16.密室議論
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近所にある古書店で手に入れた探偵小説を部屋で読んでいても、貧乏ゆすりが延々と続いていた。面白くなかったわけではなく、かといって犯人がまったくわからなかったわけでもない。菅野清は後悔していた。自分も毛利家に行くべきだったと。
本をバチンと閉じて、義高に電話したのは五度目だった。すべて圏外あるいは電源が入っていないアナウンスである。彼は電話をあまりしない方だし、電池がなくなって使えなくなる状況を作り出すタイプではないから、屋敷全体が圏外だと考えるべきだった。
それにしても、気になり、やがて胸騒ぎまでしてきていた。
「まさか、俺の言っていた話が本当になっていたりしないよな……」
呟いてもどうしようもなかった。美辞麗句探偵事務所からこっそり拝借したケンジの番号も、亜紀の番号も、揃って通じない。
ふと、江崎教授を思い出した。義高から最近、何かと相談に乗ってもらっている間柄だと聞いていたからだった。大学へと足を運んだ。金曜日の午後八時過ぎとなると、居るかどうかは賭けだった。
幸い、ゼミの学生相手をしている江崎教授は部屋に居た。レポートを読んだ批評をしている様子だった。
待っている間、自分が何をすべきか考えた。これからでも遅くないから、毛利家に行くのか、それとも、美辞麗句探偵事務所に行ってみるか。組んだ腕を解放し、煙草に火を付けた。江崎教授は人気があり、他生徒も菅野が並んでいないことを確認しながら部屋に入っていく。ゆっくりと煙を吐いて、再度連絡を入れた。
「お客様のお掛けになった電話番号は電波の届かないところ……」
女性のアナウンスをすべて聞く前に切った。
「京理達はいったい何をしているんだよ。ケンジさんはどうしたんだ」
自分でも大きな声で独り言をしているのに気が付いていなかった。
家を出る時、携帯の電波を改善する装置があることを調べていたが、あえて忠告する機会もなかった。
「待ったかな?」
部屋から顔を出した江崎教授は声を掛けてきた。
「すいません、ちょっと相談したかったもので」
問題ないよ、と言って椅子に座るよう施した。菅野はコーヒーか紅茶を勧められ、紅茶をチョイスした。
「相談というのは探偵アルバイト、の件かな?」
菅野は聞かれて半分だけ頷いた。
「なぜわかったのですか?」
「単なる予想だったんだけどね。こういうことでもない限り、相談してこないだろうなと思って。菅野君も、京理君と同じ理系だったからね」
「そうですね」
完全に見抜かれていたので赤面していた。良く二人で講義に参加している姿を目撃しているのだという。他の講義と違って真面目に聞いていたから、後ろめたい感覚はなかった。江崎教授はお湯を沸かしに行ったついでにドアの内鍵を閉めた。
「密室殺人について相談しに来ました」
それを聞いた江崎教授は唸った。コーヒー豆の匂いが漂ってきた。
「物騒な話になっているんだね」
二人は向かい合って座った。菅野は心理学の教授にどんな姿として映っているのかを意識していた。貧乏ゆすりだけはやらないようにしていた。
「実際に起こっているかは別としてなんですけど」
江崎教授は顎に手を当てて考えていた。
「その方面だと、菅野君の方がくわしいような話も聞いたんだけど、どうかな?」
「そこそこだと思います」
微笑みながら答えた。
「密室殺人の定義を述べよ」
唐突だった。膝に手を置いてから口を開いた。
「はい。内側から鍵が閉められるなどして人が自由に出入りすることが不可能な部屋を指しています。密室殺人の典型的な例としては、少なくとも人が通ることができない程度に内部から密閉された部屋での殺人、若しくは内部から施錠された部屋で他殺死体が発見されるという状況によって発覚するような殺人事件です」
「うん、そう言う意味ではこの部屋も『密室』状態にあるわけだ」
江崎教授は菅野の反応を待ってから続けた。
「ただより厳密な『密室』として人が通れない大きさの通路の不在をも示した上で謎を強調する流れがある一方で、拡張された『密室』としては、物理的に出入りすることは可能であっても、足跡の不在など状況的に出入りしていないと判断出来る場合やあるいは人間の視線や心理などによって人が出入りしていない密室状況であるとみなされる場合などがあるよね。また球場、列車、あるいは都市など部屋よりも広い空間を指す場合や、壁や鍵の代わりに崖や川など自然の造形によって隔絶されたより大きな空間を密室とみなすこともある。他方、被害者ではなく明らかに犯人だと目される容疑者や凶器など、殺人事件を構成する重要な人や物が『密室』にあることによって、不可能性が類似した状況を作り出すこともある。とすると、今回の相談はどれになりそうなのかな?」
「僕は捜査しているわけではありませんので、どのようなトリックで密室を作りだしたのかを検証するのではありません。それこそ、エドガー・アラン・ポーやジョン・ディクスン・カー、新本格と言われている日本人作家の本を読んでいた方が勉強になりますから」
「じゃあ、どうして?」
「まずは動機の検証をして置きたいと思いまして」
全部納得していない江崎教授だったが、あえて菅野の誘いに乗った。密室を作り出す必要性を黒板に書き始めた。
一.自殺の偽装
二.立件を不可能にする
三.事件発覚、または嫌疑をかけられるまでの時間をかせぐ
四.自己顕示欲の発露、探偵への挑戦
「すぐに思いつくのは、こんなものかな?」
「ええ、充分かと思いますね」
菅野は議論を深めるため、毛利家の持っている情報を説明した。考えたくはないという注釈入りで、遺産相続の争いがあるのではないか、も告白した。
「わかった。あくまで争いが起こっている場合を想定してみよう」
「はい」
空きスペースの黒板に、屋敷を長方形で書き、その中にいある人間をマグネットと見立て、設置した。
「参加しているメンバーを見る限り、一から四の動機に付け加えて、遺産相続の争いということで、屋敷から逃亡できないよう地域全体を密室にする可能性も考えていく必要もありそうだね」
「地域全体を密室というと、連絡手段や、交通手段を断つといった認識でよろしいですね?」
長方形の下に道路、電話という文字を丸で囲み、上から×印を書き足す。
「そうだね。現代において、その二つを同時に成立させるのは相当な計画を練っている必要があるからね。もちろん
費用もかかるだろうし、お遊びでは到底出来るものではない」
まず、市街地からかなり距離のある場所で、ケンジの車で行くと言っていたから、他の人も車だろうと推定する。江崎教授は、密室となるケースを黒板に書いた。
連絡手段の遮断
電話→電話線を切る か 電話自体の破壊
携帯電話→電波がない か 電池切れ か 電話自体の破壊
交通手段の遮断
自家用車→事故 か 道路の閉鎖 か 運転免許習得者の死亡
その他車両→道路の閉鎖、所有地の無断立ち入り禁止
道路→経路の閉鎖 橋や通行止め標識の設置等
「毛利家の人達であれば、すべて経済的には問題ないでしょう。遺産の額も相当らしいですし」
「こればかりは確かめてみないと分からないからね。次を考えてみようか」
そう言った江崎教授は、整理された棚からキングファイルを取り出し、ページをめくり終えると、今書いた項目を消し、ディクスン・カーの密室講義と書いた。
■秘密の通路や、それを変型させた原理の類は除外する。
■密室内に殺人犯はいなかった。
1、偶発的な出来事が重なり、殺人のようになってしまった。
2、外部からの何らかにより被害者が死ぬように追い込む。
3、密室に隠された何らかの仕掛けによるもの。
4、殺人に見せかけた自殺。
5、既に殺害した人物が生きているように見せかける。
6、室外からの犯行を、室内での犯行に見せかけている。
7、未だ生きている人物を死んだように見せかけ、のちに殺害する。
■ドアの鍵が内側から閉じられているように見せかける
1、鍵を鍵穴に差し込んだまま細工をする。
2、蝶番を外す。
3、差し金に細工する。
4、仕掛けにより、カンヌキや掛け金を落とす。
5、隠し持った鍵を、扉を開けるためガラスなどを割った時に手に入れた振りをする。
6、外から鍵を掛け、中に戻す。
「これは、トリックですよね?」
「その通りだよ」
「あの……」
菅野の歯切れは悪かった。
「トリックはいらない。そう言いたいようだね?」
「ええ、先程も言いました通り、俺が調査しているわけではありませんので」
「でも不思議なもんだね。私を待っている間、京理君の心配していたようだ。さっきから何度も携帯電話のチェックをしている。気になっているんじゃないかね?」
体全体が感電したように動いた。
「役に立たないに越したことはない。が、もし捜査に行くのであれば、最低限覚えておくといいよ。君の強みは推理だ。例え密室殺人が起こっているのであれば、現場にいる人間は冷静な判断さえもできなくなっている場合もある」
「わかりました」
「後、忘れちゃいけないのが、警察への連絡だ。本来、君達の仕事ではないからね。単独で捜査するには危険すぎる。僅かでも不穏と感じたのならば、躊躇わずに連絡だよ」
「ありがとうございます」
紅茶を飲みほし、立ちあがった。
「わだかまりが解けました。俺も参加してきますので」
「そうか。でも気を付けるんだよ」
部屋を後にし、その足で美辞麗句探偵事務所へと向かった。着いた時は二十二時過ぎである。車を持っていない自分を呪った。こっそり作っていた合い鍵で事務所内に入る。毛利家屋敷までの交通手段は電車とタクシーしかなかった。時間的にはもう遅い。さらに財布の中身と時間を呪った。
煙草の吸い過ぎでいがらっぽくなった喉から痰を切り、始発電車を待った。
最寄駅が毛利家屋敷から恐ろしく離れていることに愕然としていた。呼んでもらったタクシーにも三十分待たされた。時間の流れが違うんだと言い聞かせ、ドライバーには八当たりするのを止めた。
「お客さん、これ以上進めませんよ」
弱音を吐いていたタクシードライバー、名札には馬場と書いてあった男は、吊り橋を指差した。車がすれ違うには幅が小さい橋は、殆どが破損していた。また、下方に見える川は雨によって水量が溢れんばかりとなっていた。