2.美辞麗句探偵事務所再生計画
これまでのアルバイトをした経験から、美辞麗句探偵事務所へ出向く依頼者は、口コミや知り合いの警察、不定期に更新されるホームページを便りに来ていることがわかった。いくらケンジが優秀な探偵とは言え、ここ最近は仕事がなく、ケンジはというとそれらを気にする様子もなく、亜紀も相変わらず留守になることが多く、探偵事務所の空気全体が停滞していた。人だけが実績にかまけて宙に浮いていても、土台がしっかりしていなければ才能は役に立たない。
先程、菅野と大学で昼食を取っていた時、真剣な顔をした彼はこう言った。
「あの探偵事務所やばいぜ。たぶん俺らに給料払えないだけでなく、借金もあるみたいじゃないか」
「ケンジさんが二十歳で買い取った場所で、後五年はローンがあるらしいね」
「俺は違うバイトを探すよ。生活厳しくてさ」
本代をケチるなら、食事を抜くような男である。夏休みの間にも、幾分痩せていた。
「よくわかる」
「それよか、義高は給料なくてよくアパート借りれるな。親の仕送りか?」
「まあね」
脛を齧って生活していることは十分承知していた。その中には離婚した父親の慰謝料が含まれていて、学費は奨学金で社会人になってから随時返却していく予定となっていた。
菅野は痺れを切らして給料なし探偵から離脱した。ケンジは、とぼけた声でお前雇ってたっけと言っていたらしいが、本当の辞める理由は、ミステリー小説と現状との差に愕然としていた。
どこぞの探偵事務所は、駅周辺に広告を出している。探偵の顔まで出していたりする。世間が不況であることは、ニュースでも大学でも言われていることで知っていたし、経営方針事態を改善する必要があると考えた。いくつもの思い出を作ってくれた探偵事務所を閉鎖されるのがなによりも怖かった。お金が何よりも大事であることは、考えざる負えない。捜査に役立つ存在になるには時間がかかるが、依頼人を連れてくることはできる。今考えている計画をまとめてケンジに提案することを決起した。
帰り道に寄った美辞麗句探偵事務所には誰もいなかった。急な仕事の依頼が入り、ケンジが現場へ直行しているのではという解釈をし、義高はソファに座り、煙草に火を付けた。静かな事務所にじっとしていると、思い出ばかりが蘇ってくる。既に義高は大学よりも思いれ深い場所を見つけてしまっていた。
棚にあったBOφWYのCASE OB BOφWYのライブ映像をDVDで観ていた。イントロダクションからイメージダウンという曲へと移行していった。不動のベーシストに、生声でカウントをするドラマーに、ナイフのようなカッティングをするギターリストに、顔の華やかさに負けない位の声を持っているボーカリストに魅了されていた。無心で見入っていた。作曲していた人物はどのような感性で、作詞した人物はどのような経験をし、それ以外の人物はどのように曲をクリエートした人をサポートしようとしているのか。妄想が際限なく湧き出てくる。映像を見ていると、その中の一人として感情移入をしている自分に酔いしれた。時間を忘れていた。
「いつまでサボっているつもりだ」
現実に立ち戻るきっかけとなった。振り返れば、ケンジの顔が見えた。亜紀と一緒である。金髪の整った顔はいつでも義高に自信を喪失させるオーラがあった。
「いや、今来たばかりですよ」
「嘘を付くな。BOφWYのライブは六曲目になっているし、リモコンは俺の部屋にしまっているから使いようがない。DVDプレーヤの再生ボタン以外は故障中。となると、再生してから二十分以上は経っている計算になる」
「た、確かにそうですね……」
とっさの嘘が呆気なくばれてしまった。自分はこの人と議論する気はないと判断し、冷静になった。
「まあ、委縮するな。俺の中で憧れの音楽を奏でてくれるバンドだ。数多く存在するバントの中でも、他と比べようがない」
ケンジは神を崇高する態度だった。熱を帯びて語った。義高はそのようなケンジを見たためしがなかった。自分を同士として受け入れてくれる感じだった。そこには社交辞令も愛想笑いも存在しない。純粋に、初めて分かり合えた同士が巡り合う瞬間を体験したようだった。
「誰にも代えがたいバンドだから」
ケンジがどのような音楽を聞いて過ごしたかを少しわかったような気がしていた。純粋な子供のようだった。感情をそこまで素直に表現した瞬間を亜紀も見たことはないという。
義高は美辞麗句探偵事務所再生計画をケンジに話をした。後になって魅了されていたバンドを考える余裕はなかった。まずはポスター作りで宣伝を行う。次にホームページで先日の事件解決をやり遂げたケンジのエピソードを載せる。その他、既存のホームページを見て、改善策を練る。最も効果のありそうなケンジの顔写真公開は、彼の性格上、無理であることは承知の上であったから、提案しなかった。仕事が増えれば新しいDVDプレーヤぐらいは容易に買えるし、何といっても、初めて義高が訪れた時の印象である入りずらい雰囲気を変えることだってできる。
ケンジは話を聞き終わると、大きなため息を付いた。
「ついに俺の事務所に対して口出しするようになったか。いつの間にか偉くなったものだ」
「……そういうことではなく真剣な話です」
ケンジのリアクションに、すがるような思いであった。
「わかったよ。但し、それらはすべて義高だけでやれ。俺には協力依頼をだすなよ」
満面の笑みで見つめられ硬直した。事務所に初めて来た時の面接に似たものを感じた。ケンジはそんな義高をよそに、寝室にいってしまった。怠惰だと言えないのは、ケンジを尊敬しているからだった。たばこを一本吸い終える時間でケンジは寝息を立てていた。