29.美形探偵復活
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亜紀が付き添っている中、向いの部屋からドアを開ける音がした。
「や、やめろ」
と、脅えた声に足音が聞こえ、パスっという音が聞こえた。それでも、亜紀は部屋を出られなかった。
「やばいよ……」
震える唇で呟いた。加えて銃声、爆発音まで聞こえてきた。ケンジはそれらのどれかで起きた。ひどく不機嫌であり、目を覚ましてみたものに恨みを抱いたかのような視線である。それでも亜紀は動じなかった。いつもの様子だからだ。
「やっと起きたのね?」
「うーん」
髪の毛を掻きあげ、肩を回す。
「大変なの。さっきの音きこえたでしょ?」
「話は後だ。シャワーを浴びてくる」
これも熟睡した後、短期間で頭を回転させる恒例行事だった。
「ねえ、聞いて」
亜紀の問いかけをお構いなしに、バスルームへ向かった。
「向いの部屋で銃声が聞こえたの。爆発音も。この場所も絶対危ないんだから」
ケンジは体を回す要領で上半身を解し、
「俺のカバンに防弾ジョッキが入っている。俺が戻るまで服の中に着ていろ」
雑に命令し、電気も付けずにバスルームのドアを閉めた。
言われるがまま、亜紀は上半身だけ下着姿となり、防弾ジョッキを着込んだ。バストが圧迫され、着ていた服ははち切れんばかりになっている姿を鏡に映した。
その時、鍵を開ける音がした。慌てて振り向くと、ドアのわずかな隙間から先の長い拳銃が覗いていた。
「きゃ!」
銃声は二発だった。一発は亜紀の肩をかすり、二発目で倒れ込んだ。撃った本人は顔を見せずにドアを閉め、ご丁寧にも鍵まで閉めた。
足音が消えるまで、亜紀は死んだ、ふりをしていた。二発目は亜紀の胸を貫通する前にとまっていたからだ。肩からは微量の血液が流れる。犯人に狙われる恐怖に比べれば、耐えられる痛みだった。
階段を使っている足音を見計らって、防弾ジョッキを脱いだ。
「ちょー痛いんだけど」
患部を確認し、そこだけ若干凹んだ傷口から血液が流れていた。
「使えねぇシャワーだ。熱湯しか出ねえ」
ケンジはしょうがなく、洗面所で洗顔だけをしていたようだ。
「音が聞こえたけど、なにかあったのか?」
「なにかじゃないよ! 撃たれたの!」
そう言うと、傷口をどや顔しながら見せた。亜紀の上半身は下着のみであるが、二人して慣れていた。
「だいじょぶ、血なんてその内とまる」
「もう」
防弾ジョッキに突き刺さっている銃弾を見て、ケンジの顔は引き締まった。
「撃った本人は?」
「見ていないの」
亜紀は申し訳なくなり、代わりにこれまでの経緯を話した。ケンジが寝ているまでの間、何が起こっていたのかを。
「ユキ子や義高は無事なんだな?」
「たぶん。今捜索に行っているんだけど」
そこまで聞くと、ケンジは腕を組んだ。まるで高級肉を時間かけて咀嚼<<そしゃく>>するかのように真剣だった。
「行くぞ」
反応を待たずして部屋を出た。亜紀は急いで上着を着込み、ケンジの後を追った。
向いにある総堂院栄太郎の部屋は開いていた。それはバルコニーへの窓も同じだった。カーテンが落ち、カーテンのつっかけに破損部分がある。ケンジは構わずバルコニーに出た。
「これは」
「どうしたの?」
ユキ子はやっと追いついた。返事を待たず、地面に落ちた総堂院栄太郎の死体ですべてを納得した。
「逃げ遅れたみたいだな」
「そんな、総堂院さんまで」
「俺の推理は外れていなかったようだ」
亜紀は、ケンジが気を失う前に、何人を毛利まで言っていたことを思い出した。
「本当は犯人誰なの?」
「それより、三階に行くぞ」
軽くスルーされた亜紀は、良くはるからと慰めた。
「爆発のあった場所ね」
「ちがう。爆発は下の階で起きた」
そう言い、早々に部屋を出居た。
「じゃあ、あの時は起きていたのね?」
「たまたまだ。爆発音が起こる前にもっと悪夢を見ていたからな」
長い脚で階段を二段飛ばしするケンジは、不機嫌モードになっていた。
ドアをノックしたのは毛利静子だった。予想通り出てこないので、ケンジは声をかけた。無防備にも、彼女は丸腰で出てきた。
「ケンジさん、生きていたんですね?」
金髪の青年を見た毛利静子は、化け物を目撃したかのごとく、身を引いた。
「勝手に殺さないで下さいよ、静子さん」
ふざけ半分で微笑みかけた。綺麗な女の子に話しかけている時と遜色ない微笑みだった。
「でも、よかったです」
「心配して頂き、ありがとうございます」
ここで立場なしは危ないと提案したケンジは、毛利静子の部屋に入った。亜紀が内鍵を閉める。
「寝ている間に、もっと大変なことになっていたみたいですね?」
「ええ、私もいつ狙われるのか、怯えていました」
「無事でなによりです。あなたがいなければ、事件は解決しえなかったと思います」
ケンジは煙草を取り出し、火を付ける前に、吸っても大丈夫かを聞いた。バチバチと火花が散り、煙を天井に吹き付けた。
「この際、俺達に隠していたことを話してもらえませんか? あなたの証言でこの争いは終わるかもしれません」
優しく語りかけていた。幾分表情が和らいだ毛利静子は、静かに語り始めた。
「実は、夫とお手伝いのサラ子さんは関係を持っていました」
「うそ!?」
叫び声をあげケンジは亜紀を見るのではなく、ドアの方を向いた。
「足音?」
「えっ」
耳を澄ませてみたが、亜紀には何も聞こえなかった。
「なんでもない、てか、お前うるさいって、目上の方には敬語を使え」
亜紀は頬を膨らませ、ケンジにだけは言われたくないと思った。毛利静子が羨ましそうに見て来た。
「本当ですか?」
「はい。夫婦ですし、同じ屋根の下でそういう行為をしているものですから、気付きます」
結婚相手の居る家でセックス……
亜紀の友達にも、浮気や不倫をされている人間はいた。が、そこまで大胆な話は初めてだった。
にしては、あまり悔やんでいる様子のないのはなぜだろうと思っていた。裏を返せば、食堂で毒物を混入させ、毛利剛を殺害しようとした動機ははっきりとする。ただ、毛利静子の反応を見て仮定しただけであり、本当に毒物が入っていたのかは確認のしようがない。
「では、あの二人が組んでいると考えるべきだな」
ケンジは呟いた。
「絶対そうだと思います。恥ずかしい話ですが、夫が私への愛はもうないと思っています。夫の愛はサラ子さんに向いている。それでも私をこのまま置いておく義理がどこにあるのかまでは分かりかねます」
毛利夫妻の冷え切った関係、亜紀にも薄々は勘づいてはいた。
「それは、毛利剛になってみないとわかりませんよ。心では愛が残っているかもしれません」
「いえ、それはありません」
きっぱりだった。
「この屋敷きで、サラ子さんでは出来ない家事があるとか?」
「ないです。私以上に働いていますので、お手伝いとしては大変助かっていますから」
「では、この屋敷きであなたしか知らないものがあるとか?」
「私の部屋以外、すべて知りつくしていますよ。むしろサラ子さんの方がくわしいです」
ケンジは用意されていた灰皿で煙草を消した。膝に肘を載せ、前のめりになった。
「元気な時の毛利元也さんに、気に入られていたのではありませんか?」
「あると思います」
「気に入られていた証拠があれば、教えてほしいのですが」
「ケンジ、証拠って、どうやってみせるのよ」
呆れた亜紀に対し、
「実は、元也さんの書き置きはもう一つあったのです」
肌身離さず持ち歩いているかのように、胸のポケットから小さな鍵を取り出し、引き出しを開け、二枚ほどの直執で書かれた用紙を取り出した。水分を含みふやけ、元は白かったであろう用紙が黄色く変色していた。
「あなたに託されたのですね?」
「はい。どんなことがあっても、息子、娘たちにだけは見せるなと言われました」
「今も守っているんですね?」
「はい。誰も知りません」
「読みあげてもらってよろしいでしょうか?」
〜〜妻が亡くなる前、ある女性と関係を持っていた。言い訳をするつもりはない。妻が病に倒れた時、精神的に参っていた私を支えてくれたのがその女性だ。五十を過ぎた私にとても良くしてくれた。所有している富が目当てであってもかまわないとさえ思案していた。或る時、子供をはらんでいるという告白があった。私が五三の時の子だ。その女性は独身だが、心底戸惑った。元気を失っていくと、妻の病状も悪化していった。
子供にはサラ子と名づけた。毛利家の子に片仮名を付ける風習は無い。隠ぺいも兼ねてそう名付けたのだ。無事に生まれ、健康そのものだった。
翌年、妻がこの世を去った。失ってから、存在の大きさで胸が満たされた。妻への両親の呵責もあったのだろうか、急速にその女性への思いは冷めた。かなり前から息子、娘達と縁を切り、今まで以上に不動産業に精を出した〜〜
「この後、元也さんは倒れました」
「最後に話をしたのはいつですか?」
「倒れる一か月前です。そういう経緯があり、倒れる前までしばらく一人暮らしをしていたんですが、私はたまに足を運び、面倒を見ていたのです」
「なるほど」
それ程大切な書き置きを、なぜ自分達に見せてくれたのかはどうでもよかった。それよりも、腹わたが煮えくりかえっていたものが含まれていたからだ。
「その女性と子供を捨てた? のですね?」
「悪い言い方をすれば」
亜紀は言葉を失った。
「サラ子さんは今年で二六歳です。元也さんは現在八十歳です。妊娠した年を考えると、その時の子供です」
「それで、不倫を許したのですね?」
「不倫されていたのを何度も恨みました。その度にこれを見て、最終的には許そうと思いました」
父親の腹違いの子供同士か、不倫している……
歪んだ事実だというのに、ケンジはまったく違った視点を持っていた。
「その時の子供がサラ子さんなら、彼女も毛利剛さんがどのような人で、なにに興味があるのかも知っているかもしれませんね?」
間を貯めてから言った。
「はい。二人の関係が上手くいっているのも、サラ子さんが好みの女性に徹しているのだと思います」
「全部知っているあなたは、サラ子さんに冷たく出来なかった。もしそうしていれば、毛利剛さんに言いつけられる。力を持っているのはサラ子さんの方で、結果あなたが弾かれる」
「ええ」
「弾かれるだけではない。争いと評してこれだけ人を殺しているんだ。あなたは毛利剛さんの殺意にも怯えていたのですよね?」
「はい」
それは毛利静子に取っても心をえぐるものだった。
「やはり、遺産相続の争いには、サラ子さんも加わっている。いや、毛利サラ子さんになりえた女性だ」
長年の苦労をにじませた皺に深みを増し、その場で涙を流した。毛利静子の鳴き声は静かだった。涙を手で拭おうとした瞬間、手のひらにたこができているのが見えた。涙が止まるまで待った。
「拳銃をつかったりして、狩りとはした経験ありますか?」
「狩り、ですか? ええと主人がたまにやっているらしいですが」
「憂さ晴らしでも、やられないんですか?」
「ええ」
場違いな質問で、呆気にとられていた。
「静子さん、あなたは人殺しにはならずに済みました」
「うっ」
「説明なくとも分かりますよね?」
水への毒物混入、それ以外は他の人の犯行であると証明していた。
「それでは、ここで誰も部屋に入れないよう、身を守っていてください。それと」
「ああっ」
毛利静子はうまく返事が出来なかった。
「各部屋のスペアキーがあると聞いているので。鍵を貸して貰いますよ。あっ、これかな」
自ら部屋に踏み込み、地下室まで持ってきていた鍵の束を持った。毛利静子に抵抗はない。怯え方からすると、なにか策があるように見えなかった。
部屋を出ると、亜紀はしかめ面をした。
「親子そろって酷いな。男って、ほんと浮気するよね。さいてい」
「男の俺に言うな」
そう言うと、階段を下りて行った。
「そういうのって遺伝すると思う?」
「知らん、それより俺の部屋で、死んだふりをしているんだ」
「なんでよ?」
二人は206号室の前に辿りついていた。
「今度の相手は毛利静子のようにいかないからな。俺が怒鳴った時、あるいは義高かユキ子が呼びに来た時が合図で、出てくるんだ」
「怒鳴った時って、どんな状況なのよ?」
「殺されそうになった時だ」
亜紀は大袈裟にふうっと息を吐いた。
「でも、合図が来たらって言っても、どこへ行けばいいの? 携帯も使えないんだし」
持っている携帯は、お手洗い散策した時に雨で濡れ、機能停止していた。その意味でも携帯は使えなかった。
「それをこれから探す。もし怒鳴りだったら聞こえてくた方向を辿ってくるんだな」
「無茶ブリするな〜」
「心配だったら、防弾ジョッキでも着て寝ていろ」
「いやだね」
ケンジは押しこんで来た。一人取り残された亜紀は、上着を脱ぎ始めた。