魔人誕生
黒猫のマグカップに冷めた焼酎
軋む体抱きしめる
ベッドの残り香探し
彼が去った事を確かめる儀式
未練たらたら
ああ一度でいいから思いきり抱き締められたい
強い男が好き
強いかどうか試した後で
汗だくで抱き合いたい
試合たい
逃げないで
逃げないで
逃げないで
僕はただの人間
魔王なんかじゃない
君の事殴ったのは 憎いからじゃない
ただ その優しさが
怖かったから
その優しさが嘘だったら
きっと
好きと言わないで
言葉を信じない
好きと言わないで
ただ
抱きしめて
そして……
木場は確信した。そして、魔王の前に飛び出した。
「黒猫……師匠! 俺があんたと戦わなかったのは、あんたが女だったから! そして……恥ずかしいが一度だけ言う! ハンドスピナーなんか実は、すげーどうでもいいんだ! ただ、舐められたくて通ってただけなんだよ、そのためにわざと玉を……師匠……裕子! さあ、男、いや、魔王に化けてないで、本当の姿を現してくれ! いきなり連絡断った事、怒って無いから!」
仁王立ちする木場を、オレンジの瞳が捉えた。その触手は猛り、木場の四肢に絡みつく。その感触に、目を閉じて色んな意味で耐える木場。そして、その様子を少し離れた場所で眺める、きの子と孝子。
「あーあー木場さん。昔の彼女には勝てないねえ。思い出は薄れても、体が覚えてるんだよ」
「孝子さん、そーいう問題じゃなくて。あのままじゃ死んじゃいますよ、木場さん。ほら、首絞められてるし」
「きの子さん、首絞めもいいもんだよ」
「孝子さん、レベル高すぎっしょ」
木場の顔は今や、酸欠の兆候を現していた。
「ねえ孝子さん、木場さん、毛生え薬を手放さないよね、死んじゃうかもしれないのに」
「そりゃー、モテたい一心だもんねえ。死んでも手放さないよ」
「元カノにもそのくらい素直だったら良かったのにねえ」
「若かったんだよ、今なら大丈夫じゃないかね。もうオヤジだしねえ、木場さん。余計なプライドは、とっくに無いはずだよたぶん」
「確かに、オヤジの坂、登ってるもんねえ、はっはっは!」
呑気に談笑するきの子たちの足元に、吸いかけの煙草が転がった。
「誰だよ、わかば投げたの」
きの子がボヤきながら、茶色い煙草を踏みつぶす。煙が止まり、飛び出た中身が風に散らされた、その瞬間。
神谷ネコ丸が、木場の首を絞める触手を鉤爪で切り裂き、立て続けに他の触手に爪を立てる。ひるんだ魔王は、木場の右手を手放した。そして……木場は、手にした注射器を、己の脳天に突き立て叫んだ。
「裕子ーーーーーーー!!! フサフサになったら、付き合ってください!!!!!!」
「告ったー! やるじゃん、木場さん!」
「きの子さん、初めての被験体だよ! ドキドキするねえ!」
木場の体は、徐々に輪郭を失い、そして霧散した。
「ねえ孝子さん、あれってホントに、毛生え薬?」
「……やっちまったかも」
「ええーー??!!!」
月が、雲間から現れた。十五夜の売れ残りの団子を、デーモンマートのゴミ集積所から持ち去ろうとする女を、咎めるものはいない。もはやそんな事は、もうどうでもいい。その場にいる人間が、絶望に打ちひしがれていた、その時。
「木場さん?」
魔王が、銀色の血を流しながら空を仰ぐ。その視線の先に、月を背にその存在を徐々に表す何者かが。
「何あれ……」
きの子の問いに、あらかたの、存在としての体裁を整えた、その女は答える。
「桜井かなみ」
かなみは、魔王の前に立ち、ムーンストーンが付いた人差し指を突きつけ
「女同士なら、戦えるから! もう、未練なんか無い!」
そう言うと、ものすごい勢いで回転し始めた。風圧が、きの子と孝子を吹き飛ばす。
「孝子さーん! 木場さん、女になっちゃったのーー?!」
「どうやらそうらしいねえー、きの子さん! それにしても、何でパンツなのかね!」
「知らないよー、想像力の欠如じゃないのーー???!」
山の向こうまで飛んでいきながらもお喋りをやめない二人を、神谷ネコ丸が追いかけた。




