従姉妹のすみれちゃんは自転車に乗れないらしい
正月。父方の親兄弟の仲が良いこともあって、毎年この時期になると私たち家族は東京の地を離れて広島にある伯父の家に遊びに行く。一月の二日から四日まで二泊三日で赴くため、旅行の感覚に近い。
さて、今年もご厄介になっているわけだが、ちょっとした問題が起きていた。晩餐の席、親族が一同に会してもスペースに余裕がある大広間にて、従姉妹のすみれちゃんが頬を膨らませている。
「なんなんよ、皆してウチのことバカにして……」
今年で十歳を迎えたすみれちゃんはツヤツヤな黒髪が特徴的な女の子だ。背は低く、頬にはほんのりと朱みが差し、ふっくらとした唇はリップを塗っていないのに煌めいている。パッチリ二重に大きな涙袋を持つそのご尊顔は天使だ。見ているだけで幸せになれる顔というものがこの世には存在するらしい。
しかし現在、私の天使様はご機嫌ナナメなご様子である。
「どうしたの、すみれちゃん?」
「聞いてよ、お姉ちゃん。お父さんがウチのヒミツをペラペラしゃべって、笑いものにしよるんよ」
お姉ちゃん、とは私のことだ。方言が出ているところも可愛らしいすみれちゃんは、大人たちが集まってお酒を飲んでいる席をジッと睨みつけている。耳を澄ませると、確かに伯父さんたちの笑い話が聞こえてきた。
「ウチのは十歳にもなってまだ自転車乗れんけえの」
「そりゃあ、お兄の教え方が悪いんじゃろう」
「いやあ、ありゃあ、オレに似てどんくさいだけじゃけえ」
わっはっは、と笑い声が届く。どうやら今のが笑いどころだったらしい。
すみれちゃんに目を向けると、彼女は子リスのようにパンパンに頬を膨らませ、肩を怒らせていた。かわいい。
「自転車に乗れんこと言わんといてって言うとるのに……」
「災難だねえ……」
ゴクゴクとブドウ味の炭酸ジュースを呷ったすみれちゃんは威嚇する小動物よろしく「ガルルー」と唸るが、酔っぱらった大人たちの前では赤子同然らしく、酒の肴になるだけだった。
「あ、あのね! 自転車には乗れんけど、ウチ、これでも学校では『よくできる子』じゃけえね。お姉ちゃんは勘違いせんといてよ!」
「わかってますとも」
「それならいいけど……」
大人たちにからかわれることで自分の品格が落ちることを嫌ったのか、すみれちゃんは私に向き直って弁解を述べる。もちろん、すみれちゃんが賢い子であることは理解しているため、彼女の心配は杞憂である。
それからすみれちゃんは、私に愚痴という愚痴をこぼし始めた。それはお父さんへの不平であったり、お母さんへの不満であったりするのだが、あー、怒るすみれちゃんもかわいいなぁ……。
「そもそも、他人の出来んことを笑うのは人としていけんと思わん?」
「おおっ~」
すみれちゃんの口から会心の正論が飛び出した。しっかりしている。言われてますよ、大人の方々。
「誰にでも得意不得意はあるじゃろ。自分らだって、二重綾跳びとかできんくせに……うー、悔しい!」
すみれちゃんは尚も怒りがおさまらないらしく、眼前に並べられたおせち料理の中から慈姑だけを選別してバクバクと食べ始めた。確かすみれちゃんのお父さんの好物なんだっけ、それ。お父さんの好物を食い荒らそうとする細やかな意趣返しに「かわいいなぁ」以外の感想が出てこなくなった私は、人差し指をピンと一つ立ててすみれちゃんに告げる。
「お姉ちゃんが教えてあげよっか。自転車の乗り方」
◆
翌日。買い物に行ってくると嘘を吐いて、すみれちゃんと私は近くの公園まで抜け出していた。すみれちゃん曰く「ヒミツの特訓」というやつらしく、自転車に乗れるようになって両親をぎゃふんと言わせたいらしい。
私がすみれちゃん宅から持ち出したのは、シルバーフレームのシティサイクル────いわゆるママチャリというやつだった。すみれちゃんが乗るには少々サイズが大きいかもしれないが、置いてある自転車がこれしか無かったのだ。サドルは限界まで低くしているため、足は届くと思うのだが。
「よし、乗ってみようか」
「ちょ、ちょっと待ってお姉ちゃん!」
さっそく練習を始めようとすると、すみれちゃんはブンブンと頭を振って乗車を拒否した。
「心の準備ができてない?」
「うん……やっぱ、ちょっとだけ怖い。先にお姉ちゃんが乗ってお手本見せてくれん?」
「お手本かぁ────」
いきなり乗れと言っても難しい話か。私はサドルに腰を下ろし、ペダルに足をかける。ここまで来て気がついたが、私もしばらく自転車に乗っていなかった。今年で高校二年生になる私は中学生の時から電車通学で、移動手段は専ら公共交通機関だ。最後に自転車に乗ったのは何年前だっただろうか。それこそ、今のすみれちゃんくらいの年齢だったような気がする。
さて、教える側の私が自転車を扱えないとなれば立つ瀬がないということで僅かに強ばる。すみれちゃんを一瞥すると、何故か彼女も緊張しているようだった。
────うん、まあ、なんとかなるかなぁ。
グッ、と体重を前にかけて勢いをつける。重たいペダルを踏み込むと、自転車が前進を始めた。勢いさえついてしまえば、あとは身体が覚えていた。人気のない公園をぐるりと一周まわり終えると、すみれちゃんは興奮したように拍手で出迎えてくれた。
「すごい! 魔法使いみたい!」
「ふふっ、どうもどうも」
すみれちゃんは自転車に乗れる人と箒で空を飛べる人を同列視しているらしい。
私の走行を見てやる気が出たらしいすみれちゃんは私と交代するように自転車に跨った。
「それじゃあ、最初はバランスを取る練習をしようか。すみれちゃんは足で地面を蹴りながら前に進んでみて」
「了解!」
元気よく返事をしたすみれちゃんはギュッとハンドルを握りしめた。かわいい。
いきまーす、と宣言したすみれちゃんは、ぽーん、ぽーんと一定のリズムで地面を蹴って、自転車を進める。最初はバランスが取れないのか右に左にぐらついていたが、十分も経つ頃にはそれなりに安定してきているようだった。すみれちゃんが公園内をぐるぐる回る間ヒマだった私はすみれちゃんの姿をカメラに収める。盗撮ではない。そう、これはあくまで資料用だ。すみれちゃんが可愛すぎるゆえに仕方のないことなのだ。
それからしばらくして、すみれちゃんは私の元へ戻ってきた。
「お姉ちゃん……いけるかもしれん!」
「おおっ、コツは掴めた?」
「うん!」
すみれちゃんは確かな手ごたえを感じているようだ。もともと運動は得意な子だし、やはり伯父さんの教え方が悪かっただけではないだろうか。
「次は漕ぐ練習をしてみようか。最初は後ろから押してあげるから、スピードが出てきたらペダルを踏み込んでみて。無理だと思ったらブレーキをかけてすぐに足を地面につけること。いい?」
「はい!」
それじゃあ、押すよーと声をかけて左手でハンドル、右手ですみれちゃんの背中を支える。ぐーっ、と力を込めると自転車が進み始めた。けっこう力がいる。下り坂があればもっと楽に練習できたのかな。
「おっ、わっ、やっ」
動き始めた自転車に奇声をあげるすみれちゃん。怖いのか、身体がガチガチに緊張している。
「すみれちゃん! 漕いで!」
「よ、よし!」
すみれちゃんがペダルを踏み込むと、グンッと自転車がスピードを上げる。もう支える手を放してもいいかな、と思っていた矢先、すみれちゃんからとんでもない要望が飛び出した。
「お、おお、お姉ちゃん! 手え放さんとって!」
「大丈夫! 一人で漕げるよ!」
「む、ムリムリ! 手え放したら嫌いになるけえねっ!」
「ええっ!? そんな理不尽な!?」
すみれちゃんに嫌われたくない思いが燃え上がって、私の手は彼女を支える覚悟を決めた。しかし、すみれちゃんは右、左とペダルを踏み続けるため自転車はグングン加速する。私の足では追い付かなくなっているし、なんなら私の支えなど無意味になっている。すみれちゃんは、ちゃんと一人で自転車を漕げているのだ。
ただ、すみれちゃんは速すぎる自転車に怯えているらしく、軽いパニックに陥っていた。
「お姉ちゃん! どうすりゃあええん!?」
「ぶ、ブレーキ! ブレーキかけてすみれちゃん!」
「ブレーキってどれ!? これ!?」
チリン、チリーン♪
「ベル! それベルっ!」
「お姉ちゃん?! 手え放さんでって言うたのに!」
「無理っ、自転車に追いつけない! ストップ、ストーップ!」
「お姉ちゃああああああん!!」
「すみれちゃあああああん!?」
どんっ。
公園の植木に突っ込んだすみれちゃんは空を飛んだ。
◆
家に帰り着いた私たちは真っ先にお風呂場へと向かった。「買い物に行っただけで、なんでそんなに汗と泥に塗れてるの?」というお母さんの言葉を華麗にスルーして、二人そろって浴槽に身を沈める。私の太ももの上に可愛いおしりを乗せたすみれちゃんは、こちらに上体を預けていた。
「すみれちゃん、ケガしてない?」
「だいじょうぶ。受け身とったけえ」
「あれ凄かったね……」
吹き飛ばされたすみれちゃんは空中でくるっと体勢を整えて足から着地してみせたのだ。ネコのような身体捌きに唖然としていたのは記憶に新しい。ちなみに、自転車は前カゴが僅かに歪んでしまっていた。
「ウチ、自転車に乗れとったん?」
「うん。しっかり漕げてた。あとはスピードの調節と曲がり方さえ練習すれば完璧だよ」
「そっかぁ」
こちらを振り返って、にへら、と溶けたような笑みを浮かべるすみれちゃんは最高にかわいい。その体躯をぎゅっと抱きしめると、すみれちゃんはスリスリと身体を擦り付けてきた。
「ねえねえ、お姉ちゃんはいつまでこの家におるん?」
「明日のお昼までだよ。本当は帰りたくないんだけどね」
欲を言えば、いつまでもすみれちゃんと一緒にいたい。こんなにかわいい天使ちゃんから離れるなんて人生損してる。しかし、私は都会で生きるイマドキJKなのだ。強く生きていかなければならない。
私が溜息を吐くと、すみれちゃんも重たい息を吐いた。
「あーあ、お姉ちゃんが本当のお姉ちゃんだったら良かったのに」
「……すみれちゃん」
「そしたら、毎日いっしょにご飯食べたり、ゲームしたり、お風呂入ったりできるのに。いとこなんて、一年にちょっとしか会えんし、つまらん」
「なんてかわいいこと言ってくれるの。好き好き。ぎゅーっ」
「お姉ちゃん、くるしい」
迸る好意がすみれちゃんを締め付けていた。いけない、抑えないと。
「お姉ちゃんが本当のお姉ちゃんだったら、学校の友達にも自慢するし」
「自慢するの?」
「お姉ちゃん、背え高いし、美人じゃし、おっぱい大きいし」
「ど、どうも……」
「ウチもお姉ちゃんみたいにならんかなー」
「すみれちゃんは既に私よりかわいいよ。中学生になる頃には身長も伸びているだろうし」
「……おっぱいは?」
「うーん……どうかなぁ。努力次第?」
私のお母さんとすみれちゃんのお母さんを見比べると、少し望み薄なような気がします。今のうちからしっかり栄養を取っておきましょうね。
「なーんでウチとお姉ちゃんはいとこなんじゃろ。いいことなんて一つもないじゃん」
「でも、血のつながりがあるからこそ、こうして毎年お正月は一緒に居られるでしょ?」
「うー、そうじゃけど…………」
「……ああ、そういえば」
あまりにもすみれちゃんが「従姉妹」という関係に納得していないため、私は冗談めかして一つ、従姉妹のメリットを口にした。
「従姉妹はねぇ────結婚できるんだよ」
「────えっ!?」
「おおっ、どうしたのすみれちゃん?」
私が「結婚」というワードを出すと、すみれちゃんは想像以上の食いつきを見せた。
「ウチら結婚できるん? 家族じゃけえ、できんと思っとった……」
「できるんです。いとこ語りっていうらしいよ」
「えっ、じゃ、じゃあ……」
そわそわ。もじもじ。
すみれちゃんがクネクネと身体を動かし始めた。おーい?
私が訝しく思っていると、すみれちゃんは私の抱擁を突き破って唐突に立ち上がった。彼女の美麗なおしりを、つつーっと水滴が伝っていく。
「ね、ねえ、お姉ちゃん。ウチがもし自転車に乗れたら、お願い聞いてくれん?」
「お願い? うん、いいけど……なんで急にその話?」
「べ、別にいいじゃろ。よし! お姉ちゃん、今から練習しよ!」
「えっ、お風呂入っちゃったよ?」
「いいの! 時間もないし、早う乗れるようになりたいし!」
「えーっ?」
なぜ従姉妹の結婚の話ですみれちゃんがやる気を出したのか分からないが、私も練習に付き合わされることになった。結局この日は日没まで自転車の練習に励み、疲れ切った私たちは仲良く同じ布団で熟睡したのだった。
◆
翌朝。私とすみれちゃん、そしてすみれちゃんの両親が公園に集まった。昨夜も大酒を飲んでいた伯父さんは頭が痛そうだ。
「どうしたんだ純恋。こんな朝っぱらから……」
「お父さんとお母さんに見てほしいものがあるの」
『安全第一』のステッカーが貼られたヘルメットを被ったすみれちゃんはキリっとした可愛いお顔を見せて、持ってきた自転車に跨った。
すみれちゃんの両親は顔を見合わせて目を丸くする。
「純恋ちゃんが自転車……?」
「俺はまだ酔っとるのか……?」
「酔っとらん! よう見といて!」
呆けた顔をする両親に、すみれちゃんは一喝。かわいい。
いきます、と小さく声を出したすみれちゃんは、ぐぐーっとペダルに力を入れる。ペダルを踏んでいない他方の足で勢いよく地面を蹴ると、自転車は前進を始めた。
────がんばれ、すみれちゃん!
右、左、右、左────漕ぐたびに、ぐんぐんとスピードを上げていく。バランスは崩れていない。両の手でしっかりハンドルを握って、視線は前方。体重を僅かに左右に振って、ハンドル操作だってお手の物。
だだっ広い公園の中を縦横無尽に駆け抜けていく。
「嘘じゃろ……」
「ウチらは夢でも見とるんですかねぇ……」
すみれちゃんの両親は目をしばたたかせている。その様子がおかしくて、私は忍び笑いを漏らした。
チリン、チリーン♪
アピールするようにベルを鳴らしたすみれちゃんはブレーキを握って、すいーっと私たちの目の前で自転車を停めた。
自転車から降りたすみれちゃんとハイタッチを交わす。
「どう、ウチも自転車乗れたけど」
「昨日、一日かけて練習したんです。そしたら、すぐに乗れるようになりましたよ」
「たった一日でか? そりゃあ、センセイの教え方が上手なんじゃろう……」
「それもあるかもしれませんが、それ以上にすみれちゃんが優秀な生徒だったので」
「もうウチのこと笑ったらゆるさんけえね!」
ビシッと指をさされた伯父さんは居心地悪そうに乾いた笑いをこぼすしかない。おばさんは「純恋ちゃん、すてきー!」と褒め称えていた。
「お父さん、ウチに言わんといけんことあるよね!」
「あぁ、その……ゴメンな?」
「違う。『お詫びに、お年玉はもう一回あげんといけんなぁ』じゃろ!」
「エエッ!?」
目を丸くした伯父さんは寒い季節なのに汗をかいていた。
すみれちゃんは強かだなぁ……そんなところも可愛いけど。
こうして、私たちの短い正月休みは終わりを告げた。すみれちゃんは自転車に乗れるようになったし、私のカメラロールは可愛い可愛いすみれちゃんの写真でいっぱいになったのでウィンウィンなのであった。
◆
「それじゃあ、またね。すみれちゃん」
「……うん」
その日の昼下がり。私たちは別れの挨拶を交わしていた。俯き気味のすみれちゃんを見ていると胸が痛くなってくる。この子を東京に持って帰りたいという欲望を精いっぱい抑えて、その小さな手を取る。
「夏休みに時間が取れたら遊びに来るから」
「……さびしい」
「うん、寂しいね……」
「春休みに自転車でお姉ちゃんの家に行くけえ……」
「それは流石に無理じゃないかな……」
広島と東京を自転車で往復するのはちょっと……。
私が微妙な笑顔を浮かべていると、すみれちゃんはハッと我に返った。
「そういえば、ごほうび! 忘れとった!」
「ご褒美?」
「うん、ウチが自転車に乗れたらって約束」
「そういえば……」
昨日、お風呂で話し合ったことだ。私は深く考えることなく了承を出してしまったわけだが、はてさてどうなることやら。お金関係のことはお姉ちゃんのお財布的に厳しいからやめてほしいな……。
「あのね、昨日からずっと考えとったんじゃけど────」
「うん」
「────ウチとケッコンしてほしい!」
「うん?」
うーん?
すみれちゃんは「ケッコン」と言ったのか。ケッコン、血痕、結婚。脳内で変換を試みるが、全てエラーを吐き出した。もしかして方言?
「すみれちゃん、ケッコンって何?」
「お姉ちゃんケッコン知らんの?」
「たぶん知ってるけど、もしかしたら私の思っているケッコンと違うかもしれない」
「えっ、そ、そうなん?」
お互いに困り顔を見合わせてオロオロとする。いいや、落ち着け年上。十七歳の女子高生が十歳の少女を不安にさせてどうする。
「そのケッコンの意味を教えてくれるかな、すみれちゃん?」
「え、ええと────」
愛らしいお口をもにょもにょさせたすみれちゃんは人差し指同士をツンツンさせながらケッコンについて語り始めた。
「お母さんから聞いた話じゃけえ間違っとるかもしれんけど……ケッコンっていうのは、自分が一番好きな人、ずっと一緒にいたいって思える人とするもんなんだって」
「ケッコン」は「結婚」だった!
私は叫び出しそうになるのを堪えて、言葉を呑み込む。
「ウチとお姉ちゃんが結婚したら、ずっと一緒に遊べるし、一緒に暮らせるし……」
「はあぁ、かわいい」
要するに、すみれちゃんは私と一緒にいたいから「結婚」したいらしい。すみれちゃんがピュアすぎてかわいい。結婚はそんなに単純なものではないぞ、と訂正してあげるのが年上の責務なのだろうが、すみれちゃんが余りにも天使すぎるので、私は彼女の両手を取って優しく微笑んだ。
「それじゃあ、お姉ちゃんと結婚しようか。すみれちゃん」
「い、いいの?」
「いいよ。私もすみれちゃんのこと大好きだし」
「えっ、えへへ、そっかぁ」
あー、私は悪い大人だ。こんなに可愛い女の子をだまくらかしているのだから。しかし、これも役得というもの。今のうちにすみれちゃんの可愛い成分を吸収しておこう。
「それじゃあ、やくそく。ウチとお姉ちゃんはコンヤクシャ? じゃけえね」
「うんうん。約束ね」
私とすみれちゃんは小指を結ぶ。小っちゃいお手々もかわいいもので。
「指きりげんまんウソついたら……」
「嘘ついたら?」
「……自転車でド突く」
「そ、それは痛そうだからやめてほしいな……」
指きった。
「それじゃあ、そろそろ行かなくちゃ。またね、すみれちゃん!」
「うん! また遊びに来てね!」
バイバイと手を振ると、すみれちゃんは可愛らしく投げキッスで見送ってくれた。おませさんめ。かわいいなぁ。
また来年、いや、早ければ春休みに。その時までしばらくさようなら、私の可愛い天使ちゃん。
今年も良い一年になりそうだ、なんて思いながら東京への帰路につくのだった。
◆
「っていうこともあったよね~」
「何年前の話をしとる……してるのよ」
私とすみれちゃんが婚約してから早十年。私たちは本当に結婚していた。あの頃は冗談のつもりで受け取ったすみれちゃんのプロポーズであったが、いつの間にか本気で落とされていた。自分が一番驚いている。
親族同士で揉めたり駆け落ち事件があったりもしたわけだけど、最終的には皆納得してくれた(というより納得させた)から、私たちは不自由なく幸せを満喫している。
今も、アパートの一室で談笑していたところだ。
「毎年この時期を迎えると思い出すからさ。お年玉あげようか?」
「もう子ども扱いせんで……しないでよね。ウチ、これでも二十歳ですから」
二十歳。二十歳か。本当にすみれちゃんは綺麗に育ってくれた。あの頃から何一つ変わらない美麗な黒髪と大きな瞳。そして、私を惑わせる柔らかい唇。身長は私よりも頭半個分高いし、スタイルだって抜群だ。お胸は……まあ、ね。
「でも、やっぱり私にとってすみれちゃんは可愛い年下だから~」
「年下扱いは別にいいけど、子ども扱いをするなって言ってんの」
すみれちゃんは流し目で私を見遣った後、顔を背けてポツリと呟いた。
「ウチ、もうお姉ちゃんの妻だから。ウチらの関係は対等なの」
「なんて可愛いことを言うの私の妻は」
愛しさが爆発してギュッと抱き着くと、すみれちゃんはポンポンと私の頭を撫でてきた。
「ほら、離れて。買い物に行けないでしょ」
「ああ、うん、ごめん」
諫められた私は大人しくすみれちゃんから離れる。中学生の時なんかは喜んで抱きしめ返してくれたのに、今ではすっかり大人な対応だ。まあ、顔が真っ赤になるところは変わっていないけれど。
「どこへ買い物に行くの」と尋ねると、すみれちゃんは少しニヤッとして、私の方を振り返った。
「近くのスーパーマーケットまでね」
「……ふふっ、そっか。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
玄関先で私が手を振ると、すみれちゃんも小さく手を振り返す。
その手には、自転車のキーが握られていた。