出来るだけ上の級まで進んでおかないと、本人のやる気にも影響してくるしな。」


「そうだねぇ。段は無理としても四級、出来れば三級くらいまでは何とか上げときたいね。でもあと九か月か……幸い特進月が二回あるから何とかなるかもね。」


「でも中学生になると行書になっちゃうんだよな。楷書を数年やらせた方がいいんだけどな。」


「あぁー、それがあったね。一年未満で行書になるとせっかくの上達した楷書の筆づかいの感覚が曖昧になっちゃうね。」


「実は中学でも楷書で検定に出すことは構わないんだ。勿論、減点対象になるから合格はし難くなるけどな。」


「へー、知らんかった。」


「彩音みたいに遅くから始めた子に対する救済措置みたいなもんだ。確か級レベルまでは楷書でもいい筈。段以降は認められないけど。今考えてるのは小六と中一の間は楷書で検定受けさせ様と思ってる。楷書をきちんと学んで欲しいからな。勿論、それ迄に昇段しちゃったら行書に切り替えざるを得ないけど。」


「色々考えてるんだね。」


「何だかんだで現実社会においては楷書がスタンダードだからな。一般的には楷書が上手く書ける人が字が上手いって事になってるし。」


「彩音ちゃんにそれ伝えても良い?」


「別に構わんぞ。楷書の習得がいかに重要かが伝われば。」


 美依も彩音を気にかけてくれている様だ。本当に面倒見がいいよな、こいつ。


 五時半が過ぎてポツポツ今日の練習を終えた小さいのが帰って行く。彩音には終了十五分前、つまり五時四十五分迄とは言ったが片付けもあるからそろそろ普通に書いて貰おう。


「彩音、なぞり書きはここ迄、今作ってる白抜きのなぞりが終わったら普通に書いていいぞ。それで上手く書けたと思うヤツ持って来て。」


「やった、やっと解放される。」


 白抜き、面倒だもんな。でもそれやっとくと下に手本を置いて透かさなくても大抵の文字はそら(・・)で書ける様になるぞ。早速いそいそと持って来たか。


「よーし、いいぞ。形にはなってる。なぞり書きばっかりやってみてどうだった?」


「白抜き作るのがひたすら苦痛でした。」


「それが大変なのは分かってる。なぞりの方は?」


「白抜きに合わせ様とするから窮屈きゅうくつでしたね。」


「窮屈か。つまり矯正されているって事だ。窮屈に感じなくなったら矯正完了、つまりその手本の筆づかいを自分の物に出来たという証になる。」


「はぁー、なるほど。」


「来週は最初の五、六枚程度なぞりで書いて、あとは普通に書いていいぞ。最初のなぞりで筆づかいの感覚を思い出させるんだ。では今日はこれで終了!」


「ありがとうございました。」


 六時になった。小学生の指導を終え、引き続き中学生以上を指導していく。今週ももうひと踏ん張りだ。

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