35.残った者
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「遠慮せず、入ってきてください」
まるで、皆の行動は把握しているかのような口ぶりだった。逃げれば容赦はしないとも取れる。義高は瞬時にそう思った。部屋の中に入ると、サラ子は後に手を組んで立っていた。
傍らには寝たきりの老人である。喉から管を通され、顔色を失っている。骨と皮だけになった首、布団に隠れている身体は、膨らみが作り出しているシルエットだけでも相当衰弱していると見える。心電図検査のモニタから波形、血圧の数値、ハ―トマークが表示され、ピッピッという電子音がなければ、生きていることさえ疑わしくなる。ふと目を覚ましたとしても、見開いたとしても、死んだ魚ぐらいの眼力しかないのであろうと妄想した。
腕には点滴、病院ではないのに、これだけの装置が揃っている屋敷はそうないだろう。花瓶に起立しているフリージア、磨かれた床、無臭の空気、その他、各部屋にもある電話やソファがあった。気になるのは、布団から覗いている紙きれだった。
「やはり、あなただったのか、サラ子さん」
美しく微笑んだ。地下室でフェイクを掛けられた一件もあり、もう騙されないぞと心に誓った。
「予測していたみたいですね。名探偵さんに御会いできてよかったです」
「そりゃどうも」
床には小型銃が転がっていた。その扱いぶりは子供が使う玩具だった。
「皆さん、ご無事でしたのね?」
「お陰さまで」
ユキ子は皮肉を込める。女どうしの火花が散る。先に消したのはサラ子だった。
「あの人嫌いだんだけど」
「やっぱ」
亜紀とのおしゃべりを気にせず、目が合った義高は、
「閉じ込められた時は、流石に驚きましたけどね。正直言うと、終始驚かされっぱなしでしたけど」
皮肉を込めたつもりでも、微笑んでいるだけだった。
「残念だけど、地下室の遺体も残ってるよ」
「あら、ご丁寧にありがとうございます」
「西洋マニアなら、棺ぐらい用意してあげれば」
「参考にします」
まったくつかみどころのない、裏方に徹したサラ子だった。最初に見たときの印象はプロだったが、今ではそれが酷く不気味だった。
「残っているのは、俺達だけのようだな」
ケンジは、深い皺の毛利元也を見ながら言った。当然のことながら、寝たきりの老人に口なしだ。サラ子は腕時計を見やり。片方の唇を上げる。
「その様ですね」
「毛利静子さんもあなたが殺したんだ?」
亜紀は流れで聞いた。
「さあ、回答はひかえさせてもらいます」
口を滑らすようなミスはなかった。右手首に親指と人指し指の間が赤くなった左手をかぶせ、深く頭を下げた。
「知っての通り、俺達には財産も名誉もない。礼儀正しくしているのも疲れるだろう。普段通りでも気にしないよ」
「皆さんはお客様ですので、そういうわけにはいきません」
それを聞いて、亜紀が噴き出した。
「お客様って、あんた自分が何をしたのか分かっているの?」
「とても大きなことです、忘れるはずありません」
「ですよね、人殺し!」
頬笑みが消え、能面となった。亜紀は飛びかかっていきそうだった。
「俺の話が終わっていないんだ。黙っていろ」
ケンジとのアイコンタクトで鎮静した。
「事件について、自らお話する気がない?」
「ええ」
今となって、なぜ聞き出そうとするのかがわからなかった。義高のイメージは拷問にかけても話す気がないという印象だったからだ。
「証拠はもうあるし、俺からしゃべってもかまわないんだけどな」
「私から話をすれば、罪が軽くなるからですか?」
「ああ、最後の譲歩だ」
「本来の目的を見失っていませんか? ここにいる元也さんの望みは争いです。集まって議論し、反対する者もその気になりました。常に命の危険にさらされています。結果的には私が残りました」
「それで、自分は悪くないとでも?」
「罪の意識は背負っていくつもりです、が、後悔はしていません」
「後悔って、お手伝の仕事をまっとうしたとでも言うんですか?」
耐えられず、義高は言った。
「それもありますよ」
唇を歪めての悪魔的な頬笑み、常人の抱く罪悪感を超越していた。
「毛利剛さんの危険性を利用した。あなたは警戒されない立場でもある。一番信頼を置き、心を許している。だから殺せた」
言葉を発しない。微笑んだままだった。
「不倫の話は毛利静子さんから聞いた。別室からでもわかるように、あなたからも誘惑していたんだろう?」
「どうかしら」
つまんなそうに、腕時計を確認した。
「楽しかっただろうな。あなたはそこにいる毛利元也さんの子供だ。そして、母親は捨てられた。毛利家を恨んで当然だ。毛利剛さんがあなたにのめり込んでいき、毛利静子さんは不幸になっていく。笑いをこみ上げるのに必至だっだはずだ。その気持ちはわからないでもない」
「何がわかるというの?」
初めて感情と呼べるものを出した。微笑んではいるものの、目が笑っていない。
「わからないよ。想像してみただけだ。もし、俺がそうなったらって」
「でしょうね」
「だが、充分な動機にはなる。動機があれば警察は納得する。マスコミはネタとする。さらには緻密な計画を練った殺人のスケール、永遠に塀の中からは出られない」
塀の中がどれほど厳しいのかを、とつとつと語った。
「捕まったらの話でしょう」
「捕まらなくても同じ。一生背負っていくことになる。懸賞金をかけられ、逃げまとう。俺にはいくら金を詰まれたところでできない。罪を償っているだけ、塀の中にいる方が楽なのかもしれない」
「外の方がいいわ」
「思想の違いだね」
腕時計を頻繁に確認するようになった。それに反比例し、目を止める時間が長くなっている。サラ子の額からは汗が浮かんでいた。
「どうして、後ずさっているの?」
ケンジの指摘通り、同じ立ち位置にいるわけではなかった。後には開きっぱなしの窓である。
「まさか自殺なんかするなよ」
「まさか。遺産で遊ぶんだもの」
「それには、俺達をどうにかしないと駄目なんじゃない?」
顔を覗き込んだ。サラ子はたじろいた。
「考えてみるわ。お金があれば、何だってできるんだから」
義高は暇な時に、殺し屋の情報を得ていた。人殺しをするのに一人三百万、どこかの組織が人殺しも請け負っている。ふと思い出していた。
「確かに。じゃあ、これは預かっておく」
目を見張る程のスピートで、転がっていた小型銃を拾った。至近距離だと、既視感があった。ふいに動いても、襲ってくる様子はない。
「ずいぶんと、巧妙に出来ているんだな。だが、発射口の部分が大きく破損もしている」
「えっ?」
ユキ子は思わず声を発した。それは、他の人間の心も代弁しているに過ぎなかった。焦っているのはサラ子であり、足が縺れそうになっている。
「これで脅せるのは普通の人ぐらいだろうな」
そういうと、菅野のズボンめがけて発射した。耳を貫く発砲音、
「いて、俺はもうダメです。なんで撃つんですか……?」
「お前は弱すぎるんだ。少しは鍛えろ」
ズボンは小さな円形の窪みを作っただけで、貫通はしていなかった。弾は、プラスティックであり、床でバウンドし、壁にぶつかってから動力を失った。
「BB弾だったのか、俺が小さい頃は流行ったな」
「だったのかって、知らないで撃ったんですね……」
当たった部分を摩りながら、菅野は呆れていた。
「あなたの部屋にあった物と同じ型だ」
胸から取り出した小型銃と並べた。義高がすぐに気が付かなかったのは、破損部分があったからだった。
「モデルガンではなく、せめて紅のカラーボールが打てるものだったらリアルだったのにな。つまんねんの」
置き去りのサラ子は、さらに窓へと近付いた。
「危ないから落ち着きなよ」
「無理よ」
「なんで?」
気の抜けた声で聞いた。
「呑気なのね。あなた達はもう助からないから教えてあげるわ」
ケンジ以外は皆、息をのんだ。
「毛利家の屋敷はもうじき消し飛ぶの。死体から証拠まで、なにからなにまで無くなるのよ。私だけの楽園が始まるの」
旨く笑えていなかった。
「それにしては、ちっとも楽しそうではないな」
「そう、あなた達を失うのが可哀そうだから」
「お世辞は上手いんだな」
「どうも」
サラ子の汗は、シャツにまで及んでいた。背中から透けて下着まで見える。その姿は、遺産を独り占めして、楽園を築いていく女としては、いささか頼りない。
「持ちあげなくても、大丈夫だ。俺達は死なない」
「大した自身ね。でも、車が爆発したことでわかったでしょ」
延命装置ではない機器に手を触れた。遠隔装置、これで総堂院幸子が死んだことを告白した。
「屋敷全体を消し飛ばす爆弾を手に入れるなんて、わけないの」
「出来れば、でしょ?」
「まだ、わかっていないようね。ならば、いつまでもここにいて、確かめてみることね」
「やばいよ。この人本気っぽいし」
ユキ子が逃げようよと懇願してきた。
「なんであおってんのよ?」
亜紀はヒステリーを引き気味だった。
「それはわかっているつもりだ。管理室にあった爆弾でしょ? あんなのが爆発したら、確かにこの屋敷ごと吹き飛んでいただろうな。まあ、それが本来の目的としか考えられないが」
しばらくしてから答えた。
「み、見たのならあきらめなさい」
「しかし、残念なことに素人が作ったものだった。あんなものの解除は、知識があれば誰だってできる」
「解除したというの?」
サラ子は目を見開いた。
「じゃなかったら、ここであんたと長話なんてしてない。わかりやすいんだよ。急に出入口を封鎖しだしたのがなかったら、見つけていなかったかもしれない。いや、それはないか」
ふざけている体だった。
「大した自信ね」
「まあ、これであなたも心から笑えるんじゃない?」
「はぁい?」
菅野が割りこんできた。
「何を言っているんですか、ケンジさん。この人は爆弾を解除されて、俺達の始末手段をなくしたんですよ。今までの殺人だってそうでしょ、逆に、心から笑えなくなっているはずですよ」
「お前は、屁理屈だけが得意だな〜」
「まともな意見です。な?」
急に同意を求められた義高は慌ててうんと言った。
「悔しいけど、菅野はまとも」
ユキ子は言った。悔しいって何? と言い返していた。
「ねえ、ケンジが可笑しいよ?」
亜紀は本気で心配していた。ケンジは眉間に皺をよせ、金髪の前髪をかきあげた。
「コーヒーとお茶にはカフェインが含まれている。しかし、ペットボトルのお茶をガブガブ飲んだところで眼が冴えて来たという経験がないとする。昔からの潜在イメージがあるからだ。冷蔵庫にコーヒーとお茶が入っていて、眠気を押さえなければいけない時、少量であってもコーヒーを選ぶだろう。でも、本当は同じ量のカフェインが含まれる。これを応用し、A(危ない雰囲気の人)とB(普通の人)の犯人候補がいたとして、両者共アリバイがなく、かつ動機は充分だったとする。そうなると、見てくれで判断し、Aではないかと考える。実際の犯人はAとBの共犯である。逆に、風邪をひき、買い置きしていた風邪薬を飲んだとする。次の朝、完治した状態で目覚め、掃除していると、昨日飲んだのは風邪薬ではなくビタミンサプリだと知る。同じくA(危ない雰囲気の人)とB(普通の人)の犯人候補がいたとして、両者共アリバイがなく、かつ動機は充分だったとする。そうなると、見てくれで判断し、Aではないかと考える。実際の犯人はBである。お前たちの考えていることと、現実に起こっているズレはこんな感じだ」
「わかりずらいよ」
亜紀の言い草は、駄々をこねる子供だった。
「まあいい、爆発は起こらないから、不安要素は一つ消えたわけだ。ギブアンドテイクって言葉知っている?」
サラ子は頷いた。
「対価がないとね。解決するためのやる気って起きないんだけどさ」
そう言うと、煙草に火を付けようとし、毛利元也の方を向いてから止めた。
「聞きたいのは二点だ。まず、元也さんの部屋に入ったのは今日が始めてじゃないかな?」
「い、いえ、一度は顔を見にきたことはあります」
「どんな人なのだろうと?」
「はい。私の……実の父ですからね」
「一度だけなの?」
「そうです。静子さんも一緒に立ち会いましたけど、顔を見たら、様々な恨みが薄まっていきました。これ以上薄まるのが怖くなったので、それっきり立ち入っていません。介護は静子さんがしていたので」
「毛利剛さんは、どうでしたか?」
「剛さんは……殆ど関与していませんでした。静子さんに任せっきりでしたので」
ケンジは唐突にこう言った。
「サラ子さん、脅されているね?」
ケンジは優しく諭した。サラ子の顔は、わずかにうっとりしているようでもあった。