小六編 第10話 静ドナドナ
さて今は三時前か、夕方の教室の時間まで三時間程あるな。
「お前、あと三時間もここに居るわけ? あとダラけ過ぎだろ。」
静は教室の壁を背に、もたれかかって足をダラーンと前に放り出している。
「暑いですわ。今時エアコンも無いなんて信じられない。」
「文句があるなら何処か冷房が効いた店にでも行け!」
「おごりですか?」
「何で俺がおごらなきゃならんのだ。」
「仕方ないですね。爺や、冷たいお茶。」
「誰が爺やだ。と言うかお前ん家、爺やとか執事が居るの?」
「さすがに居ませんわよ。お父様の秘書は居ますけど家に住み込んでる訳では無いですし。」
「秘書が居るとか……やっぱりいいとこのお嬢様なんだな。なのにこの体たらく。」
「失礼ですね。私がダラけるのはここだけです。」
「余計悪いわ!キチっと出来るんならここでもしろよ。」
「拒否します。」
こいつは全くもう……おっとスマホがブルってる。
「悪い、電話だ。はい、あっ、お世話になります。いえいえ、とんでもない。はい、はい、えっ、静さんが居ないか、ですか?」
竹内家からの電話だと察した静が顔の前で手を左右にブンブン振り回しながら口パクで「い、な、い」というアピールをしている。
「えっと……居ないって言ってくれと言ってますが……」
「どうして言っちゃうのー!」
「電話、代わりますか? あぁはい、はい。」
「ヤバい、すぐ逃げなきゃ。」
静は今までのダラけた様子からとは思えぬ速度で立ち上がり、脱兎のごとく玄関を目指し扉に手をかける。
「いや、もう遅いと思うぞ。」
ガラッと開けた扉の向こうには……スマホを耳に当てた竹内の婆ちゃんの姿があった。
「どこへ行くんです? 静さん。」
ダラダラと汗をかき乍ら静は何とか言葉をひねり出す。
「えっと……そう、お届け物もしましたしそろそろお暇しようかと……」
「そうですか、ならこの後は空いてますね。ちょっとうちへいらっしゃい。」
「いや、夕方から教室ありますし。」
「先生、夕方の教室は六時からでしたよね。」
「あっ、はい。そうです。」
「では六時までは大丈夫ですね。付いて来なさい。」
逃げる事は不可能だと悟った静はうなだれたて連行されていった。うん、強く生きろ。でも自業自得だからな。全く同情はしない。
三時間後、ゲッソリと憔悴しきった静が戻ってきた。しかも婆ちゃん付きで。
「婆ちゃん、どうしたんです。」
「先生にもご迷惑をおかけしてるみたいなので暫く監視をと思いまして。」
「そんな事無いですよね。先生、そんな事無いって言って!」
「あなたには聞いていません。」
ピシャリと遮られて静はビクッとして縮こまる。
「先生も弁護は不要です。仮に先生が迷惑では無いとお思いになられても、梅宮の基準からすれば看過出来ないと判断しましたので。」
「そ、そうですか。」
これはどうしようも無いな。
「私の事はお気になさらずに。子供を教室に連れてきた保護者とでも思って。」
「は、はぁ……それではごゆっくり監視なさって下さい。」
仕方ない、これはもうそういうスタンスでいくしか無いな。静は絶望の表情だ。
二時間後、漸く教室の時間が終わり塾生達は三々五々帰って行く。背後からピリピリとした視線を感じたのだろう。まるで逃げる様に。
「うぅ、唯一の気が抜ける時間が……」
静のそんな言葉に婆ちゃんが反応した。
「まだ反省が足りていない様ですね。これからまたうちへいらっしゃい。」
「えっ、でももう遅いし帰りたいかなって。」
「大丈夫です。泊ればいいから。」
「いや、外泊とか親が許しませんよ。」
必死で抵抗する静。
「ちょっと待ってなさい。」
婆ちゃんはピッピッとスマホを操作すると
「もしもし、今晩は。竹内です。勝人さん、今日は結構なものを頂きましてありがとうございます。」
勝人さんってのは静の父親の梅宮勝人氏の事だろう。婆ちゃんからしたら甥にあたるのかな。
「いえいえ、ところで静さんなんですが今書道教室が終わったところで、お礼にうちで歓待したいんです。それで夜遅くなりますから泊まってもらおうかと思うんですがよろしいですか? よろしいですよね。」
いや、婆ちゃん、それお願いと言う名の命令だから。漏れ聞こえるスマホのスピーカーから「はいっ、どうぞどうぞ」という返事があったところで静はさらなる絶望の淵に沈んだ。勝人氏も叔母には逆らえず娘を生贄に差し出したのだろう。いや、俺にお詫びの品を持って来させる様な人だし、いい機会だから説教してもらおうと思ったのかもしれない。
「さて、勝人さんのお許しも貰いましたし行きますよ。先生、今日はこれで失礼いたします。ほら、あなたも先生にお礼言って。」
「あ、ありがとうございました。」
その後小声で
「先生、助けて……かわいい教え子が拉致られてるよ。」
そう訴えかけてくる静だったがそれに対して俺は無慈悲な一言を言い放った。
「確かにお前は教え子だがその人はうちの大家さんなんだ。悪く思うな。」
「薄情者ぉー!」
断末魔の悲鳴をあげながら再び連行されて行った。そういう事言うから説教されるんだぞ。
小六編なのに小学生が全く出て来ませんでした。