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紺屋

作者: 千葉侑子

行こうと思っても行けぬ店…


腕のいい染物職人で、その上絵心があったので、たいそう人気があったその男の手拭いを、江戸や都からも小間物屋が見に来ることもしばしばであったが、この職人の風体が渋味がかり過ぎてその道の者に見える事もあって、客はおっかなびっくり買い物をして行く。

だから、その女が店に入って来た時、男はつい、目で追ってしまった。

そろそろ店仕舞いしようかと思ったところに、地味ななりだが整った顔の女が「まだ、いいかい?」と入ってきた。

目が合っても女はなんとも思わない風で、片っ端から手拭いを手に取ってみる様が嬉しそうで、男は黙って女を見ていた。

外はまだ日があったが、店の薄暗さが気になって行灯に火を入れて、女の顔を見るともなく眺めていたが、男は段々女の見た目が気になってきた。

なんとも不思議な顔立ちだ。

いや、顔立ちが不思議と言うより体つき、立ち居振舞い、表情、話し方、すべてか。

娘にも見えるが年増にも見える。

いったい幾つなんだろうか。

あの簪の飾りは銀糸や金糸を細長く丸めた…いや、束ねたような…。

首をかしげたところに、女が急に振り向いた。

「ねぇ、兄さん、この柄の手拭いをあるだけ欲しいんだけど」

最近染めた、渦を巻いた流れの柄だ。

あるだけかい、あるだけと言うと…と下の引き出しから手拭いの束を出すと、女は直ぐに財布を出した。

贈り物か、祭りって事はないよな。

たまに大量に買うのは小間物屋や返礼の品に…女はどれにも当てはまらないような…。

女が取り出した財布は、なりには似合わない派手な財布で金色の蛇と銀色の牡丹が刺繍してあった。

女は

「あぁ、たくさんある、良かった」

とさっさと代金を払う。

おまけしてやろうと別な柄の端きれを渡すと、女は嬉しそうに受け取った。

「あら、これもいい柄だね。ありがとう、また来るね」

もうすっかり暗くなった往来をからころ下駄の音を響かせて女が駆けていく。

思わぬ商売繁盛より、なんだか不思議な気がして女が払っていった金を、仕舞う前に何度も確かめた。


暫くして、商売仲間との寄り合いがあった。

料理屋の座敷で仲間が手に入れた舶来の布や、硝子の玉を見たり、珍しい料理を肴に少し酒を過ごした。

その日は皆同じで、へべれけとまではいかないが千鳥足で、いつもなら梯子酒と洒落こむところが、皆ふらふらと帰途についた。

男が提灯で照らし出される先をぼんやり見ながら歩いていると、遅い時分なのに、随分と人が多い事に気がついた。

ふと周りを見回すと、格子の向こうに見えるきらびやかな女達、たくさんの提灯、華やかな通り…

いつの間にか二丁町遊郭に来てしまったか。

男は格子越しの遊女達の美しい横顔に魅せられながらも、自分の長屋の方向を確かめていると、歓声が上がった。

そちらに目を向けると、花魁道中だ。

何本もの斑の入らない鼈甲の簪、八文字を書く白い足、何より目を奪ったのはその帯。

前に大きく結ばれたその帯は男の手拭いと同じ柄だった。

同じ柄だったが、その柄の上から銀糸と柄と同じ色味の絹糸でびっしり刺繍が施してあった。

隣の男が

「なんて金と手が掛かった帯だよ」

と口に出すと、向かいで見ていた男が

「ありゃあ、人が染めた帯らしいぜ」

「人があんなもん染められんのかい、へえ、たいしたもんだ」

と口々に騒ぎだした。

染物職人の男が口を開けたまま瞬きも忘れて、目の前を過ぎ去る花魁を見ていると、禿と目が合った。

禿が何か呟いたが、男の耳には届かなかった。

が、花魁道中を眺めていた人々が一斉に男を振り向いた。

「お前が染めたのか」

「お前の帯か」

人々ではなかった。

口が異様に大きかったり、獣のようだったり、ぬるぬるとした顔だった。

男は後退り、肩を掴もうとした手を振り払い走りだした。

やべえ、ここは二丁町遊郭じゃねえ

手から離れた提灯が後ろで燃え上がったが、沢山の足に踏まれて直ぐ闇にのまれた。

もつれる足で町の外れまで走ったが、足音はまだ追って来る。

もう走れない。

酔いがまわって足が絡みそうだ。

すると近くの店から大きな毛むくじゃらな手がにゅっと出てきて、男を掴んで、中に引き入れ、ぱしんと音をたてて戸を閉めた。

男は土間に尻餅をついた。

「なんだい、乱暴におしでないよ、人は壊れやすいんだよ、大丈夫かい、怪我はないかい」

女が側に立っていたやけにでかい男をいさめながら、座り込んでいる男に手を貸して立たせた。

立った拍子にふらつくと、女は支えながら笑って言った。

「そんなじゃ酒より茶がいいかね」

この店の女将のようだ。

いや、酒をくれ

見回すと居酒屋のようだが、人形のように小さな女達や、顔は綺麗だがどこかおかしな男など、やはり人ではなさそうな客達が酒を飲んでいる。

座るように薦められたがどうにも尻が落ち着かない。

「あたしさ、あんたの染めた手拭い持ってるよ、金魚のやつ。」

小さな女達の一人が話しかけてきた

すると、うしろに座って飲んでいた男も口を開いた。

「俺も持ってるよ、山椒魚がたくさんの」

ありゃあ、山椒魚じゃねえ、蜥蜴だ

「あら、でも、どっちも美味しそうだ」

小さい女達は笑いながら話を混ぜっ返す。

男は前に置かれた酒をあおった。

俺は帰れるのか、このまま喰われるのか。

口に出したつもりはなかったが、女将が笑いながら

「喰いやしないよ、もう少ししたらあんたの長屋に送ってやるよ、安心しな」

と塩焼きした、小ぶりな魚を前に置いた。

あまり見ない魚だ。

「生きた人なんか喰うもんか」

「魚の方が旨いからねぇ」

小さな女達がくすくす笑いながら魚の身を綺麗に骨から外して、さも旨そうに口に運ぶ。

男は黙って魚の頭にかぶりついた。

端に座っていた浅黒い男が、

「女将、誰に送らせる」

と女将に声を掛けた。

「縁のもんがいるだろ、ほら」

女将の視線の先に、あの女が座っていた。

「あたしかい、いいよ、元はと言えばあたしが悪いからね」

悪いと思ってなさそうな口調で言ったのは、手拭いを買って行ったあの女だった。

「あんたの手拭いで禿に浴衣を縫うはずだったのさ。だけどあの柄そのままに刺繍したら他に無いような帯になるって花魁が言い出してさ。腕の見せどころだろ」

ちげえねえ。

なかなか見事な刺繍だった…出来れば近くで、手にとって見てぇくれぇだった。

「花魁の帯を手に取りたいとは、また豪気だねぇ」

「何両掛かる御大尽遊びになるんだか」

そうか、相手は花魁だ。

遠くから眺めるのが関の山か。

頭を垂れて舌打ちをしたところで女将が笑って言った。

「まぁまぁ、花魁は時々ここにも来る。あの帯を締めてくることはないが、そのうち機会もあろうよ。そろそろ騒ぎもおさまったろう、気を付けておかえりな」

人ならぬもの達に促されて、男は店を出た。

手拭いを買って行った女が提灯で足元を照らす。

女将はああ言ったが、あの帯を間近で見るどころか花魁に会うことも叶わないだろう。

手拭いを帯に仕立てるなんざ、生半可な腕じゃねえし、

あの店で飲んでたってことは、お前さんも人ではないんだろう。

「さあて、どうだろうね。細かいことは気にしなさんな。新作の柄、楽しみにしてるからね。」

あぁ、そりゃどうも。

男が申し訳程度に頭を下げて顔をあげると、自分の長屋の前。

振り向くと女の姿はなく、小さな蛾が月を背に舞い上がるのが見えただけだった。


* 二丁町遊郭 江戸の吉原ができる前に駿府にあった、初めての幕府公認の遊郭。二丁町遊郭は格式が高く、店頭で格子越しに客に姿を見せる張見世の際も横顔しか見せなかった。

短編集"ひとにくや"の続編、外伝。

初めて実在の人物をモデルにして書きました。

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