20.疑心
立ち話をしていた三人には見向きもせず、片手にはノートPCを持っていた。遠めからでも、同じボタンを繰り返し押している姿が見てとれる。明らかに、八当たりをしていた。飲食店経営のサービス業であれば、他人には決して見せてはいけない顔だった。
駆け寄り、亜紀もそれに続いた。その時、初めて靴の中で踊っている雨水に不快感を覚えていた。
「今まで、どこに居たんですか?」
オールバックの整った髪の毛は乱れていた。大きなゲップを発し、腹のあたりを空いてる方の手で摩り、深呼吸した。
「ん?」
息にはアルコールの匂いが混じっていた。足取りはしっかりしているものの、黒目が座っていた。
「異常事態なんですよ。勝手な行動は慎んでもらわないと」
思わず言ってしまった傍から後悔していた。いくら酔っ払いとはいえ(時として、酔いが自尊心を増幅する可能性もあり)相手は自尊心の塊で出来た社長である。総堂院栄太郎はノートPCから目を離し、雨水が滴っている衣服を見つめてきた。
「では、その有様はどう説明するのかい?」
抑えた口調だった。百メートル走を目前に控え、静かにウォームアップをしているかのように。
「これは、事件の捜査をしていまして、外に出たんですよ」
「君自身も自覚しているはずだよ。勝手な行動をね」
「違うんです」
退屈そうに聞いた総堂院栄太郎は、あごを横にシフトさせ、首の骨を鳴らした。
「立派じゃないか。私は事件の捜査が最優先であると認識しているんだ。君もそう思うから協力したのだろ?」
そう言いながら、亜紀の方を向いた。
「そうですね」
亜紀は決まり悪そうだった。巻き込んでしまったと思った義高は、心の中で謝罪をしていた。
ノートPCをたたみ、脇に鋏むと、
「異常事態なんて、言われなくてもわかっているんだよ。甘く見ないでくれ。私もね、パソコンでネットワークが生きているのか確かめようとしたんだ。結果、全然だめだったがね。役に立ちたいし、このまま殺人犯に殺されるのはごめんだからな」
そこまで一気にまくし立て、謝ろうとした時、
「とやかく指示される筋合いはないんだよ」
完全に心が折れていた。二人して下げたくもない頭を下げている。月並みな言葉ではなかなか納得して貰えなかった。サラ子は手を広げ、宥める言葉を考えているようだった。
「もういいから」
根負けしたのは総堂院栄太郎の方だった。ここで関係を崩したら、事件解決の道のりが遠のくことを承知だった。別の選択として、ケンジのように言い合いで打ち負かす方法も知っていたのだが、二人では太刀打ちできないことも心得ていた。
「ちょっと、奇妙な話なんですけど」
はっきりしなさい、と活を入れて来た総堂院栄太郎へ、たどたどしく説明した。
「遺体を移動させるか。なんて奴なんだ」
怒りが沈静したかと思えば、再び浮上である。血色からすると、顔を巡る血液の量は義高が失言した時よりも多かった。
「私の想像を超えるな。非情過ぎる!」
持っているノートPCがミシミシと音を立てた。さらにそれを床に置き、角の部分をつま先で突いていた。
「僕も見たときは腰が抜けました。見られたくない何か、が毛利薫さんの体にあったとしか考えられません」
総堂院栄太郎は腕を組んだ。
「くそ。恐怖させて、冷静な判断を出来ないようにさせるのが目的かもしれないしな」
「ええ。なのでこれからは別々の行動をとらず、協力したほうが」
消え入るような声で懇願していた。膝を床につけ、土下座の体制まで取る準備をしていた。
「止めさない。みっともないぞ」
「でも……」
「わかった。協力しよう」
「……ありがとうございます」
羞恥心で総堂院栄太郎を直視できないでいた。しかし、ここで慣れ合ってはいけない、義高はそう思った。ちょっとした疑問についても、細心の注意を払う必要があった。アイコンタクトの末、亜紀が調べを買って出た。
「いなかった間のアリバイはある。私はやっていない。それだけだ」
「待ってください。私達は先程、食堂から退室した総堂院さんを探しに行きました。その時、部屋にはいなかったのを確認しています」
総堂院栄太郎の表情に変化はなかった。ポーカーフェイスが保てるような人だとは考えづらいが、風呂場で嘘を見破ったこともあり、終始疑ってかかろうと思っていた。
「簡単だよ。私は電波を探して二階から三階へを進んだ。知っての通り、部屋を何周したところで、状況は変わらないからね。むろん、どこへ行ってもネットワークは機能しなかった。恐らく、この雨のなか、外で探しまわっても結果は変わらないだろうしな。いったい、この屋敷周辺はどうなっているんだ。同じ家族ながら、犯人の都合通りに造られたとしたか思えないな」
「理由は本当にそれだけでしょうか?」
高圧的になんてことを聞くんだ、と義高は思った。しかし、意外にも表情は柔らかになった。
「それだけではないね……」
白髪のおじさんから空気が漏れ、しぼんでゆくのではないか、と心配になりそうなぐらい衰弱した声だった。部下からの指示もあり、社長として慕われているのだとしれば、このわかりやすさだろうと勝手な想像をしていた。
「昔から、本当に兄弟なのかと思われるぐらい、絆がなかった。同じ屋根の下で暮らしていた時期も喧嘩が絶えず、大学は意図的に家族から離れるような場所を選らんだ」
それを聞いた亜紀は微笑んだ。普段はあまり見せることがない、母性を感じさせる微笑みだった。
「気が合わない兄弟なんて、沢山いると思いますよ」
「いるだろうな」
「じゃあ、気にする程でもないんじゃないですか?」
亜紀は家族と仲が良い話を聞いたことがあるので、ちっとも説得力がないなと思っていた。それを見透かしたかのように、総堂院栄太郎は鼻で笑った。
「君みたいな女の子に慰められるとはね」
「すいません」
慌てて違う違うと言いながら手を振った。
「むしろ、悪い気はしないよ」
「良かった、です」
「だた、我々にはもっと深い溝がある。世間にいう常識的な気が合わない兄弟の域はかるく通り越している」
「通り越している?」
無言で見つめてきた。それは、義高達のような若者では知り得ない話を無言で語っているかのようだった。委縮した義高から目を離すと、天をあおいだ。
「ここにくる前から勘付いてはいたんだよ。争いが起こることは。なのに、実際は殺人まで怒ってしまった……そこまでは読めなかった」
知っていたのならなぜ来た?
妻よりも遺産が大事だからではないのか?
総堂院栄太郎の安定しなくなった身体をサラ子が支えていた。サラ子の肩に腕を回し、続けた。
「思えば、幸子にも苦労させてばかりだった。仕事ばかりで家庭を顧みず、あまり幸せを与え
てやれなかった。本当に申し訳ないと思っている」
誰に語りかけるわけでもなく、語尾がぶれ、涙ぐんでいた。目を凝らせば、両手が小刻みに震えている姿である。途方もない後悔、義高は他人事だった。
アルコールは、総堂院栄太郎を感情的にさせていた。
本当は殺し合いになることも予想が付いたのではないか?
殺し合いを高みの見物しにきたのではないのか?
同情している場合ではなく、残酷なまでに冷静となっていた義高は、開きやすくなった心に問いかけた。こういう時であれば読心できる可能性も高くなるのではないか、そう考えたからだ。しかし、心での問いかけは無へと消化されていくばかりだった。
「無くなった妻を思い、直哉が遺体を運んだと考えるのが自然ではないか」
突拍子もない発言だった。
「否、それは、でも待てよ」
眉間に皺を寄せた総堂院栄太郎を尻目に、首を傾げた。
毛利直哉が候補になるとする。正直サラ子も食堂でじっとしていたようには見えない。結局自分たち以外、全員のアリバイがない。振り出しとなった捜査を思い、唇が開きになっていた。
「兎も角としてだ。君たちの言うとおり、皆一緒にいた方が最善だろう」
否定するものはいなかった。階段前に集まっていたメンバーは食堂で落ち着こうとした。
先頭で入口のドアを開けたまま、総堂院栄太郎の足が止まった。慎重に部屋を見渡し、最後に振りかえった。
「説得が必要なのは、私だけじゃなさそうだけどね」
「どういうことですか?」
食堂には、誰の姿もなかった。毛利直哉が、妻の死を受け入れられず、遺体を搬送する。という推理も視野に入れる必要も出てきた。
「私よりも手ごわいだろうな」
呑気なことを言っている場合じゃないんだ! と叫びたい衝動に駆られていた義高はレスラー体系の毛利直哉を思い出した。それと同時に、ケンジから事件捜査を一任されていることも。
「お願いだから、総堂院栄太郎さん、サラ子さん、亜紀は食堂で待っていてください。絶対に出てはだめですよ! 絶対!」
「ちょっと、義高くん?」
あまりの豹変ぶりに、総堂院栄太郎さえ動じていた。
義高は関係なく階段を駆け上がった。つんのめりそうになり、二階へ辿りつく。205号室の毛利直哉の部屋には誰もいなかった。何かしらの情報を持っていないかを期待して入った206号室には深い眠りについたケンジと、ベットに手を付いて寝たユキ子がいた。長年連れ添った恋人通しに見えた二人を起こさないようにドアを閉めた。
201号室、202号室、203号室、念のため、自室の207号室、203号室、204、208号室。電気をつけたまま、お構いなく次へ。階段を降りる時、手すりにぶつかりながら、一階のプレールーム、客間、毛利直哉は……いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、誰も存在しない。
義高は半日以上も前に食したものを吐き出しそうになっていた。肩で息をし、脱衣所に入る。二十四時間沸かしている風呂からの湯気が立ち込めていた。
大浴場のスライド式ドアを開けた。外への窓も閉め切っていたのか、大浴場は前が見えない程曇っていた。尋常ではない熱気である。
「あつっ」
風呂というよりは、サウナに近い状態となっていた。電話線の故障とボイラーの故障がなんらかの形で繋がっているのではないかと思いつつ、しばらくそのままとし、湯気が晴れて行くのをまっていた。




