小六編 第11話 全力でダラける
明けて日曜日、今日の教室は――書道も修道も――休日。何にも無い日だ。金曜、土曜と色々な意味でなかなか濃い二日間だったので何時にも増してホッとする。さて気合を入れるか、全力でゴロゴロする為に。
気合を入れてゴロゴロしてたら梅宮家から電話がかかって来たよ。勝人氏からだ。
「昨日は良き物を頂きまして有難うございます。」
まずはお中元のお礼をしとかんとね。
「いえいえ、その事はお気になさらずに。手紙にも書いた通り娘の事に対するお詫びみたいなものですので。それで娘もそうなんですが、叔母もご迷惑おかけしてしまった様で申し訳ありません。」
あぁ、静経由で婆ちゃん無双が伝わったのか。
「娘さんはともかく婆ちゃんから実害は受けてませんからお気になさらずに。」
ヤベ、つい本音がポロリしてしまった。暗に娘には迷惑かけられてるって事になるじゃないか。勝人氏も苦笑いしてるな。ここは話を逸らそう。
「それにしてもあんな厳しい婆ちゃんは初めて見ました。普段は温厚で子供達にも優しい人なんですけど。」
「房江叔母さんは身内には厳しいんですよ。特に女性に対しては。」
そうそう、婆ちゃんの名前は竹内房江だった。いつも婆ちゃん呼びだから忘れそうになる。
「娘さんも言ってましたね。梅宮の女には厳しいって。」
「梅宮じゃないけど京ちゃんも相当厳しく育てられたと思いますよ。」
ミヤちゃん?ひょっとして月子の母親の京さんの事か。婆ちゃんと似てるから実の娘かなとは思っていたが。
「前からそうじゃないかと思ってたんですが、京さんは婆ちゃんの実子ですか?」
「そうですそうです。善次郎さんと房江叔母さんの間には女の子しか生まれなかったので、京ちゃんが幹司さんを婿にとって竹内家を継いだ形ですね。」
善次郎さんってのは何年か前に亡くなった竹内の爺ちゃんの事で、幹司さんというのは京さんの旦那、つまり月子の父親だな。以前、婆ちゃんが京さんをえらい剣幕で怒ってたのを見かけた事があったけど、実の娘だから遠慮が無かったんだな。あの婆ちゃんなら嫁には気を遣うだろうし。こういう時、幹司さんが空気になるのは婿養子だからか。実の母娘の間には入りたくないだろうしな。
「おっと、お時間取らせてしまいました。今後も叔母や娘共々よろしくお願い致します。」
「いえいえ、こちらこそ。お電話ありがとうございます。はい、失礼します。」
ふぅ、静の暴走から色んな事が浮き彫りになった週末だったな。でもあいつ、普段はキチッとしてるみたいなんだよな。家とか勤め先とか。何故うちに来るとああなるのか。唯一の気の抜ける時間とか言ってたな。ストレス発散の場所になってるのか。でもここ、竹内家のお膝元だぞ。ほぼ同じ敷地内だし。婆ちゃん居るんだから寧ろ気を抜いちゃいかん所だろ。
息抜きの場を設ける事について否定はしない。修道教室だってある意味そんな目的で存在する様なものだし、常に張りつめているのは精神衛生上よろしく無い。静の暴走だってあれ位なら許容出来る。何せ俺はもっと酷い暴走列車を知っているのだから。いや、暴走列車と言うより武装重戦車と言った方が適切かもしれない。広大な原野で銃も無く抵抗する手段を一切持たない歩兵をひたすら追い回す凶悪な重戦車の様なヤツを。あの暴君に比べれば静なんて赤子の様なものだ。うぅ、頭が……過去の記憶が蘇りそうになったのだが脳が自動的にそれを拒否した様だ。今日はせっかくの休日じゃないか。俺はゴロゴロするのに忙しいのだ。思う存分ダラけるぞぉ!
月曜、また一週間が始まる。寝床からゴソゴソと這い出し顔を洗ってコーヒーを淹れる。インスタントだけどな。VAPE――所謂、電子タバコだ――の濃い煙、じゃなくて蒸気だな、を燻らせながらPCでメールチェック。ネットニュースを適当に読んで頭を活性化させる。
うちにはテレビが無い。もう十年近くテレビが無い生活をしているが、全くもって不便と感じた事が無い。スマホはiPh〇neでワンセグ機能付いて無いし、車にカーナビも付けて無い。テレビ放送を受信出来る設備が一切無いのだ。だから某公共放送(笑)を名乗ってる輩よ、うちに凸して来ても無駄だからな。誤解無き様に言っておくと某局を視ているなら受信料を払うべきだと思う。しかし他局だけしか視て無いのであれば払う必要は無いんじゃないか? 某局視ていないのにテレビがあるというだけで受信料払えと言うのは道理が通らない。勝手に電波を送り付けて相手が利用していないのに対価を払えと言っているのだから。早くスクランブル化して契約者だけ視れる様にしろよ。
朝昼兼用の飯を作る。今日も暑いので久しぶりにソーメンだ。薬味以外は具の無い文字通り素麺、量は多いけどね。五分で作って五分で食べる。一人暮らしの男の飯なんてこんなもんだ。この時期、つまり月の中旬はゆったり過ごせるからいい。下旬になると検定やら月締めの作業で忙しくなるからな。上旬は上旬で新しい課題の手本を書いてやったり何やらでそこそこ手間がかかる。やっぱり中旬が一番ゆっくり出来る。そろそろ教室を開けるか。子供等が修道に来る時間になる。
「こんにちはー。」
「はい、こんにちは。」
学校帰りの小さいのがわらわらとやって来た。一旦家には帰らずにランドセル背負ったまま来る子が多い。小さい一年生の子なんかは寧ろランドセルに背負われてる様に見えてなかなか微笑ましい。彼らは席について宿題をやり始めた。その為ランドセルのままでうちに来るのだ。これは修道教室の教育方針、という訳でも無いがこういう流れが出来る様に誘導したのも事実だ。皆が一緒にやるから自分も、という心理が働いているのだろう。分からない所は皆と相談出来るし俺も教えてあげられるしな。修道教室に行くと宿題を済ませて帰って来る。そんな訳で保護者からの評判はいい。
「こんにちは。」
月子と彩音もやって来た。二人とも他の者と同じでまず宿題を片付ける様だ。量がそう多くなかったみたいで二十分位で終わった様だが。
宿題が終わったら自由時間だ。各自思い思いの過ごし方で時間を潰している。そういや彩音がノートPC持ち込みたいって言ってたけど持って来てないみたいだな。
「持永さん、ノートPCは使わないの?」
「まだその段階じゃないんで。今はスケブにデッサンしながら構図とかの構想を練ってる所です。」
「スケブ? あぁスケッチブックか。見てもいい?」
「いいですけど面白く無いですよ。かたまり描いてるだけなんで。」
彩音が差し出したスケッチブックのページには長細い丸を重ねた様な、よく見るとあぁこれが頭でここが手かというのが何となく分かる素描画が描かれていた。
「すごいな。こういうのよく知らないけど結構本格的なんじゃないか?」
「いや、まだまだ先が長いですよ。こういうのいっぱい描いてネーム作ってコマ割りしてペン入れして……やること一杯あります。」
「そ、そうか。専門用語ばかりでよく分からんけど大変なんだな。」
「夏はもう間に合わないけど冬迄には一本仕上げたいですね。」
ヤバい!何か分からないけどこれに触れるとヤバい!という直感が働いた。ここは話題を変えよう。
「ところでお母さんに来てもらう件だけどどうなってる?」
「あぁ、今日オカンがパート先でシフトの確認してくるって言ってました。」
「わかった。都合がいい日が分かったら教えてくれ。」
そそくさとその場を離れる。KYだ。空気も読んだけど寧ろ危険予知だ。メーカー勤務だったらKY(危険予知)は身についている。
「先生、ここ教えてよ。」
「あれっ、美依、月曜って水泳部の日じゃなかったか?」
「今日からテスト期間中。だからここで勉強してるの。」
そう言えば竹っちもそんな事言ってたな。彼と美依は違う中学だけど大体時期はかぶるからなぁ。
「知ってると思うけど英語と数学、理科の物理なら教えられるけど他の教科は無理だぞ。他のは記憶科目で二十年以上前の事は忘れてるからな。」
「大丈夫、数学だから。ここの連立方程式を……」
「それなら任せろ。あと、勉強が一段落したら……」
「新しい子だね。彩音ちゃんだっけ。さっきちょっと月ちゃんと一緒にお話はしといた。」
「皆と早めに馴染めるようにフォローしたってくれや。」
「その為には早く勉強が終わる様に先生が私をフォローしてくれないと。」
「ちゃっかりしてやがる。」
二人で笑いながら連立方程式に取り掛かるのだった。




