27.BURN
身に起こった事実が信じられなかった義高は、非常口へのドアノブに手を掛けた。捻り動作さえしなくなった物体から手を離し、俯いたままユキ子の元へ。
締めきった空気は濃密さを増し、やがて酸素を奪っていくかのようだった。腐敗臭は消えず、薄まったのかと思えば、二人の鼻が慣れてきていたせいだ。
残された場所は倉庫だけだった。いくら探しても、隠し通路らしき場所はない。換気通路さえ見当たらない。
「閉じ込められた」
話掛けるわけでもなく、現実を受け入れるために呟いた。
「怖いよ」
「落ち着こう。脱出する道を考えよう」
「でも、ここしかもう」
ユキ子がそう言って指差したのは、そう、残された、遺体のある倉庫だけだった。
「だね。僕が見てくるから、ちょっと離れた場所で待っていてくれる?」
「えっ?」
「大丈夫、もし誰かが来ても、鍵を開けてから少しの距離はある。その前にちゃんと助けにくるから」
あっさりと承諾した。ドアを開けようとすると、ユキ子は背を向け、鼻をつまんでいた。かまわず、義高も鼻をつまみ、ドアを開けた。
強烈な腐敗臭が向かってきたが、倉庫は電気が付いていなかった。そんな中、僅かな光沢を放っていたのは、デジタル時計のようなものに表示された数値だった。しかし、その光源だけでは、何があるのかさえ判別できない。サラ子は電気も付けずに遺体を特定したことになる。
「嘘だったのか」
若しくは遺体が置かれているのを知っていた。今となってはどちらでも良いと考えた。手探りでスイッチを探し、一呼吸入れてからONにした。地下室の廊下に比べ、大分明るい天井灯だった。あったのは、遺体ではなく新聞誌にくるまった人型のものだった。二体が人型であり、中央の新聞紙は丸い形をしていて、川の時になって並んでいた。それでも、義高は後ずさった。この腐敗臭を発生させているのは、あの中に入った遺体以外考えられない。
その他、雑多な段ボールで、一つだけ上部の位置で側面をくりぬいたところから、暗闇の中で光る時計を搭載している四角い装置があった。良く見ると、
22:21
と表示され、時間がたつごとに数値が減少していた。まぎれもなく、タイマーの付いた爆弾だった。映画で見るような、白黒の各ケーブルがあり、当たりの方を切断すると解除されるような代物はない。
義高に危険物取扱の資格も知識もなかったので、どれぐらいの規模で爆発が起こるのかは皆目見当が付かなかった。
その事実をユキ子に伝えた。
「じゃあ、サラ子さんは、さっき時限爆弾が作動しているのをチェックして、ここに閉じ込めてから爆発で殺そうとしたのね」
「わからない。でも、僕達が必ず来ることは想定できなかったはずだよ。偶然見つけたと考える方が自然だし、閉じ込めたのは、とっさに考えた計画だと思う」
「ひどい、なんなのあの女は!」
混乱し始めたユキ子の肩を持った。
「最後まで聞いてくれ。僕達が来ることを想定していなかったのだとすれば、あの爆弾は、遺体を消滅させるために設置されたものだと思う。いくらなんでも、地下室全体を爆発させたら、軸を失い、屋敷ごと破壊しかねないからね。さすがにそこまで危険なまねはしないと思うよ」
「ちょっとは安全なんだね?」
「うん、爆発の時間が来ても、部屋を閉め切って離れていれば問題ないよ」
とは言ったものの、確信までは到達していなかった。止む負えず、義高は再捜索し、ユキ子は非常階段へのドアから助けを呼ぶという役割分担をした。
ドアを開けっぱなしにすると、ユキ子の声が反響して聞こえてくる。助けを求める言葉、その声で気が楽になり、こっちもがんばらねばという意欲に駆られた。
まずは新聞誌を破る作業から入った。一体目はうつ伏せになった毛利直哉の遺体だった。焼け爛れた皮膚がめくれ、かろうじて繋がっている部分は水ぶくれになっている。そして、遺体全体は、青白い色を下地に赤黒くなっていて、奇妙なコントラストだった。足くびには縄で縛られた後の傷が残っていて、そこだけは皮膚のただれが大きかった。
隣の中央にある新聞誌には、黒こげの物体が入っていた。バラバラになった個体をかき集めたものだった。触って見ると、焦げた部分がスルリと剥け骨と思われる部分も残っていた。それを見て人の特定はできないが、あの事故から考え総堂院幸子しかいない。
最後の新聞紙を破った。
「ん?」
ないはずの首から上があった。血液の循環が止まり、筋肉が弛緩したことで顔には変化が見られたが、明らかに毛利薫のものだった。破りきったところで頭部が転がり、手で支える必要もなく、鼻の部分がストッパーとなった。切断面から上の皮膚に数センチにわたる痣が残っていた。刃物で両断したのであれば不自然すぎる痣である。おおよそネックレスか何かで首を絞められてからの切断を考えた方が自然だった。さらに、遺体からみて左手側のには痣がない。殺害されたのが本当に便座に座っている状態であれば、右手側から換気窓を使い、ネックレスに引っかけて首を絞めたと推理できる。しかも、お手洗いの換気窓は内側からだと二メートル近い位置にあるが、外側からだと顎の高さである。殺人がやり易いのだ。
意を決し、鼻をつまんでいた左手を離した。強烈な腐敗臭は、義高に眩暈を起こさせた。が、聞こえてくるユキ子の声を聞き、手を休めることなく倉庫にある荷物を見て行った。焦りが手を滑らせ効率を鈍らせた。
14:32
と表示されたあたりですべての段ボールを開けた。そこには縄も存在している。使い古した雑貨が殆どで、先が刃物となっている槍もあった。遠隔操作をするような機器や、火薬は存在しなかった。
とすると、置いてある場所は……
毛利元也の部屋が最有力となった。
寝たきりの老人、義高達が唯一見ていない部屋だった。開くまで持ち運びが困難な装置であるという前提で考えると、調べるにもためらう場所の必頭にあげられる。目前で爆発スイッチが押されても、寝たきりの老人であれば止められる状態ではないのだ。
ユキ子は悲鳴を上げた。次に助けを呼ぶ声である。
その声で推理を停止させ、時間がない、そう思った義高は倉庫のドアを閉め、ユキ子のところへ行った。涙ながらに助けを求めている、健気な姿に、もらい泣きをしそうになりながら、後ろから肩を叩いた。
「誰も来ない」
振り向いて言ってきた。ユキ子の手は真っ赤になっている。
「もう、無理しないで。爆発したら、きっと誰かが駆け付けてくれるよ」
それを聞いて、関止められていたダムが解放したかのように、涙を流し始めた。今度は微妙な距離もなく、義高の胸を借りた。
落付くまでそうしてようと思ったが、新たな思考が心中を駆け巡った。このまま死体が安置されている場所で爆発を待っていれば、今後の捜査に障害を与える。
「待てよ!」
とっさのことで、ユキ子は体を離した。
「びっくりするじゃない。せっかく夢を持たせてあげたのに」
「夢って……」
義高はユキ子の化粧が涙で落ちている姿に閉口した。
「で、どうしたの?」
「うん、倉庫の上ってさ。実は庭だったりする。だから、結構大規模な爆発もありえるんじゃないかなと思って」
「えっ? さっきと話ちがうじゃん!」
「ごめん。それに、遺体を爆発させてはいけないと思うんだ」
「んもう!」
痴話喧嘩さながらの展開になったところで、義高は倉庫に戻った。既に十分を切ったタイマーは、刻一刻と時間を縮小していく。
真っ先に時限爆弾の前に立ち、真呼吸をしてからそっと拾い上げた。予想通り、持ち運びは可能だったが、義高だけでは途中で地面に置かないと厳しい重量だった。
「来てくれ!」
大声を出し、ゆっくりと目をつぶりながらユキ子が来た。
「こっちを持って。段ボールを破かないよう、なるべく下を包みこむようにね」
「わかった」
二人で爆弾の両脇を持ちあげた。
「おも、これを非常階段のドアまで持って行くんだ」
言われなくても知ってるよ、といった態度のユキ子は、むしろ義高をリードする形で運んだ。後半は重さに耐えきれなくなり、ガ二股になりながらも、ドアの前まで辿りついた。
「そっとね」
真顔のユキ子は頷いた。指をクッション代わりに床へと置いた。その場を離れるまで身震いが収まらなかった。
「うちらは?」
「倉庫に隠れるんだ。爆発の力を考えると、倉庫が安全だからね」
「死体の部屋に! 絶対にやだ!」
「さっき入ったでしょ」
そんなやりとりで納得させ、遺体のある倉庫に身を隠した。新聞誌を破いていたので、ドアを閉め切ると、余計に充満してくる。二人は爆弾からなるべく離れた部屋の隅でみを縮めた。ユキ子は右手で鼻をつまみ、左手で片方の耳を塞ぎ、目をつぶるという八方塞がりになっていた。
「後何分?」
鼻声で頭悪そうに聞いてくる。
「運んだと時は、三分切っていたから、もうすぐだよ」
義高は耳に両手を使った。短い時間であっても、数倍のように感じられる時間だった。
「なんでもいいから、大声で歌って」
「はぁい?」
「お願いだから!」
爆発音を紛らわす為だと理解した義高は、思いついた歌を歌い始めた。
「限りない思いディは〜はるか遠く〜前に〜進むだけで〜精いっぱい〜BURN BURN BURN……」
歌声をかき消す爆発音がした。