5.遺産相続
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義高は自分の親について考えた。例え毛利家が違った複雑な環境であっても、何か解決の手段になるかもしれない。と思ったのだ。
家族の生い立ちについては実際の所あまり知らなかった。二十年近く一緒に暮らし、育ててもらった期間。それはある意味家族を知るには充分な時間だったとも言えた。親、わけあって殆ど母親との暮らしだったが、少なくとも母親が、父親だった人とどのようにして出会い、自分がどのようにして生まれたのか。自分をどのように育て、将来はどのような人になってほしかったのか。知る手段はいくらでも思いつくけれど、実行に移すにはあまりにも障害が多い。
部屋にある、時代遅れのブラウン缶テレビを見た。あるカップルが二人で出演し、メインのタレントが普段相手の前で言えないような本音を突っ込んで聞いている。
「僕は大学を卒業したら彼女と結婚したいです」
と男は言った。多分テレビの前で初めて告白したのだろう、だいぶ思いのつまった口調でスタジオも盛り上がっていた。
「これは驚きです。彼女は初めて聞きましたね。テレビで初めてのプロポーズですよ。」
声を張り、一気に周りを盛り上げ、まるで二人のプライベートをすべてしっている風にタレントは言った。女は少し戸惑い気味で答えた。
「嬉しいんですけど……そういう事は考えてなかったし、ぶっちゃけ、この人と結婚するのもまだ不安です」
明らかに男は意気消沈して、
「精一杯の気持ちを伝えたのに、これはショックでしょう、彼氏は」
とタレントはあおった。既に男のほうはテレビに映っているという自意識も忘れ言葉を失っていた。それからなぜ彼女はそう思うのかと続く。見ているのが辛くなり、映像を消した。
自分はこれから先、生涯共にする女性と出会い、劇的とは想像しにくいけれど、決め台詞でプロポーズする。結婚生活が始まり、時間がたてば子供が生まれ家族を持つ。結果両親のように離れず、どちらが死に耐えるまで関係を持続できるか。
ここまで考えると、やはり複雑なる毛利家の問題を解決する糸口さえ見つからなかった。毛利家は今もなお家族という共同体を壊さずにいるのだ。
義高は近くのコンビニで週刊誌を立ち読みしてから探偵事務所に戻ると、ケンジは既に依頼人のメールを読み終え、煙草に火を付けていた。長髪を手でかき上げ、溜息を付いていた。
「憎悪の塊だな」
背中から語りかけてきた。傍へと歩み寄り、中腰になった。
「かなり深刻な内容ですね。もちろん仕事は受けますよね?」
「お前が勝手に指図するな。この手の話は関与しないほうが皆幸せになるケースが多い」
他人の家族に関与するのが仕事ではないのかという問いを喉で押えた。
「まあ、どちらにせよ、あまり時間がないみたいだな。曲者が集まるみたいだし、その場で捜査を始めるってわけにもいかないだろう」
内容からすえれば今回の依頼は義高がケンジに同行できるとは思えなかった。まったくの他人が何人も間にいれば、まとまる話も拡散してしまう。次のアイデアを考えて仕事を取ってくるのが最良だと思った。
「依頼は受けろ。四日後に備えて準備をしておけ」
まず意味が通じず、もう一度聞くかどうかを迷っていた。
「へっ? ぼくも?」
「当たり前だ。アルバイト探偵なんだから手伝うのは当然だろ」
「わかりますが。役に立たないような気が……」
ケンジが台風のような溜息を付いた。義高はその溜息に、精神が吹き飛ばされそうだった。
「まだ自覚がないのか。お前は読心の能力があるんだろ」
「それは、いつでも使えるとは限らないですし」
「知っている。俺もあまり期待はしていない」
ようやくソファに座った義高は、それでも同行してもかまわないのかと尋ねた。
「今回の案件は、真実の中に嘘がちりばめられるだろう。無数の嘘が積み重なった場合、さすがのお前でも一つや二つは嘘を見破れるはずだ」
納得させられていた。数打てば当たると楽観的になれば、見えない嘘も見破れる確率が上がると考えれば自分にもできそうな気がしてきた。ケンジは連れて行く人間を、義高、亜紀と設定すると、根本孝治は警察であるが故に警戒心を与える、菅野はやる気がないからと除外した。ケンジ自身も相当警戒を持たれると感じていた義高ではあるものの、
「毛利家のような連中は、俺のことを馬鹿な人間だと思い、見下すだけで、警戒心は持たないだろうからな」
と言った。義高はふと、ケンジも苦労してきたのだなと感じた。
早速依頼を承諾し、ケンジに連絡を入れるように返信した。まるでパソコンのメールを四六時中開いている仕事人のように、毛利静子から早いレスポンスが来た。文書の最後に記載されていた『ぜひともよろしくお願いします』だけフォントサイズが他よりも大きくなっているのは酷く滑稽であり、それが不安を増幅させていた。
落ち着かない精神を、誰かに相談するのが癖になっていた。通り縋りの人々に話だけでも聞いてほしいと思っていた。もちろん、そんなことはできなかった。義高の体全体は、貧乏ゆすりをしているみたいだった。こうなってしまうと、見なれた風景は別の場所と錯覚するほどになり、前からほしいと思っていた服がショップの店頭に飾ってあっても、購買意欲は皆無となり、通り過ぎる人々の視線さえも気になってくる。なるべく挙動不審な心を感じ取られないよう無表情で街を歩いていた。
菅野に連絡を取り、前より本の数が増えたアパートで合流した。インターホンを鳴し、菅野が玄関のドアを開けた時は本を抱えたままだった。額に汗を浮かべ、義高が入室してもしばらくは本に集中していた。笠井潔の『探偵小説序説』を読んでいて、探偵とは何かを真剣に考えていたらしい。別の分野である文学、哲学、心理学から個々の作品を引用して分析し、探偵小説のあり方を様々な視点から批判していく論文であり、既に内容をコピーしたのか、自分の思想のように消化させた後、美辞麗句探偵事務所のケンジと比較した。
「要はスゴ腕探偵であっても、幅広い知識がなければ深味がない」
やはり、菅野の理想論は無理があり過ぎた。現実問題、膨大な知識がなければ解決できない事件など、起こらないと義高は考えていたからだ。菅野が話終えるまで、割り込みをいれなかったのは義高の優しさであり、短所でもあった。意見を暴走させる前に静止してしまうのも、ある種、人のためにもなる。そこら辺の判断が付くにはもう少し時間がかかる。
満足顔の菅野が悦に入っている。
「つまりはフロイトの心理学書やデカルトの哲学書、法律の六法全書なんかも読んでいた方が探偵として深みが増すんだ。学習をするだけでも謙虚になる。外見だけ磨いても売れる探偵にはならないでしょ」
完全に引いていた義高は、含み笑いの表情になった。
「ケンジさんにそのまま伝えて置こうか」
「やめてくれ」
天国と地獄を短い時間に味わった菅野は、ようやく額の汗をタオルで拭いた。
美辞麗句探偵事務所への新たな依頼について説明した。
「館での密室殺人だ」
「だから、今回はそういう依頼じゃないんだって。話聞いていた?」
「いや、事件の匂いが漂っている。必ず何かが起こるって」
「はあ、そんな期待されてもね」
煙草に火を付け、灰にめ一杯吸い込んだ。冷房がかかっていない菅野の密室から逃げ出したくなった。白いシャツに汗のシミを作った菅野はそんな義高のことはお構いなしで考え込んでいた。
「考えても見ろよ、探偵に遺産の問題について立会人になってくれだなんて依頼すると思うか?」
「意図は秘密の厳守でしょ」
「だから、立会人だったら、弁護士を用意するって。依頼人は争いごと、最悪は殺人を懸念しているんだよ」
「そんなものなのかね」
疑心の目で伺った。
「山荘に住むぐらいだから、かなりの額の遺産である。そこには強欲な金の亡者が集う。中立な立場の人間がいなければ戦争になる。簡単なことだ」
きっぱりとした態度だった。それに感化され、思いを巡らせた。出来れば殺人というヘビーなものには遠ざかりたかった。まったく可能性がないと言えないだけに、義高の方が劣性である。
「要は、殺人の動機が明確であると」
菅野が顔を寄せてきた。
「ああ、十分な動機になる。義高は歴史的な瞬間に立ち会うかもしれない」
「そうなったら、全然うれしくないんだけど」
やる気を出せといい、密室関連のミステリー小説をいくつか紹介してきた。義高は菅野のあらすじからの説明を他人ごとのように聞いていた。菅野とのやりとりはどうでもよい話に及ぶというのが日常茶飯事ではあるけれど、精神安定にもなると知っていた。先ほどの精神の硬直は消え、落ち着いて考えられるようになっていた。
「アドバイスをやるから覚えておくんだぞ」
「何それ?」
「もしもの場合だ。殺人が起きたら絶対一人で行動をしない。これは誰であっても同じだ。犯人も、標的とされる人物も、事件に加わった関係者も単独行動は危険なんだ」
菅野は熱を帯びていた。起こりもしないだろうと想像していた殺人という言葉を何回も連発されてばマインドコントロールされる。起こるかもしれないと切り替わるまでに時間はかからなかった。
「うん、覚えておく」
自分に出来ることと言えば、ネットで毛利家の検索をするだけだった。結果としては歴史上の人物が出てくるだけで、何もなかった。関連項目で検索を掛けてみたが、毛利家の親戚の名前さえわからないのだ。
義高は仕方がなく、遺産相続についての基礎知識を勉強することにした。菅野の探偵であっても、幅広い知識が必要なんだという言葉が頭をよぎったのだ。
▼相続できる人
一、まず、その人が結婚(法律婚)している場合は、配偶者は必ず相続人になります。
二、子がいれば、子は第一順位の相続人になります。
三、両親が生存していれば、両親は第二順位の相続人になります。
四、兄弟姉妹がいれば、第三順位の相続人になります。
▼相続できない人
一、故意に被相続人または先順位もしくは同順位の相続人を死亡するに至らせ、または至らせようとしたため刑に処せられた。
二、被相続人が殺されたことを知って、これを告発、告訴しなかった(判断力の無い者、殺害者が自分の配偶者や直系血族の場合は除く)。
三、詐欺や強迫によって、被相続人に遺言書の作成や変更をさせ、もしくは遺言書の作成や変更を妨害した。
四、遺言書を偽造、変造、破棄、隠匿した場合。
相続できない人の項目を見る限り、菅野が熱弁していた密室殺人は起こらないと思い安堵していた。つまりは、依頼人の毛利静子の夫が相続できる人として最も有力であると納得し、義高は眠りについた。