23.大人の喧嘩
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ケンジの死から、ショックで倒れてしまったユキ子の様子を見にゆくと嘘をつき、亜紀と一緒に206号室の様子を見に行った。その間、毛利静子が毛利剛を呼んできてくれる手はずになっていた。軽いノックでも返事してきたユキ子は腫れぼったい瞼を擦っていた。
「ケンジはどう?」
「ちょっと前に、起きていたんだけど、痛みが治まって、又寝ちゃったの」
「もう、大丈夫そうなんだ」
「うん、本人が言ってから大丈夫だと思う」
「よかった……」
安堵した亜紀は、寝息を立てているケンジの前髪をまくり、額に手をあてた。
「熱もなさそうだし」
顔を覗いてみる。苦しんだであろう、青白い顔色を見ただけで、ケンジに頼ろうとしていた自分を恥じた。ケロりとして、不機嫌に置き上がってくる時を待つ、そう決めた義高は、部屋を出ようとした。
「ねえ、ちょっとお風呂入りたいんだけど、付き合ってくれる?」
亜紀の、申し訳なさそうな声が、自分に向けられたのでは? 思わず背筋を伸ばし、慌ててふり返った。
「いいよ! 昨日から入ってなかったし」
そう言うと、首筋に鼻を持ってきて、お互いの匂いを嗅ぎ合っていた。大丈夫だと確認し、喜んではいたものの、義高の心中は複雑だった。
「でもさ、大浴場はやばいよ」
何のこと? と聞いてきたユキ子に対し、後で説明すると言い返した。
「知っているから」
遺体と裸の付き合いをする悪趣味はないんだからと言わんばかりの表情だった。二人は部屋に備え付けの風呂を使う予定だった。二人での風呂は珍しい話ではないらしく、酔っ払って帰ると、美辞麗句探偵事務所でも背中を流し合いしているらしい。確かに、バスタブは三人分の面積はある。破廉恥な想像を膨らます間もなく、
「ってことなんでさ、留守番よろしくね」
「ここで?」
「当たり前でしょ」
ユキ子はどうしても心配のようだったが、賛同は出来ない理由があった。
「この屋敷にいる皆には、ケンジさんは死んでいると伝えてある」
「どういうことよ!」
本気で怒っていたので、
「ケンジさんの計画なんだから、聞いてなかったの?」
「そうだっけ?」
ユキ子は下唇を伸ばしていた。
「忘れているなら、お風呂場で亜紀に聞いてくれよ。まだ聞き込みしてみたいんだ」
義高は腕を組んだまま、階段を下りた。オブジェである鎧、剣と斧に目を凝らした。刃の部分は安全対策なのか、丸みを帯びている。かなりの力を込めないと、肉圧ステーキさえもさばけない。どう考えても毛利薫の顔面を切断できるように見えなかった。さらに、鎧の中を覗き込み、空洞となっている中身が埃まみれになっている。とすると、別の凶器と、毛利薫の遺体置き場、もしくは他の人を殺害した道具が揃っている部屋があるに違いない、そう思った義高は、まだ入室していない部屋及び格納しえる場所を頭の中でピックアップした。
調理場の冷蔵庫、
各部屋の収納、及び風呂場。
そこまで考えてから、唸った。自分が居ない間の行動だとすると、遺体についてはどの部屋にあっても可笑しくないのである。義高は食堂へ戻った。
そこには毛利剛の姿はなかった。
「元也さんの容体があまりよくないんです。サラ子さんが付き添っていますので、大丈夫かと思いますけど……」
どうみても、一番不安そうなのは言った本人だったが、それについて言語化するものはいかなった。
「申し訳ありませんが、又、いろいろと聞かせてもらいたいのですが?」
「ええ、私達の命にかかわってきますので、なるべく協力します」
今度は、この若者で本当に探偵が務まるのか? という不安が表情に出ていた。
「まずは、この屋敷にある道具を知りたいんですけど。爆薬や、切断しえる程の武器は所有していませんか?」
「それら危険物は心あたりがありません。私達にとっても、必要のないものですし、殺人に使う道具なんて……」
演技染みていて、ああ、どうしてこうなるの? とミュージカル演者のごとくだった。距離を置いて座っている総堂院栄太郎からの視線があまりにも冷めていた。義高と目が合うと、真っ先に視線は別方向へ移動した。
「無理な要求かもしれませんが、あまり気に病まずに答えてください」
それを聞いた毛利静子は、自分の精神世界から帰ってきた。このペースでは、亜紀とユキ子が戻ってくるまでの間に、倒れる犠牲者が増えるのでは、と懸念した義高のささやかな気遣いだった。毛利静子は、グラスに注がれた透明な液体で喉をうるおし、はいと返事をした。
「遠隔操作をする装置、にも心あたりはありませんか?」
「心あたりがあれば、探偵さんが健在の時に申していましたよ」
「どこかから、温泉を引いているわけではありませんか?」
「お客を取っていた頃は、引いていました。元也さんが温泉好きだったので、幾分離れている源泉から持ってきていたのです。温泉の調査団体の方からも評判になるぐらいでした。疲労回復効果だけではなく、皮膚病や、肝臓にも効くと言われていましたし、それだけが目当てにしてくれているお客さんもいたぐらいです。私達の商売欲が減少していくと同時に枯渇していったんです」
「では、今は普通の家庭と同じ原理でお湯を得ている、で良いですね?」
「恥ずかしながら。ですが、私達だけで住む分には困りませんので」
そうでしょうね、と頷いた。
「これまでに、大浴場が故障した経験はありますか?」
「それも、さっき言いました。経験があれば、改善しますし、原因も特定しやすいはずです。今だにまったくわからなかったので、そのような経験はありません」
少なからず、苛立ちを表現し始めた毛利静子だったが、義高は心に鞭打つ勢いで続けた。
「死に追いやられた方たちは、特別に、恨まれていたなんてことはありませんか?」
しばらく考えてから言った。
「わかりませんが、あなた達を狙っている時点で無差別だと思います。そうは思いませんか?」
「……はい」
ひよっとすると、こうしている間にも、犯人を刺激しているのかもしれないと考えた義高は、どうしても聞いておきたいことを告白した。
「毛利剛さんを……恨んでいませんか?」
ケンジの推理では、毛利の苗字を持っている誰かが犯人だとしている。一般論として、殺人犯の男女比は圧倒的に男の方が多く、毛利剛が犯人候補で有力であることは言うまでもなかった。
「あいつしかいないだろ」
毛利静子の返事をさえぎるかのように、総堂院栄太郎は輪に食い込んできた。
「剛は、遺産相続で腹を立てているに違いない。長年介護してきた親父さんが、直接自分を指名しなかったのが原因だんだよ」
「……」
義高達は言葉を失っていた。
「言い返せないよな? 指名しなかったのは、ちゃんとした原因があるからだ。戦争経験がどうのとか、兄弟同士で争ってきめろとか、そんな無責任な父親がどこにいる? グローバルに考えて、世界でも類を見ない平和な国んなんだ。おまけに、名の知れた資産家である親父さんだ。常識があって当然、もうわかるよな?」
たっぷりと間を置いた。
「どうあれ、夫の悪口は言えないか」
怪物を見ているような眼差しに、総堂院栄太郎は鼻で笑った。
「私は……」
声が痙攣していた。
「やめませんか?」
「推理ごっこをか?」
「違います」
「否、こんな目に合っているんだ。せめて本音ぐらい語っても問題ないだろ」
何も言えない自分への戒めとして、知らず内に沈黙を選んでいた。しかし、女、若者が黙っていたところで、銀髪の社長は止まらなかった。
「指名できない要因が、剛にあったからだよ。どうしても、彼だけは好きになれなかった。大方そんなところだろう。何十年と働かずに、のうのうと生きてきた男だ。私には知られていない欠陥があるはずだ。ってな理由で総堂院幸子に遺産を相続させるよう、遺書を書いていた場合、結果は目に見えている。そう、総堂院幸子を殺害するに決まっている」
毛利静子の反応を見る限り、当たらずとも遠からずと考えるのが普通だった。
「あるいは、血の気が多い親父さんのDNAを受け継いでいるのも、生き残っているメンバーとしては毛利剛のみだ。しか
しだな、あんたも協力している可能性は十二分にある」
「なんてことを言うんですか」
矛先が自分に向けられた途端、まるで元気を取り戻したかのように、声には力があった。
「私は協力もしていませんし、夫が犯人であるとも考えていません」
「いまさら」
本気で引いている総堂院栄太郎は、いろんな人生の選択を諦めたかのように、椅子で脱力した。
「あなたこそ、遺産には直接関係ないと思わせて置いて、実は犯人なのではありませんか?」
「馬鹿をいうな!」
「あなたこそ、さっきから根も葉もないようなことばかり言っているではありませんか?」
「正論だろうが!」
二人の中間に居た義高は、咳ばらいをし、
「喧嘩は止めてください」
なんとか収まった。二人は気になっている相手と初めて手が触れて恥ずかしがっている中学生のように気まずがっていた。
「今は全員で協力しましょう。生きて帰るためにも」
その言葉の持つ力は強かった。
毛利剛はサラ子を連れて来た。微笑している様は、この少ない時間で元気を取り戻しているように映った。
「残された皆さんは集まっているようだね」
手をパチンと叩いた。総堂院栄太郎の右眉は、不自然なほど上下し、毛利静子は只今お飲物をお持ちしますと言って、慌てて食堂へと消えて行った。